現状批判を超えて
こんにちは!
本日もお読みいただきありがとうございます!
しがない大学生の独り言です。
この「しがない大学生の独り言」って名前、少々自己肯定感低そうですよね。
私自身は実際、結構自己肯定感高めの人間です。
高い方が幸せそうに見えるので意識的にそうしようとしています。
皆さんも可能ならそう意識する生活もいいかもしれないですね。
昨日、「天使にラブソングを」という映画を見ました。
最近、夜眠れず映画を見ながら夜更かししちゃうんです。
聞いたことある映画の名前だし見たことあるかもなーって思いながら見始めましたが、なかった。しかも、面白かったです。
あらすじとしては主人公の女性は夜の繁華街で売れない歌手として、夜の街の裏のボス的な怪しい男と不倫関係にあったのですが、そのボスが人殺しに加担していることを目撃し、彼らに追われることになります。
その後、警察に駆け込み、彼の裁判で証言するまでの2週間バレないための隠れ家として、教会でシスターになりきることになります。
残念ながら、夜の街で生きるヤンチャな主人公と保守的な教会内の生活には大きな隔たりがありましたが段々と打ち解け合い、教会離れが進んでいたその街に新たな共生の道を示すことになりました。
私が気に入った部分としては、その当時の人々と教会との向き合い方が過渡期にあることが読み取れる点です。
主人公は最後、敵に捉えられて殺されそうになりますが、やはりシスターの格好をしているので躊躇されるのです。その躊躇のおかげで助かることになります。やはり、神への信仰心がないというわけではないようですが、教会に行く熱心な人々は減っている社会背景が読み取れます。
宗教というのは、日本の神道や仏教に見られるように盛り上がりを見せると生活の一部となりますが、やがて風化して文化の一部としてその片鱗だけが残るのだと思います。
その過渡期ということなのだと見ながら感じていました。
日本で、たとえば巫女の格好をしていても殺すことの躊躇いになり得るかというとそうではないと考える人の方が現代だと多いと思います。
おそらく、今のアメリカで同様のことが起こっても躊躇わずに殺されるのではないかなと思います。
あとは、歌っていいよなと思いましたね笑笑
人を動かす原動力になります。
ですが、私自身があの時代に生きていたらどういう神との向き合い方をしていたのかと考えると複雑です。
おそらく、お年寄りであったなら民衆に寄り添う聖歌隊を高貴な聖歌を低俗なものにしたと考えるような気がします。
その変化は文化の冒涜と感じると思います。
反対に、若者であれば退屈で迷信的な宗教が社会において受け入れられ続けることを望むのなら態度を改めろと思うことだと思います。
故に、聖歌隊が楽しい聖歌を発表する場を面白く前向きに受け入れるでしょう。
私自身22と若いですから、若い立場を肯定する感情の方が今は強いです。
しかしながら、私という人間は保守的であると思います。
夫婦別姓や、結婚に異性が相手であることを求めないことには賛成していますが、現状、移民には反対だし、環境問題への取り組みも気持ち悪く感じます。リベラル風な人間は大嫌いです。
独身の男性って右寄りになりやすいって言いますよね笑笑
そういうことなのかなって思います。
生活保護を当然のように外国籍の人々が使う現状には疑問だし、しっかりと監査されていないNPOは詐欺師だと思っています。
環境問題に対しての提起もアプローチも現実離れしていることが多く、再エネ賦課金を見るに中国の利権だけ増やすという最悪な結末に見えています。二酸化炭素の排出もダメ、原発もダメ、何が出来るのだろうと思います。
そもそも、漁獲量が減っているのは周辺国の漁獲量が増えているからだと思っているし、温暖化の原因も過度な都市化が原因だと思っています。
ゴッホの絵を汚したり、パイプラインを爆破する前に政治的に実現可能な政策として落とし所を探し、変えてかなければなりません。
欧米のリベラルは問題提起はよくしていますが、その現実味を帯びた思想にするような擦り合わせを大してしておらずそれが原因で説得力が大衆まで及ばないのだと思います。
著名な学者の方々でさえ、このままではダメだの一点張りでどうしたい、どうすれば解決できるかを提示しないのだから厄介なものだと思っています。
以上