19年暮れのTwitter休眠アカウント騒動で思う。人の生死はネット上で誰が特定するのだろう?
無料ホームページの時代から、利用規約に「一定期間アクセスのないアカウントは抹消します」と利用規約に明記しているサービスはいくつもあった。けれど、実際の抹消したケースは案外少ないのはなぜだろう? 米Twitterの騒動をベースに、そのあたりのことを考えてみた。
Twitter休眠アカウント騒動を忘れない
2019年11月末、米Twitterが休眠アカウントを抹消すると発表し、世界中から猛反発を食らったのは記憶に新しい。半年以上ログインしていないアカウントを対象に、発表から2週間後の12月半ばから随時処分していく予定だったが、2日と経たないうちに計画をすべて凍結した(このあたりのことはITmedia NEWSにも寄稿したので、よければそちらも読んでほしい)。
休眠アカウントには、飽きたり端から使い捨てるつもりで取得したりした“捨てアカ”ばかりではなく、故人の生前の人柄や考え方を色濃く映したものも含まれる。それを一緒くたに一掃しようとしたのだから怒られるのは当たり前だ。
…当たり前ではあるんだけれど、だからといって故人のアカウントを運営元が保護し続ける義務はないし、毎年多くの「故人サイト」が運営元の炎上を伴わずに消滅している事実もある。結局のところ、Twitterは何がいけなかったのか。
数百万の消滅でも無風だったYahoo!ジオシティーズ
故人サイトの一斉消滅の要因でもっとも多いのはサービス自体の撤退だ。サービス自体が消滅してしまうんだから、放置サイトも故人サイトも現役で更新しているサイトも区別なく消滅危機を迎えることになる。
2019年3月末に提供を終了した「Yahoo!ジオシティーズ」は終了間際まで約400万件のサイトを抱えていた。しかし、終了後も残念がる声こそ多かったものの、運営元のヤフーを非難する声はほとんど聞こえなかった。少なくともバズって拡散した例はなかったように思う。
平穏だったのは、告知から終了までに十分な期間をおいたことが大きい。半年前の2018年10月にリリースを打ち、コメント書き込みの停止期間や公開停止後の移行期限などを細かく伝えることで、利用者やサイトの関係者は十分に準備することができた。
故人サイトには事実上管理者が不在になっているものが多く、これだけの期間があっても消滅してしまったケースは無数にあるが、読者やウォッチャーは概ね「仕方がない」と受けて入れていた。
そうさせたのは紛れもなくヤフーの功績だ。ただし、事業を畳むんだから「仕方がない」という側面もある。サービス自体は続けながら、大量のアカウントを処理するほうが難易度がはるかに高いのも事実だ。
抹消と利用停止には深くて大きな溝がある
そう思っていたら、2020年1月8日にヤフーが「長期間ご利用がないYahoo! JAPAN IDの利用を停止します。」というリリースを公開した。基本的に4年以上アクセスのないアカウントが対象で、2月から随時利用停止の措置をとっていくという。休眠アカウントの持ち主(やその関係者)は、1月のうちに該当IDにログインすることで対象から外れられる。
このリリース直後の反響も炎上とは遠い印象を受けた。発表から実施までの猶予期間が1ヶ月足らずしかないので急な話といえそうだが、対象のIDを削除するのではなく、ログインできない状態にロックするという処置にしているのが要因かもしれない。リリースは利用停止後のIDの復活の余地について触れていないが、引き続き存在が残るというところに可逆性を抱ける。
Yahoo! JAPAN IDはSNSのアカウントと違って、故人の痕跡が追悼の場になるような効果はあまりなさそうだ。これも元から燃焼性が低いといえるかもしれないが、仮にTwitterがあのとき「休眠アカウントを利用停止にします」というリリースを打っていたら、あれほどの炎上は起きなかったんじゃないか。抹消という二度と復活しない不可逆的な措置を強引に進めようとしたことが反発を強めたのではないかと思う。
Twitterの失敗は急ぎすぎただけではない
故人は二度と生き返らない。だからこそ、故人の痕跡に触れるのであれば細心の配慮が求められる。Twitterも計画を凍結したときに、故人のアカウントときちんと向き合える道筋を作るまでは再起しないと誓っている。
しかし、Twitterの特性上、休眠アカウントのなかから故人のアカウントをしっかりと区別して保護するのはかなり難しいと思われる。
たとえば、Twitterはチームでの利用を認めているため、本人認証がついている故人のアカウントであっても継続的に更新している例もいくつか目にする。そのアカウントは生きているのか? 死んでいるのか? 仮に二代目の管理者が亡くなってから更新が止まったとしたなら、そのアカウントはついに死んだのか? 時をおいて三代目が現れる可能性がゼロではないから、単なる休眠アカウントともいえるのではないか? そんな疑問が浮かんでくる。
それに、そもそもアカウントを作る際に厳密な個人情報が求められるわけではないので、現実社会の人間の死とアカウントの死を結びつけるのも困難だ。実際、Twitterは遺族等の連絡を受けて故人のアカウントの削除や履歴の保存のリクエストに応じるべく、2010年8月に「亡くなられたユーザーに関するご連絡」というヘルプページを新設したが、ここで本人特定に膨大な手間がかかる問題に直面している。
つまるところ、Twitterはシンプルに急いて事をし損じただけでなく、休眠アカウントの「抹消」という、踏み込んだら“詰む”不可逆的な領域に足を突っ込んでしまったところがいけなかったんじゃないかと思う。
ネット上の故人の痕跡は、誰が故人の痕跡だと特定するのだろう。おそらくそれは追悼している生者だ。では、生者は誤解なしに確実に生死を特定できるのだろうか。
末期がんで闘病しているある男性のブログは、緩和ケア病棟に移って間もなく2008年の秋から更新が止まっている。大勢の読者がいたため、コメント欄はその後何年も書き込みが続いているが、「ご冥福をお祈りします」の言葉が見られるようになったのは2016年頃からだった。それまでは誰も生死が確かめられないまま安否を気遣う内容に終始していた。現在も死を既成事実と認めない書き込みもみられる。とかく、死の断定は難しい。
※初出:『デジモノステーション 2020年3月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.46)