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セドリ 第4話「探偵」①

前回まで

疫病禍でステイホームなどの自粛期間期間が続いている日本。橋田奈穂子は母と幼い自分が写っている昔の写真に違和感を感じたのだった。その違和感の正体を親友の佑子に相談したところ、奈穂子の違和感は払拭された。しかし、その話の中で「背のり(はいのり)」についての話題が出てくる。佑子の紹介で探偵業を営む岩明と会うことになった奈穂子は・・・。

母の日常

 母、初枝の朝は早い。遅くとも午前5時には目が覚める。早ければ4時前には起きる時もある。奈穂子が自宅で深夜作業を行い、寝ようとしている時に起きる、ということもあるのだ。
 この月曜日は、5時に目を覚ました。起きるとまず、洗顔を行い、夜中に回っていた洗濯機の洗濯ものを干す準備を行う。彼女たちの家の浴室には浴室乾燥機が装備されているので浴室に手際よく洗濯ものを干していく。初枝自身は、「天日干し」が好きなのだが、娘の希望で浴室乾燥機にて乾かすことにしている。洗濯物を干し終えると一度自分の部屋に戻り、着替えを済ませる。
 次に行うのが、仏壇へのお供えだ。前日にタイマー設定しておいた炊き立てのご飯を少し、淹れたてのお茶も少量、仏壇に供える。そして、線香を焚き、手を合わせる。それが終わると自分の食事の準備をし、済ませる。
 朝食はきまってシンプルなものだった。納豆、白米、お新香、インスタントの味噌汁といったものが常だった。前日のおかずの残りがあればそれも食べていたが、この日は残りのおかずがなかったので、いつも通りの朝食となった。その後、食べ終えた食器を洗い、食器洗い乾燥機の中に収める。初枝は食器洗い乾燥機を便利な機械だとは思ってはいたが、どこか「手洗い」をしないと落ち着かないでいた。
そうこうしているうちに時計は6時を回っていた。疫病禍の前であれば、娘が起きてくる時間だが、今は自宅勤務の為、静かな朝だ。階下に降り、ポストから新聞を持ってきてリビングで読み始めた。初枝は新聞を読む時は老眼鏡をかけ、隅々まで読むのが日課だった。株をやっているわけではないが、経済面にも目を通していたし、一面はもちろん、社会面、読者投稿欄など、1時間ほどかけて読むのが常だった。
「ふう」
初枝はため息にも似た息をひとつ吐くと、新聞をリビングのテーブルに丁寧に置き、出かける準備を始める。この疫病禍にあっても、定期的な通院や朝の散歩は行っていた。ただ、以前のように日課としての通院ではなく、必要最小限の通院にしていたし、散歩に関しても自由に動き回れるというようなイメージではなくなっていた。だから、天候によっては―――雨が降れば散歩は止めていたし、病院で仲良くなった人も最近はなかなか会えないでいた。70代である彼女にとっては病院で仲良くなった『友達』との会話も楽しみの一つだった。
 初枝は出かける準備を整えると、マスクをしていることを化粧台の鏡で確認し、お気に入りのエコバッグを持って玄関を出た。

奈穂子のゆううつ

 初枝が家を出発して、少し立ったころ、2階のキッチンに奈穂子が降りてきた。キッチンで手を洗い、コーヒーを淹れる為の準備を行い、トースターに食パンをセットすると、彼女は洗面所に向かった。
「月曜日か。」
顔を洗い終えた後、鏡に映る自分の顔を見つめてまじまじと言った。奈穂子は特に月曜日が嫌いというタイプではなかったのだが、『今日』という月曜日はいつもの月曜日とは少し違っていた。気が重いような、それでいて何か違う世界が広がるような複雑な心境で迎えたいたのだ。
親友である磯貝佑子に『例の写真』の事について相談に乗ってもらったのが土曜日。佑子から紹介された探偵業の岩明真一と面会するのが今日の月曜日。最初は、頼れる佑子に『例の写真』の違和感についてだけ聞いてもらい、その違和感の正体を佑子と共に解明できれば良いとだけ思っていた。無論、事実云々ではなく、奈穂子は佑子に聞いてもらう事で心を落ち着ける事が目的だったのだ。事実、途中まで彼女の心の乱れは治まっていた。それが、あれよあれよという間に、『探偵』に会う、という話まで進んでしまったのだ。
ダイニングテーブルに焼きあがったトーストとコーヒーを並べた奈穂子は新聞を読みながら、今日の仕事の事、岩明との面会の事について考えを巡らせていた。
(プロジェクトは・・・急ぎもないし、テスト仕様を詰めれば一旦は片付くかな。午後は・・・半休にしようかな。それとも、ギリギリで早退か・・・)
その日のスケジュールを頭に巡らせては、色々なパターンを考えていた。彼女も社会人になって長いので仕事のスケジュールにしてもプライベートのスケジュールにしても“自分のスケジュール術”を持っていたし、彼女自身、予定を行き当たりばったりで組むようなタイプではない。突発的な予定が入ってきたとしても、非常にうまく調整するタイプだ。
 ただ。今日の「面会」については非常に困っていたのも事実だった。
(なんて言えばいいんだろう。写真を見せて、『母親じゃない気がするんです』って・・・なんか大事になったら嫌だなぁ。それに佑ちゃん、この写真のことじゃなくて、“会わせる”のが目的のようなこと言っていたしなぁ)
困っていたのはこの部分なのである。奈穂子自身、恋愛に興味がないわけじゃない。ただ、人に紹介されてとか、気が進まない時に“異性”として会うというのがどうにも性に合わないのだ。一昨日の佑子の気迫に押されてしまったのを思い出した。
「よし、仕方ない」
そう一言つぶやくと、コーヒーを飲み干し、食器を片付け始めた。

