2024年総括2

唇から花束を。

私が初めて書いた長編手記のタイトルである。

コラムやエッセイ、長文メルマガを書いていた経験はあるにしても、最初は18000字、この半年後に40000字になるようなものを書いた事など無かった私にとっては、未知の数字。

それに、初回の18000字を1期と呼ぶとして、1期は約1週間程度、40000字した2期も1週間程度で書いている。締切あっての期間である。舐めている気もするが、それくらい追われている方が身の丈に合っていると思えるのが2024年であった。

今回は1期の話をしようと思う。

どちらも、コンテストに出展するために書いたものである。

1期は入賞に擦りもしなかった。悔しいとか悔しくないとかを感じる間もなく、他に費やさなければならなくて、あっという間に幕を閉じた。

とは言え、書いているときは「こんな作品、自分で書いたのか」とうっとりする程で、自信があった。題材が「自分の人生を記す」と云ったもので、ちょっと紆余曲折している人生だなぁと、他者から評される理由も垣間見えた。

なんだか、自分の人生に対して暗い部分をかき消すために、少しコメディに書かれていて、少し、鼻に付く。沢山の人に読んで貰いたいみたいな感覚で書いているつもりになっていたのだろう。

人間とはやはり、日々成長もする。故に、今、読み返すと書きたいことをただ、書いただけに過ぎないと思えてしまうが、それでも、当時、約半年前の自分にとってはMAX有頂天で、出来としても200点だった。

この後、暫くして、出版社の方からお電話を頂いた時に「買って貰いたいと思って書けているかと聞かれた時に、そうだと言えるか?」と少し、お叱りみたいなものを受けた。

内容は、平成を丸々生きた私の手記をカットバック形式で綴ったものである。

*手記

*カットバック

この1期のタイミングでは、割と平成だから許されたことを書いたに近い。だから、表現も直接的であり、コンプライアンスを無視したキーワードを、コンプライアンスを守って表現した。

難しさしかなかったし、とは言え初の長編に息巻いていたのもあって、その難しさを感じていたかというと懐疑的ではある。

そうして、長編処女作は一旦、幕を閉じる。

今、振り返れば、「何かを始めたい」が相当強かったとは反省している。

私は「同じ」がちょっとだけ苦手で、出来るならば、日々、更新されていたいし、「同じ」でも、あの時と「同じ」では無いと信じている。

それは、少しでも前に進んでいたいと云う気持ちも勿論あるが、何より、あの時のものはあの時しか出せないし、それを貶したり、否定することをしたくない。だからこそ、「同じ」があったとしても、同じではないし、それはあの時に置いておくもので、こちらに持ってくるのはナンセンスである。としている。

とは言え、やっぱり良かったからこそ、あの時と「同じみたいなもの」は生まれるし、それに意味があるからこそ、あの時はあの時なのであると胸を張って言えるのだと思っている。

謎解きみたいな文章だなぁ。

なので、2期は同じ様で、全く別物として出す事になるが、それはまた今度書きたいと思う。

それに、この長編があったからこそ、振り返った時にあの頃があってくれている。それはやっぱり、嬉しいし、そこから積み上がっている訳なので、蔑ろにはできない。

だからこそ、やっぱり明日に出るものや出すものを大事に生きていきたいと、改めて実感しながら、また、エンターキーを押すのであった。

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