ブログをやるなら本質を学べ
どうも、ゆうです。
今回は、本質の大切さについて
お話していこうかなと思います。
とは言っても、
あなたも本質が大事と
今まで散々言われてきたんじゃないでしょうか?
そんな方でも、
改めて本質に関して
学術的観点からお話しするとともに、
僕自身の経験や持論も織り交ぜていきたいと思います。
それではスタート。
現象学から”本質”に迫る
あなたは現象学という学問
を知っているでしょうか?
ドイツ人哲学者、フッサールを筆頭に広まった学問です。
マイナーな学問分野なので、
知らない方のほうが多いかと。
ただ、この学問分野を学べば、
「本質とは何か?」という問いに
適切に答えることができるかと思います。
これまた難しい学問ですし、
僕もすべてを網羅しているわけじゃないので、
今回も必要な部分だけを抜き出しますね。
で、現象学なんですけど、簡単に言えば、
「普段意識しないことに目を向ける、
当たり前に問いを投げかける」
学問といった感じです。
哲学自体そういった学問ですが、
それよりももっと現実的なお話になっています。
例えば、
僕たちって車や自転車の運転をするときって、
何も意識をせずに操作するじゃないですか。
無意識的に操作して、
意識はもっとほかの部分、
例えば歩行者の確認とかに向けますよね。
いつも当たり前すぎて、
そんなこと考えないですが、
改めて考えるとすごいですよね。
アクセル踏んだり、
車間距離が近くなったらブレーキ踏んだり、
いろんな操作を無意識レベルで行っている。
まあ、そんな感じで現象学というのは、
いつも当たり前すぎて考えないことについて
改めて考える学問ということです。
そして、その現象学に、
核となる考え方があるんです。
それが
この世の一切は流れている
というもの。
僕たちが生きているこの世界は、
基本的に常に流れているというんですね。
どういうことか?
僕たちは、
いろんな経験や認識をし、
その中でたくさんの物を見て、
いろんな変化に応じてその都度解釈を変えています。
なんかよくわからないと思うんで
想像してもらいたいんですけど、、
例えば、
初め会った時の印象がめちゃくちゃ悪かったけど、
その後一緒にいる中でいろんな気づきがあって、
最終的にものすごい良いやつだとわかる
ことあるじゃないですか。
そんな感じで、
僕たちは経験をする中で
いろんな物事に対する
変化に対応していっているんですよね。
さらに身近な例でいえば、
公園を散歩しているところを想像してください。
そこの公園の木に一羽のハトが止まっていると。
それを見ながら歩いていくんですが、
歩く中でいろんな木々が邪魔をして、
ハトが見えたり見えなかったりします。
こんな感じで流れの中で
いろんな認識の仕方があり、
変化の中で生きているんです。
また、流れているという意味でいうなら、
僕たちの視界に関しても不思議な世界が広がっています。
人間は固視微動という機能を持っています。
これはどういうものかというと、
簡単に言えばブレ補正です。
カメラとかも手ブレ補正をするために、
レンズがめちゃ高速で動いたりしますが、
人間もこの機能がついてるんです。
人間って、
意識的には絶対に不可能なスピードで
目を小刻みに動かし、いろんなものを見ています。
試しに、
全力で目を左右に動かしてみてください。
そして、それを録画してください。
その後、自然と鏡を眺めてみてください。
それも録画してみてください。
結果は歴然です。
故意的には絶対できない速さで
目が動いているんですね。
逆にこの固視微動の機能が無くなったら
どうなるかわかりますか?
今まで見えていたものが
見えなくなるんですよ。
人の話を聞いてる時も、
僕たちは目だけを見ているようで
実は高速で鼻や口、眉毛、髪の毛など
いろんな部位を見て、初めて顔だと認識しています。
かなり説明を加えましたが、
現象学が見出すこの世の中というのは、
「この世の一切は流れている」
ということです。
今はわからなくても、
この言葉自体だけでも頭の片隅に入れておいてください。
しかし、それじゃこの世の中
全部が常に動いてるんか?きもくね?
