「中年」の「どうでもいい」。

サイゼリヤで飯食いながら「ゆるキャン△」を観る40歳のおじさん。

そんな僕です。

いや、このおじさん、ちょっとキモくないか。
客観的に。

しかしそんなことはどうでもよくなってきている。
元々色んなことが「どうでもいい」気質だが、最近、拍車がかかってきてる。

このnoteでも「一人禁酒騒動」をひそかに起こしたが、それもなし崩し。
今は、普通に飲んでいる。
そして、飲んで理性がぶっ飛び、深夜にドカ食いする始末だ。
体重も相当に増えていると思われる。

この酷暑のせいにしてランニングもあまりできていない。
通販でダイエットマシンなんぞを買ってブルブル震えて運動した気になる始末だ。もちろん甘プラで「ゆるキャン△」とか「孤独のグルメ」とかを観ながら。

ホームプロジェクターなんぞを買って、大自然とか動物とかが出てくる壮大なやつを大画面で観つつ、涙する始末だ。
いやむしろこれは、自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされたことでこぼれ落ちた涙なのだろうか。そうに違いない。

仕事は相変わらず適当。
最大限の省エネでただただやっつけている。
なので、「お前本当に昼間仕事してんの?」と音楽の現場ではよく言われる。
一応、しています。一応ね。

音楽活動はどうかというと、それはもちろんそれなりに楽しい。
が、大して進展はない。付き合いの長い音楽仲間ならばご存知だろうが。

正直自分のオリジナルにはほとんど飽きている。そのくせ新曲も書く気になれない。これといって「言いたいこと」がもうないからだ。もう3年以上は書いていない。

なんとなく、全部、張り合いがない。

こう、なんというか、大して「辛ぇ!」ということもないのだが、これといって「楽しぃ!」っつーこともない。

しかしそれももう「どうでもいい」。
「そんなもんだろう、人生」と思ってしまっている。
そこに寂しさを覚えつつも、それを変えようという気も起らないし、もはや変わるとももう思えない。

これが「中年」だろうか。
俗にいう「中年クライシス」というやつか。知らんけど。

30代中盤くらいまでは、何かこう、燃えるような情熱みたいなものもなかったわけではない。
しかし、この「中年」感。
30代後半から徐々に俺に忍び寄ってきていた気もする。

俺と同世代、あるいは年上なのに、なんだかエネルギッシュな人もいる。
本当に本人はそうなのだろうか。そう見えるだけではないのか。
傍目にはわからない。

いや、俺ももしかしてそう見えているかもしれない。
ライブやオプマで音楽の演奏活動は楽しくやっているので。
よく「ゆーすけ、いつも、楽しそうだな」と割と言われるし。

でも楽しいのは音楽の現場にいるその時なのだ。
その時だけ、なのだ。

実は結構、退屈しているし、飽きている。日々のあらゆる事柄に。
色んな事を「どうでもいい」と思いながら。

と、ここまで書いて、気づいた。
辛うじてオプマやライブだけは素直に楽しめているのはなぜなのか。

それは仲間がいるからだ。
たまにはイイコトをストレートに言ってやろう。

現場での演奏活動が楽しめなくなったら俺の生活は詰む。
そのほかのことはどんどん楽しめなくなってきているからだ。

でも詰まずに済んでいるのは、ライブで共演してくれるみんな、そこで一緒に飲んでくれるみんな、聴きに来てくれるみんな、オプマに来てくれるみんな、呼んでくれるハコ、、、こういう仲間がいるからだ。ありがとよ。

さらにここまで書いていて、気づいた。

先日、ある友人の仕事に対してコメント(余計なお世話)したことを思い出した。それなりにいいコミュニケーションもできたと思うし、楽しかった。ありがとよ。

こういう風に、音楽活動以外でも仲間と交流することで楽しめることは、思いの外ある。

さらに、今、このnoteを久しぶりに書いていて楽しい。
これも読んでくれる貴様ら2、3人を想定して書くのだから、楽しいのだろう。ありがとよ。

こういう油断すると「どうでもいい」と切り捨て、忘れてしまいがちな日常の中のささやかな楽しさ。

それらを、拾い集め、味わい直していこう。
多分、それしかない。

「中年」は、そういう楽しみを感じ取るセンサー、感受性が、年齢とともに鈍ってきてしまうのではないか。多分。

いずれにせよ、「どうでもいい」は、根深く抗いがたく今後も付きまとってくるだろう。
年齢とともに大きく、強くなっていくかもしれない。
多分そうなんだろう。

それでもなんとか、やっていくしかない。
日々、これを紛らわし、誤魔化しながら。
それしかないだろう。

知らんけど。

さ、今夜も、楽しくライブじゃ。

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