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褒められたい。
新型コロナウィルスによる緊急事態宣言、まん延防止措置が全面解除になりました。
このままこのコロナ禍が収束し、感染に怯えない日々が来てくれることを強く望んでいます。
今、ぼくにできることは……基本的な予防策だけです。
大切な人を守る為、そして必ずやってくる制限なく活動できる日に向かってできることを一つ一つ行っていきます。
このコロナ禍が1年半以上経とうとしています。
制限だらけの世の中に辟易としている気持ちがとても強いです。
ただ、そんな中でも色々と気付くこと、新たに発見した事、考えを改めたこと、違う考えを得たことなど良い事もたくさんありました。
その中のひとつに『褒められたい』ということについて感じたことを今回は書いてまいります。
▼褒められること
ぼくは今まで「褒められる」のはどんな人からでも嬉しいものだなと思っていました。
いや、今でもお褒めの言葉を頂いたりするのはとっても嬉しいです。
実際にこの note の記事に「スキ」を頂いたり、TwitterやFacebook、Instagramなどで「いいね」をもらえるととっても嬉しいです。
こうしたSNS上でも色々な方が時間を割いてくれてお褒めいただけるのはとってもありがたいことです。
ただ、このコロナ禍でぼく自身気付いたこととして、
『立場を使って褒めらようとしていなかったか?』
ということです。
ぼくは結構いい歳ぶっこいていますので、後輩や座の仲間もほとんど年下ですし、仕事先のクライアントも年下の方が大勢います。
そうした人々に褒められる事ももちろん嬉しいのです。
ところが、これらはどこか『先輩』を意識させていたり、『先生』を意識させていたり、『上司』を意識させていたりして”褒めてもらっていた”のではないか、と考えるようになりました。
もちろん、これは間違っていません。
ぼく自身、先輩や先生、クライアントに『立場』を意識して言動を行うことがほとんどです。
▼コミュニケーションの変化
このコロナ禍で家で作業する時間が大幅に増えた事で、リモートで接する場合、どうしても文字でのやり取りが多くなったのがきっかけです。
もちろん、文字は大切です。
文字は言葉を形成し、読んでいる相手に色々なイメージを伝えます。
読み方によっては意図していないことも相手が読み取る場合もありますし、双方に勘違いが生じることもあります。
仕事でメールなどのやり取りをしていると高い頻度であると感じています。
面と向かってあって、”話をする”場合とは大きく異なっていると感じています。
『話して』いる場合はその人の発言の温度、表情、言葉の滑らかさ、強弱などなど文字・言葉以外の情報が多くあります。
こうした情報はやはりコミュニケーションにとって大事だと考えています。
たとえリモート会議で顔が見えて、音声が聞こえても…
やはり面と向かった場合と空気感というか温度を感じるかどうかというのは――現状ではぼくはあまり感じられていません。
実際に会える環境であったとしても少人数だったり、機会が減ったりと以前のようなコミュニケーションの取り方と変化が出てきています。
▼歳をくえばくうほど
こうした変化の中、ぼく自身、当然のことながら歳をとります。
歳をとればとるほど、叱ってくれる先輩も少なくなってきますし、自分の師匠たちは鬼籍に入っている方が多くなってきていますし、お目にかかれる方でも『叱る』ことではなく、別の話題が多くなってきています。
これはぼく自身が少しは成長した証かもしれませんし、時代の流れかもしれません。
もしくは『武藤に叱ってもしょうがない』と思われているからかもしれません。
いずれにしても、歳をとればとったぶん、𠮟ってくれる人は少なくなっていくと感じています。
また同等に先輩や師匠方に『お褒め』いただく事も少なくなってきているのも事実です。
▼誰に褒められたいのか
こうしたことを考えた時に、
『立場を使って褒めらようとしていなかったか?』
と考えるようになりました。
ぼくは今でも自分の行動で褒められることは嬉しいです。
それが後輩や年下の仲間、家族、お客様、クライアント……この note で知り合った方々、SNSで繋がっていただいている方々……
どなたに褒められてもとっても嬉しいのは事実です。
しかし、褒めてほしいからと言って立場をつかって褒められたとしても・・・
本当に評価されていないのではないか、と感じたのです。
もちろん褒めてくださる方の中にはぼくの立場など関係なくお褒めいただいているの方も多くいらっしゃいます。
ただ。
それにぼく自身が甘えてしまっていることも事実なのです。
つまり、𠮟られなくなったことを良いことに、後輩や年下の仲間に『褒め』の強制を行っていないかということを考えるようになりました。
これはぼくの持論と経験ですが・・・
新人の時に𠮟られる事がたくさんありました。
新しい技術を覚える時も同様でした。
その時はものすごく技術も見識も広がっていったと感じています。
つまり、𠮟られることが少なくなると、伸びなくなってくるのではないかという思いがあるのです。
人間は何もしなくても年間、数パーセントは成長すると言われています。
しかし、『立場を使って褒めらようとしている』ことで自分自身の成長を止めてしまっているのではないかと考えるようになりました。
▼それでも褒められたい
それでも。
ぼくはやっぱりゲンキンな人間ですので褒められたいのです。
理想を言えばぼくの一挙手一投足すべてを褒めてもらいたいのです。
しかし、それではやっぱり。
今、現状のぼくから成長が止まってしまい、今持っている技術や仕事も磨かれて行かなくなると思っています。
幸いなことに、家族はもちろん、座の仲間からも『叱られる』代わりに『苦言』をもらえます。
ぼく自身の行動が常に正しかったり、人の考えと合致してないから当然の事です。
正直に言えば、こうした『苦言』をもらう時はイライラすることもあります。
「んだよ、そんなこと言ったってしょうがねーだろ!」
と思ったり、反論することもあります。
しかしながら。
家族や仲間とは議論ができますし、色々な意見交換ができます。
その結果、ぼくの考えが広がったり変わったりしますし、家族や仲間とのコミュニケーションも深まっていきます。
今のぼくにとっても『𠮟ってもらう』のと同様、大切なことなのです。
もちろん、舞台作品を上演した際のお客様の厳しいご意見があります。
それはぼくたちの弱点かもしれません。
こうしたご意見もやはり『𠮟ってもらう』と同様、とても大切なことだと感じています。
それでも。
やはりぼくは褒められたいのです。
だからこそ、苦言やご意見を頂き、𠮟ってもらいながら、言動を広げていきます。
『立場』とはかけ離れた『仕事そのもの』でお褒めいただけるように精進して参ります。
あ、あと。
キレイなお姉さま方に叱られた後に褒められたいのです。
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![武藤賀洋](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47807975/profile_c9fb3adaec60b21a6177ebe5b68668c5.jpg?width=600&crop=1:1,smart)