その土地らしい家
2025年、海から程なくの場所に、一軒家を建てることを目指しているものです。家づくりの途中で思ったこと、感じたことをお届け中。第4回も興味を持ってくださり嬉しいです。
ここまで、「マンション思考のレールを外れてみる」と題して、もともとはマンション派だった僕が一軒家を買うことに決めるに至った経緯を書いてきました。今回もその続きなのですが一点。この標題のもと書いていると、どうもマンションを乏しめているような気持ちになってきたので、今回よりタイトルアウトさせてみます。わかりづらくすみません。引き続きしばらくは、一軒家に決めた理由を書いていきますのであしからず。
少し振り返ります。下記が僕と妻が住む家に求めたいことたち。
1. 安全
2. 家族の心身が健やかでいられる立地
3. 足元も長い目でも家計が安心な価格
4. 僕ららしいこと
5. その土地らしいこと
6. 作る過程を存分に楽しめること
中でも4,5,6が一軒家購入に強く影響したかなと思っており、「4.僕ららしいこと」についてを前回書きました。今回は「5.その土地らしいこと」について書いてみようと思います。
5.その土地らしいこと
まず、僕にとって、家がその土地らしいこととは、「家の外装や外構が、建っている土地の風景や雰囲気に馴染んでいること」です。
土地を持ったら、法規制や地域の規制に触れない限りは、その使い方は自由です。どんな形の建物を建てようが、どんな色の植栽を植えようがいいのです。とすると「せっかく大きな金額を投じて手に入れたのだから、周りは気にせず、住む自分たちが、最も好きな形・最も快適な形で作りたい」こう考えるのは自然だと思います。
ではどうして、あえて、その土地らしさを家に求めたいのか。
少し話を逸らしますが、妻と僕はよく好きな街の話をします。昨年訪れた広島の尾道や、イタリアのベネチアには2人して心を打たれました。初めての街を訪れる度に「どんなところが好き?」「なんで良いと思うのかな?」「あの街に似てるね」そんなことを話しながら歩く。世界にさまざまある街を楽しむこと、これは間違いなく僕らの生きがいのひとつです。
ではなぜ、こんなにも街は楽しいのか。それはきっと、街自体を作ることはできないから。街とは、建物、道、空間、自然、人が集まり、互いに影響を与え合ってきた歴史の結果だと思っています。大規模開発というものは確かに存在しますが、その土地に広がるすべてを設計しコントロールしきることは不可能なはずです。なぜなら上に書いた通り、土地の使い方は地主に委ねられているから。緑と落ち着きが印象的な街を目指したくとも、ショッキングカラーの看板や無機質な建物が並べば実現は難しい。
でも時折、尾道やベネチアのように、どこまで歩いても「らしさ」を感じ取ることができる、素晴らしい街に出会うことがあります。これは、街を切り拓いてきた人たち、街に集まってきた人たちが、脈々と続いているその土地らしさを感じ取り、解釈し、無意識に連帯した結果なのだと思うわけです。本来、自分の土地はどんな使い方をしてもいいはずなのに。
素晴らしい街では必ず、このような「美学や意思のバトン」が受け継がれ続けているなと、強く感じます。素晴らしい街に訪れたとき、景色や雰囲気はもちろんですが、この奇跡とも捉えられるリレーが、今の今まで続いて来たという歴史の厚みに、僕はブルっと体が震えるのです。
寄り道が過ぎました。家の話に戻します。僕らは、僕らにとって「素晴らしい街」に住もうとしています。そして、その街も漏れず、上で書いたような美学や意思のバトンが受け継がれているなと感じます。であれば、僕らもそのバトンを繋ぐ住人でありたい。少なくとも、僕らが住んだことで、その街らしさを貶める存在にはなりたくない。世界にさまざまある街を心の底から楽しむ者として。これが僕らが、住む家に「その土地らしさ」を求めたい理由です。
としたときに、自分たちなりのその土地の解釈を反映し切る家の在り方として、外観や外構までを自由に作りこめる「一軒家」を建てたいなと思うのでした。そして、同じような思いをもった素敵な設計士さんと、後に出会うことになるのですが、その話は、またいずれ書こうと思います。
次回
あと2回くらいは、一軒家に踏み切った理由をつらつら書いていくのかなと想像しています。まだ土地も探し始めていないですね。先は長い。
僕らがどのように素敵な土地に巡り合ったのか、どのように素敵な設計士さんと巡り合ったのか、そんなこともいずれ書いていきたいなと、思っていますので、もしよければ引き続きお付き合いください。
次回「家づくりを楽しみたい(仮)」
読んでくださりありがとうございました。
西村
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