と思われるかもしれませんが、
そうではありません。
感の良い方は気づいたかもしれません。
そうなんです。ここに今回のお話の肝が隠されているんです。
流れの中で動いていないものが本質
世の中は基本的に流れの中で成り立ってる
と現象学では考えられていますが、
その中でも
流れていないもの・動いていないもの
というものが存在します。
それが本質なんです。
現象学的観点からお話すると
いろいろ学者の方たちにアンチコメントをいただきそうなので、
この辺でやめますが、
どんなことでも流れていない、
不変のものというのが存在します。
そして、厄介なことに
こういった流れていないものって
ほんとに気づきにくいんですよね。
だって、
普段は当たり前のようにあるから、
普段は意識してないから、
どうしても忘れてしまう。
例えば、
僕たちってこの世の中が存在していることを
前提にほとんど話をしていますが、
なんでこの世が存在してるん?
と言われたらなんとも言えない気持ちになるじゃないですか。
もう分解ができないレベルにまで、理由などなく、
「それはそれだから」みたいに説明をするものが本質です。
そういった意味では、
本質というのは
法則、定理、公式、流れなどに言い換えられるかも。
数学でも
まず定理や公式を覚えなきゃ
解けないですよね。
それと同じで本質というのを知らなきゃ、
いくら努力しても、無駄に終わってしまうんですよ。
本質って言葉、元々誰が作ったか知っていますか?
この見出しは後付けしたものなので、
本文とはちょっとズレてしまうかもしれませんが、
ご了承ください。
少しややこしい話になるかもしれないので、
興味ある方だけ読み進めてみてください。
あなたは”本質”という言葉が
誰によって作られたか知っていますか?
僕も最近知って、
この記事に付け足そうと思ったわけなんですが、
実はあの古代ギリシャの哲学者アリストテレス
が作った言葉なんですね。
名前だけはどっかで聞いたことある
のではないでしょうか?
このアリストテレスが言う
本質にも様々な説があるといわれているので
これが正解というのはいえませんが、
僕が納得した説をご紹介しますね。
本質というのは、
現代の英語で”essence”などと表しますが、
この語源はギリシャ語の”essentia”という言葉です。
ちなみに、アリストテレスの師匠である、プラトンはこのことを
イデアと呼んでいました。
本質とは、
それを失ってしまったら、
あるものがあるものでなくなるものです。
ややこしいですね。。
わかりやすく例を出してみますね。
例えば、机を想像してください。
人によって形や大きさ、
デザインは違うとは思いますが、
まあ机には変わらないと思います。
その机を形成している要素は
たくさんあるとは思うんですが、
そのいろんな要素を一つ一つ取り除いていったときに、
途端に机が机でなくなってしまう要素。
それが本質です。
だから、
本質というものは
それが失われてしまったら
それがそれでなくなってしまうもの
なんですよ。
机の本質があったら、
その本質が無くなったら、
机が机じゃなくなるという感じ。
わかりました?
少し想像力が必要かもしれませんが、
これが本質の起源です。
で、このことから本質というのは
「変化したときに初めて、
本質は生まれる」
ということがわかります。
だから、
逆にいえば変化しないものには
本質はないともいえるんですね。
先ほどの現象学のところでも出てきましたが、
やはり流れの中、変化の中に
不動の存在としているのが本質。
逆にその不動の存在が無くなると、
もうそのものではなくなるといった感じですね。
ビジネスで稼ぐための本質を学んで実践しないと、
それはある意味ビジネスですらないことをしていることに
なっているわけです。
ビジネスで稼ぎたいのに、
そもそもビジネスしてなかったら、
そりゃ稼げるわけないですよね。
で、ここからはモチベ系の話に繋げますが・・・
本質を知らないまま突き進んでも無駄に終わるだけ
本質を知らないままに
がむしゃらに努力する方が多い気がしますが、
それでは時間の無駄です。
だって、
さっき見たように本質からずれていることを
しているってことは、
もうすでに目指してるゴールや目的が
変わっているということになります。
目指している目標の、
自分が勝負している舞台の本質とは
違うことをしていたら、
そりゃ無駄に終わるでしょって。
あなたの目指している道が
ビジネスで成功させることじゃなくても
ぜひ何かに志を持って挑む時には
必ず本質を理解してから、勝負に挑んでください。
そうしないと、
戦う場所がそもそも違って
勝負にならなくなってしまうんでね。
今回、パッと思いついたことを記事にしたんですが
いかがでしたか?
何か気づきなどがありましたら、ぜひコメントください。
それではまた。