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困った時に思い出してくれてありがとう

人は困った時に誰かに頼る事があると思います。
ぼく自身も困れば、仲間や家族、友人に助けを求める時があります。

また、ぼく自身、助けを求められる事があります。
そういう時、

困った時にぼくを思い出してくれてありがとう

と思うか、

困った時ばかり頼りやがって、ムカつくぜ

と思うか・・・いずれの場合もあると感じています。

▼困った時に頼りたい人

ぼく自身の事を考えると…困った時に頼りたい人というのは・・・
ぼくが出来ない事をしてくれる人、ぼくよりも技術や知識を持っている人、ぼくよりも経済的に裕福な人…色々ですが、一番はぼくの困り事を解決してくれる人が思い浮かびます。

もし、『困り事』を相談して、その人が助けてくれた場合、
ぼくは「よし、この人が何か困ったら、全力で力を出そう」
と考えます。

無論、すべてが全てできるわけではありませんが、それでも助けてくれた人には恩義を感じますし、もし、その人に困ったことに遭遇した場合、ぼくの技術や持っているモノ、創り出すものでなんとかなるのであれば・・・その恩義に報いたいと考えます。

ぼくは『困り事』を相談した相手がもし、
「それはできないね」
と断ったところで、ぼくは恩義を感じなくはなりませんし、別の手立てやその人に『知恵』を借りる
ことはあります。
つまり、その人に頼ることで解決はしなくて解決の糸口が見つかる場合が多いと感じています。

こう考えますと、『困った時に頼りたい人』は頼れるのはもちろん、『技術や力』を貸してくれる人、『知恵』を貸してくれる人ということなのだな、と感じています。

▼なんだよ、こいつ

反対にぼくが相談を受けて「なんだよ、こいつ」と感じ「二度と手伝ってやらねーぞ」と思う人もいたりします。

そういう人は大抵、ぼくに要求だけして、ぼくが困っている時に助けてくれない人です。

働き始めて30年近く経ちますが…色々な仕事をしていく中で、この『要求だけしてして助けてくれない』人というのは一定数居るんだな、ということを感じています。

もちろん、こう云う人は極々稀で。
ただ、こう云う人の厄介なところは…
依頼する時は『困った顔』をして頼み、いざ引き受けると要求だけをどんどん出してくるタイプは共通しているのかな、と思っています。

以前、システムエンジニアをしていた時に、
金額は安いんだけれども、武藤さんのスキルでないと通用しなくて。他に技術もっている人がいなくて困っていて。絶対に単価上げるから、頼みますよ
と言ってくる営業がいました。

はたまた。
今、書ける人がいなくて。この原稿なんですけど、書いてもらえませんか?とっても今、困っていて。
という教材関係の相談もされたことがありました。

他にもいくつか経験はありますが…
この二つとも。
要求に要求を重ねて、無論、ぼくが希望を出しても、検討すらしない。
二言目には「良いモノ作りましょうよ」と言う始末でした。

更にはこの2件の進行中に『困った』ことが起きても
こちらではタッチできないので、武藤さんの方でなんとかしてください
という身も蓋もない回答が返ってきたりしました。

こういうことは本当に稀なのですが…こういうことが起こると・・・
二度とこいつとは関わりあいたくない
と思いました。

▼自分の仕事や仲間、会社のこと

いろんな仕事をしてきて・・・自分がされるのも我慢ならない時も多いですが…自分のやってきた仕事、家族、仲間、組織・会社の事を言われるとイライラすることが多いです。

例えば、ぼくはタクシーの乗務員をしていた時があります。
「タクシーの運転手なんて」
と言われた事もあります。

はたまた、前に所属していた劇団の時に(新和座ではありません)借りた劇場のオーナーからは名前をわざと間違えて言われたり、作品名をいい加減に言われたりした時もありました。

更には、仕事を共にしているのに、メンバーの名前をいつまでたっても間違えたり、その人が担当している仕事すら押さえていないリーダーなんていうのも居ました。

こういう人たちに限って自分が困った時には、「困っているんです」を連発するようにも感じます。

「急いでください!」
「空きが出たので、公演しませんか?」
「これをあと2週間で完成させないと・・・」

先ほど書きました、要求に要求を重ねて、ぼくの希望にはまったくもって見向きもしない、というのは個人的な部分が多いですが、ぼく以外の人・・・こうした『主語』を広げてしまう人は自分が常に正しいと思っているのかもしれませんし、自分”だけ”が困っていると思っているかもしれません。はたまた、自分の仕事や考えだけが正当と思っているのではないか?と感じてしまいます。