おばあちゃんとお菓子

 初枝は家から30分くらいのところにある小さい公園にいた。ここは普段通院している病院の近くの公園だった。公園には小さな子供数人が遊んでいた。その近くには母親たち数人が輪を作って話していた。
 初枝はベンチに側まで近寄るとその母親たちに挨拶した。
「おはようございます」
母親たちは賑やかな声で初枝に挨拶を返していた。次に初枝は子供たちに「おはよう、みんな」と声をかけた。子供たちも大きな声であいさつを返した。
 この子供たちは公演の近くの幼稚園の園児たちだった。疫病禍の中で幼稚園も登園自粛中のため、母親たちが子供たちを公園で遊ばせていたのだ。初枝が疫病禍前に毎日のように通院していた時も登園途中の子供たちと挨拶を交わす間柄だった。顔見知りではあったが、その子供たちが『何処の誰か』までは知らなかった。
 初枝が公園のベンチに腰を下ろしてエコバッグの中からペットボトルのお茶を出して飲み始めた。そこに先ほどの園児たちがやってきて、その中の一人の女の子が初枝に聞いた。
「おばあちゃん、お散歩?」
初枝はニコニコしながら答えた。
「そうだよ、おばあちゃんね、30分くらい歩いてきたからくたびれちゃって、ちょっと休憩。」
「そうなんだ。」
「お嬢ちゃんたちはみんなで遊んでいいねぇ」
「うん。」
和やかな会話が交わされていた時にふと初枝は自分のエコバッグの中に未開封のクッキーがあるのを思い出した。
「クッキーあるよ。お母さんに食べていいか、聞いておいで。」
その言葉を聞くと、子供たちは母親の元に走っていった。
 以前、初枝はこの子供たちにお菓子をあげたことがあった。時間は月曜日の朝ではなく、別の時間帯だった。その時もこうして、母親たちと子供たちが居た時だった。この時代だから、勝手に食べ物を上げたら、色々と問題になるということは初枝自身心得ていた。だから以前に上げた時も母親にまず聞いたのを覚えていた。ただ、今日は歩いてきたばかりだから子供たちに任せたのだった。
 子供から話を聞いた母親の一人―――女の子の母親―――が子供たちと一緒に近づいてきた。
「すみません、お菓子を頂けるとかで・・・」
と丁寧に喋り始めた。初枝は自分のエコバッグから未開封のクッキーを取り出し、
「まだ、開けてないんでね。安全ですよ。」
とニコニコしながら言った。そしてそのクッキーを子供たちと母親の前で開封し、
「みんなで仲良く召し上がれ」
と子供たちに差し出した。
子供たちはクッキーを取り始めた。母親は慌てて
「みんな、ありがとうは?」
と言うと、子供たちは満面の笑みで初枝に礼を述べた。「ありがとう」の声を聴くと初枝は
「どういたしまして。手を洗ってからの方が良かったかな」
とどこか申し訳なさそうに言った。側にいた母親は、
「じゃあ、りっちゃんママが持っていてあげるから、みんな、後で食べよう」
と言うと、子供たちはクッキーをその母親に手渡し、また遊び始めた。
その光景を目を細めて初枝は見ていた。その母親は自分が持っていた小さいダッフルバッグにクッキーをしまいながら、
「本当にありがとうございます。いいですか?本当に。」
と初枝に聞いた。
「もちろん。」
と笑顔で答えた。母親はまた丁寧な口調で尋ねた。
「あの、失礼ですけど、橋田さんのお母さんじゃありません?」
初枝は笑顔のままで答えた。
「そうですけど、どこかでお会いしましたかしら?」
「あ、やっぱり!なっちゃんのお母さん!私、山代です!山代美穂。小学生の時、なっちゃんの家に良く遊びに行ってました!」
「ああ。美穂ちゃん。あら。ずいぶんご無沙汰しちゃって。あ、じゃあ、あの可愛い女の子、お子さんね。」
「はい。理佳って言います。」
「まぁ。ほんと。いいわね。お子さん、お一人?」
「あ、二人目なんです。上のお姉ちゃんは、今中学生で。」
「いいわねぇ。二人ともお嬢ちゃんで。」
「失礼ですけど、お孫さんは?」
「二人、両方とも男で。二人とも小学生。やんちゃでねぇ。」
「なっちゃんの子供ですか?」
「あ、弟の方の子供なのよ。奈穂子はまだ、嫁にも行ってなくてねぇ。どうするのかしら。」
とやりとりが続いていた。
その後も橋田家が以前あった土地に別の建物が立っていた話や、山代美穂と奈穂子の小学生時代の思い出―――町内会のお祭りや遠足、運動会などの出来事などを話していた。奈穂子は私立の中学に進学してため、山代美穂とは自然に疎遠になっていったが、少なくとも山代には嫌な思い出はなかった。
「いまはねぇ、勝保町の方に住んでいるの。」
と初枝は言いながらメモ帳にボールペンで住所を書き、一枚メモを破って山代に渡した。
「もし、時間があったら、遊びに来てよ。奈穂子も喜ぶと思うから。」
「え?!いいんですか?!ありがとうございます!」
と喜びながら山代はメモを受け取った。

