総てじゃない
タイトル画が……『〇〇クリニック』の広告のようになってしまっていますが……
今回は『得た情報が総てではない』と感じた事を書いていきたいと思います。
▼ニュースなんかで……
毎日、毎日、色々なニュースが目に飛び込み、耳に入ります。
しかし、そこから得る情報はほんの一部だと感じています。
この2年ほどは毎日のように”新型コロナウィルス”のニュースを得ます。
しかしながら。
どのニュースを見ても、”新型コロナウィルス”の全容がわかるわけではありません。
その日の感染者が云々、だとか、政府や自治体の動きはある程度分かります。
しかし、やっぱりすべての情報が手に入るわけではありません。
その他の事件や事故、政治的なニュース、スポーツニュースに至るまで……それだけでは全容はわからないと感じています。
▼総てを知る必要があるのかどうか
ニュースを見ていても……
総てを知る必要があるか――そう考えると「ある」場合と「ない」場合があるのではないでしょうか。
健康に関することであれば、より多くの情報を知りたいと思いますし、自分にあまり関係のない地域や事柄のニュースであれば……まぁいいかな、と思ってしまいます。
だからといって、ニュースの切れ端だけを読んで”全容”をわかったつもりになることは非常に危険だと考えています。
ぼくがよく陥りがちなのが……
『総てを知った気になってしまう』
ということです。
▼ああ、なるほどね。
今は、この note を始め、TwitterやInstagram、FacebookといったSNS、ブログ、Wikipediaといった情報サイト、Youtubeのような動画サイトがたくさんあります。
一つの事柄を調べると……もちろん、概要やある程度の詳しい部分は『無料』で手に入れる事ができますし、その情報だけでも活用していくことが可能です。
しかし、こうした活用を続けていると……
「ああ、なるほどね」
と中途半端に”理解した”つもりになってしまうことがぼくにはあります。
今はスピード時代でもありますから、SNSや動画・情報サイトでいち早く情報を取得する事ができます。
しかしながら、早さにノまれて、情報を検証したり、分析したりする時間を失くしてしまうと……まちがった認識になってしまうことや”しったかぶり”になってしまうことがあると考えています。
▼リモートだろうが、リアルだろうが……
では、こうしたネットを使って調べる事がまずいことか、といえばそうではないと考えています。
これはネットだろうが、実際、紙の文献や実際に人に聞いた話だろうが……『得られる情報』には限界があるのではないでしょうか。
人間は完璧ではありませんから、得た情報を100%、完全に理解するのは難しいです。
例え、動画に録画したり、文献をすべてコピーしたとしても……
人間の頭に入ってくるのは100%は無理です。
さらに、その情報源が総てを発信しているとは限りません。
発信元が「これは不必要だな」と判断した事が……受信者のほうでは”必要”な場合もあると考えています。
情報を得る先がネット、リアル、リモート、現実には関係なく、”得た”情報を分析する時間が必要なのだと考えています。
▼分析
では、情報の分析とは……
ぼくは情報(インテリジェンス)の専門家でもなければ、数学博士でもありません。
ですのであくまで経験則なのですが……
自分がほしい情報を手に入れ、実際に考え、
自分の今までの考えや経験と照らし合わせていく
という作業が必要なのだと思っています。
そして、そこから導かれた結果に対して、更に情報を集めたりして、『活用』に向けての行動、それが『分析』だと思っています。
この”分析”をなくしてしまうと……情報を鵜呑みにしてしまったり、偏った考えになったり、時には”間違った”情報を発信してしまうこともあるかもしれません。
そして、ぼくが一番陥るのが……『思い込んでしまう』ということです。
この”思い込み”がとてもやっかいで……
Twitterのフォロワーさん以外のTLを見ていても……
「あ、この人はこういう人なんだな」
とか
「この人とぼくの感性は似ているかも」
と感じ、それをそのまま結果として”思い込んで”しまう事があるわけです。
もちろん、こうした『感』はとても大切ですし、仲が良くなる第一歩であると同時に”危険”を察知する感覚を養う事にもなっていると思います。
しかし、これをニュースに置き換えたりすると……
よくよく調べもしないうちに――
「これには陰謀がかくれている」とか
「この政治家はきっと某国のスパイだ」とか
「このウイルスは終わらない」だとか……
思い込みからとんだ間違いをする場合もありますし、反対に”良い”と思い込んでしまうこともしばしばあったりします。
▼隠れている部分こそ大事
ここまで書いておいてなんなんですが……
ニュースだろうと、他の情報だろうと、自分の『感』に従い、”良いか悪いか”だとか”自分に役立つかどうか”を第一印象で決める事は悪い事ではないと考えています。
何故なら、そういうことがないと、自分の関心外の出来事や情報を選別する『感』が養われないからです。
ただ、この『感』に頼りすぎると――
『分析』することを怠り、思い込みが激しくなってしまうと感じています。
この歳になってやっとですが……
隠れている部分にこそ、真の情報があるのだなぁ~と感じています。
自分の経験や思考、色々な情報と照らし合わせて。
得た情報を分析し、隠れた”真の情報”を活用できるように研鑽していきます。