たとえ、相手がクライアントであろうと、金銭がかかわってようと…
こうした人たちとは二度と仕事はしたくないな、と思っています。

ぼくには良く分からないのですが…
ある人に関わりある人を貶めて、その”ある人”の仕事や人間関係を蔑ろにしていることに気付かないのでしょうか。
それとも、その人の人間関係や仕事を否定する事は当然のことだとでも言うのでしょうか。

▼だいたい、奴隷を探している

この「困った時ばかり頼りやがって、ムカつくぜ」「二度と仕事したくねーぜ」と思う人々に共通するのが・・・

「こいつら、奴隷もしくは召使を探しているのだな」

と感じる事が多かったです。

つまり、「困っているんですよ」と言いつつ、求めているのはぼくの仕事や技術、知恵ではなく、
めんどくさい事をやれる召使い、自分の決めた通りの方法でやってくれる奴隷を探している、とさえ思うのです。

ぼくは仕事というのは、オーダー(依頼事項)はあって然るべきだと思いますし、それがあるからこそ、金銭の関わる『仕事』として成り立つと思っています。

しかしながら、そのオーダーを完遂するための方法や技法、技術については実際に仕事をする人に任せるべきだと思っていますし、『方法』を『指定』したいのであれば、それなりの理由と期間、お金が必要だと思っています。

ど素人や新人がやるのであれば、『やり方』はある程度依頼事項に含めるべきだと思いますが…そうでないのであれば、その『やり方の指定』は足枷になると考えています。

件の『困った時ばかり頼りやがって』という人々は・・・
どうもこうした『自分のいう事を聞いてくれる人または組織』を探している
ように感じています。

▼仲間、家族、友人

仕事に限らず、仲間や家族、友人に頼られる事、頼ることがあると思います。

そうした中で「困った時ばかり頼りやがって、ムカつくぜ」とか「二度と顔も見たくない」と思う事はほぼありません。
何故かと考えますと・・・やはり関係性なのだと感じています。

これは単にぼくが仲間・家族・友人以外と関係性を築けていないだけなのかもしれません。
しれませんが…それでも、仲間や家族、友人にこうした感情を抱くことはありません。

よくよく考えますと・・・
家族や仲間、友人から頼みごとをされて、それがたとえ、”めんどくさい事”だったり”手間のかかる事”だったりしても、ぼくの特性やぼくの仕事を信じてくれているわけですし、それに一番はぼくが困った時に助けてくれるのはやはり友人であり、仲間であり、家族であるわけです。

そもそも、仕事観や(方法論や技術論ではなく、仕事そのものに対しての考え方)生き方が合うからこそ友人になり、仲間になり、家族となっていくものだと今のぼくは理解しています。

ですので、こうした仕事観や生き方に対する感覚が合う、というのはとても大切だと感じています。

▼ぼくを思い出してくれてありがとう

狭い考えだ、と言われるかもしれませんが・・・
やっぱり、まったく仕事をご一緒していない方と仕事を一緒にする時に、こうした仕事観や生き方に対する考え方が合うか合わないかというのはとても大事だな、と思っています。

もちろん、それは家族や仲間、友人たちと完全に一致することはありません。
ありませんが…あからさまに違うモノとは仕事が一緒にできないなぁ~と思っていますし、そういう合わない人に「困った時ばかり頼りやがって」と感じる事が多い
のだと思っています。

そんな中でも。
やっぱり。
頼られた時に。
「ぼくを思い出してくれてありがとう」
と言いたい
ですし、思い出してもらえる人間でありたいと思っています。
そして、仕事観や生き方に対する考え方・感じ方がもし、融合していくのであれば、これから先も仕事をしていくでしょうし、
ぼく自身も友人、仲間、家族の仕事観、生き方に対する考え方を大切にしながら進んで行きたいのです。
そして、ぼくが頼った時に。
「困った時ばかり頼りやがって、ムカつくぜ」
と思われない
ように、できる事をして、ぼくを必要としてくれる人に技術と知恵と力を提供していきたいのです。

ピンチの時に現れる―――
そんな人間をたくさん知っていますし、いつも助けてもらっています。
ありがとうございます。
ぼく自身、そうなれるように精進していきます。



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武藤賀洋
舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!