きになった

 定例の朝ミーティングで奈穂子は午後半休にすることを伝えていた。打合せ全体が終わろうとしていた時、プロジェクトに参加している一人の様子が少しおかしいのではないかと奈穂子は感じていた。佐藤という若い女性のプログラマーだ。彼女は参画して2か月程度の人間だった。
「佐藤さん、進捗含めて、問題なさそう?」
奈穂子は穏やかに尋ねた。佐藤は画面でもわかるくらい顔を歪めて
「ちょっと・・・・」
と言葉を詰まらせた。奈穂子は会の閉会を告げ、柳田に佐藤と個別のミーティングをすることを伝えて、画面を個別ミーティング画面へと切り替えた。
 全体ミーティングの画面が終了になったあと、柳田は奈穂子の、特殊とでも言っていい能力についてまたも感心せずにはいられなかった。
 彼は奈穂子と新人の頃から仕事をしているが、『人の異変を見抜く目』はものすごいものがある、と感じていた。それは経験からくるものだろうと思っていたが、似たような経験の人間―――男でも女でも―――奈穂子のような鋭い感のようなものを持っている人間に会った事はなかった。
 今朝のミーティングも勤怠報告、進捗報告が滞りなく進み、今現在、奈穂子とミーティングしている『佐藤英梨』についてもどこもおかしい部分はなかった。少なくとも彼には先週と同じに見えた。いや、誰が見ても変りない様子で報告事項を喋っていたし、事実、成果物もきちんと出来ていたし、どこかおかしい部分など感じなかった。
 だが、実際に奈穂子が声をかけると佐藤は今にも泣き出しそうな顔になり、言葉を詰まらせたのだった。
「ああいうところ、すごいんだよなぁ」
柳田は自宅の作業場所の前でつぶやいた。
 30分くらいして、柳田の携帯が鳴った。奈穂子からだ。
「あ、柳田くん。午後、お願いしますね。」
「承知です!佐藤さん、大丈夫でした?」
「うん。仕事上の悩みじゃなかった。だから一旦は大丈夫かな。それと、彼女も午後半休で。」
「わかりました。プライベート系ですか?」
「女の子同士のひ・み・つ」
「ぶっとばしますよ。」
と、同じオフィス内にいるような“いつも”の会話が続いていた。その中でも奈穂子は佐藤の悩みがプライベートな事であることと、その悩みでおそらく今日は仕事にならないということ、本日作業予定のリカバリーは明日以降の作業で間に合うという見積もりを柳田に伝えた。
 
 電話を切った柳田の元に佐藤からパソコン上のメッセージアプリからメッセージが届いた。
[橋田さんにお話しを聞いてもらって少しスッキリしました。本日はご迷惑おかけします。明日からまた頑張ります。]
と書いてあった。柳田は[了解です!明日からまたよろしくお願いいたします!] と書いて返信した。彼自身内容は分からないが、佐藤が画面で分かるくらい辛い顔を見せたのを思い出すとこの短時間で奈穂子がどのような事を彼女に話したのか非常に興味を持った。奈穂子に直接聞いても教えてはくれないだろうし、この疫病禍が終わって、また奈穂子と共に仕事をしていく事でその秘密がわかるかもしれないと感じていた。

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武藤賀洋
舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!