1.1 代官山、小便小僧の小競り合い
最近毎日のメモが膨れてきて、振り返るのも一苦労になってきたので、
今年は思いでに残ったイベントをちょくちょく更新していこうと思う。
夕方、代官山の蔦屋
昨年に引続き、元旦の日はお昼まで家族団らん、
午後からは代官山の本屋さんに足を運ぶ。
昨年はここでミシュランビスマルクの本を見つけて、
6,000円以下のお店を見つけては、全部食べログに叩き込んでいたが、
なんと今年は全ての本にビニールシートがはられていた。
立ち読みできない仕様への変更はコロナ対策なのか、立ち読み対策なのか
よくわからないけど、ちょっとショック。雑誌と本を適当に探してのほほんとする。
夕方頃に一回の男子トイレへ。ここから戦いが始まる。
自分が入ると、20代後半の男性が立ちションをしている。
さすが代官山だ、身なりのきれいなお高く止まった兄ちゃんだ。
彼は自分が入った時にはすでに小便を始めていたのだが、20秒ぐらい立っても動かない。
おいおい長い小便だなと思っていたが、さらに10秒たっても全く動かない。
おいおいどんだけ膀胱膨れ上がってんだよ、と思っていたのだが、
自分の脳裏にもう一つの可能性が浮かび上がってくる。
「こいつ、、、ハンカチもってないんじゃないか?」
コロナによる生活変化。そんな言葉が叫ばれるが、
普段ハンカチを持ち歩かない男性陣にとって、
間違いなくその生活変化で一番大きいのは「トイレからの出方」。
そして年始早々出会ったこのイケてる兄ちゃんは、コロナによる生活変化に順応できていない男性だろう。
そこのトイレは押しドアで入るデザインになっていたので、
出るときは手で握って手前にひかなければいけない。
さらに洗面所の真隣にドアがある設計なので、手を拭かないで触ろうものならおれの目が見逃さない。
ハンドドライヤーの亡き今、もうやつには頼る所がないんだ。
我々がいかにハンドドライヤーに助けられていたのをこんなシチュエーションで
実感することになるとは、やつもおれも思っていなかったろう。
実際にハンドドライヤーがあったとしても、乾くまでぶ〜んってやることはなかった、
ここで問題なのは「乾いた手か、乾いていない手」か、ではなく「乾いていそうな手か、完全に濡れていそうな手か」という
周りからの心象でしかない。正直周りがいなかったらビショビショの手でもこいつはドアノブに触れていただろうが、不運いまは自分がここにいる。
「完全に、詰みだ。」かれはそう思っていた。
時をさかのぼり、自分が便器の前に立った頃だったらまだ良かった。
もしかしたら自分が前をむいて尿をしている間に洗面台に向かっていれば、
手を拭かない現場を見られないかもしれなかった。
しかし時は経ち、おれは今にでも洗面台に出陣する準備ができている。
もし洗面台の前で鉢合わせ用ものなら確実に自分が手を拭いていない現場が目撃される。
「俺があと半日早く来ていればお前の家族は死んでなかったかもしれない。しかし時を巻いて戻す術はない」
冨岡義勇も言っていた。
こわい、こわいだろう。
自分が便器の前に立ってから、40秒、ついにやつは動く。
当然その頃に自分の尿意はとっくに収まっていたが、後攻優位。
「おれの小便が長いことよりも、お前の小便が長いことの方が客観的にはおかしいんだぜ?」
2人だけの空間で客観性を持ち込み、謎に優位に立っている自分。
こちらの尿の出をチラ見し、洗面器に突き進む彼。
首を回さず、眼球だけでやつの手を追う。
ビンゴだ。
やつは手パッパだけで水分をなくしたていを装い、ビショビショであろう手でドアノブの上を握った。きたねえ。
完全にアウトだ。あえて見ないふりをしていた自分。大人になった、大人になったよ。
この40数秒の中で、繰り広げられた心理戦は新年の始まりを飾るにはピッタリだったかもしれない。
確かに彼の初動は遅かった。それに途中で腹痛を装い、個室に入り込み時間をかせぐこともできただろう。
それでも勇気を出して進んでいった彼に拍手をおくりたい。
開ききった扉がしまっていく。
もうしまる!というタイミングで尿を終えた自分は足をドアと壁の間に刷り込ませドアを少し開けておく。
左足でドアキープしている間に手を洗い、そのまま足の力でドアをあけ、そそくさとトイレを後にする。
そう、おれもハンカチ、忘れてたんだ。
今年も一年、よろしく。
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