果報を寝て待ってみる
間違い探し
昨日はアイロン掛け忘れたワンピースを着て、心持ちは重たいけど出勤準備を整えました。キッチリしてそうでしてない。
今朝は、重たいココロを少し晴れやかにするために白っぽいサマーカーディガン。見た目はフツーだけど、ぱっと見では気付かない所で穴が広がってます。詰めなきゃ。
毎日どこか違う景色が見えている。
違いに気付いて何かするのか、出来るのか。
振り翳す
持ってるように、プライド高いと思われてるけど、そんなつもりはありません。
自分のために、自分を大事に。出来ることなら。現実は、失敗や後悔と我慢の連続。
誕生日、好きな花、おみくじに至るまでも「忍耐」を示してました。
もしかしたら、振り翳すプライドは自分のためには掲げてないのかも。自分の為に拳を掲げたら、それは限界の証なのかも知れません。
案外こんなもん
こうして、どうにかこうにか今なんとか生きてるから“報われてる”と思います。
すぐに結果は出せなくても、時間は戻せないから、これから“報われる”ように歩いてくしかないんだと最近つくづく思います。
先立つものもない
精神ギリギリ
環境を変えたくても難しい
街行く人、満員電車の中、家族や友達や恋人、職場の同僚、みんな色々、頭にも心にも抱えてます。
間違ってると思っても、自分の正しいに持っていくのは難しいから怠けない程度に、ゆっくり待ってみる日を作ってもいいかも知れません。