NFTアートには手を出してもいい
まえがき
こんにちは。NFTのインフラ「Hokusai API」を提供する会社の代表を務めております、原沢です。この記事はNFTの取引高が一旦落ち着いた中で、NFTアートについての危険性がSNSで拡散される中で、NFT業界外・ブロックチェーン業界外の方への誤った情報の伝達を防ぐため、急遽執筆しています。NFTの危険性についてまとめられている記事は以下となります。
上記記事の中で、論理展開がNFT批判へと結論づけられており、SNS上での議論が偏っていることが見受けられます。議論をフラットなものに移すためにも、当記事が読み手にとってひとつの材料となることを願っています。(前提として執筆者はNFTのサービスを提供していいますが、NFT業界の過剰な宣伝については否定的に見ています。)
1. NFTそのものに対する誤解
まず、NFTそのものに対する誤解に対してひとつひとつ解消していきたいと思います。
今のNFTの多くはそもそも所有権をやりとりするものではない
まず、NFTアートの取引では、アートそのものの所有権や使用権その他の権限が取引されているわけではない。実際に取引されているものは、NFTアートに付随している“トークンの”所有権である。先ほど述べたように、トークンはデータの唯一性は証明するが、それ以外のことは何もしない。よって、NFTアートが取引されたところで、実際には何も起こらない。購入者に著作権が移動することもなければ、購入した作品を使って何かができるようになるわけでもない。NFTアートの購入者がその場でできることは、お金を出して絵を買ったような錯覚を覚えることと、その絵をずっと眺めていることだけであり、それ以外には何もない。しかも、取引はプラットフォーム(NFTアートの取引を可能にするサービスのこと)内で完結するから、プラットフォーム自体にアクセスできなければそれすらもできない。
NFTアートに付随している“トークンの”所有権が取引されているという言及がありました。これはNFTに関連するビジネスを行なっている方なら弁護士から何回も聞いたことがあるかと思いますが、NFTは無体物(音響・香気・電気・熱・光などのように、有形的存在でないもの)であるため、そもそも「所有権」という言い方は不適切です。所有権と著作権は異なる権利であるため、きちんと区別して考える必要があります。
NFTの著作権や意匠権についての議論は多くなされていますが、デジタル上で一意性の確保されたデータについての(少なくとも今のところは)所有権について言及すると話が進みません。
では、現在の我々は「ただのデータなんて買っていない」と断言できるでしょうか。ソーシャルゲームでも、動画のストリーミングサービスでも、オンラインサロンの入会する権利も、全てひとつの会社が管理するデータベースで保存されているただの文字列です。それに価値がないと断言できる方は、確かにNFTは価値がないかもしれません。
ひとつの会社が管理するデータベースが破損したら利用者の努力や権利が水の泡になりやすいサービスと、会社等の組織に依存せずにデータが残り続ける可能性が高い技術では、それぞれ相性がいいジャンルがあるはずです。
NFTはデータの複製を禁止にする技術ではない
NFTは目に見える形でデータに干渉しない。例えば、データの複製を禁止したり、紛失を防止したりとか、そういったことは全くできない。NFTにできることは、デジタルデータの唯一性を(それが検証された際に)証明すること、ただその一点に尽きる。
なぜか「NFTは著作権を守る技術である」という非常に興味深い理論が出回っているようですが、NFTはそういった技術ではありません。そのため「NFTは著作権が守れないからダメ」という指摘の前提を顧みる必要があります。
「NFTは高値で売れているし魔法のような技術に違いない」と認知してしまった方もいるかもしれませんが、間違いなくNFTはそのような技術ではありません。もしNFTを薦める方からそのようなお話を聞いた方がいらっしゃいましたら、訂正させていただきます。しかし、
NFTにできることは、デジタルデータの唯一性を(それが検証された際に)証明すること、ただその一点に尽きる。
と言及されている通り、証明が可能です。なにが海賊版か正規版かだけわかるのでも、価値を認められるケースもあると考えています。
2. NFTを取り巻く仕組みについての誤解
NFTは金融商品とは言い難く、ねずみ講の仕組みとは大きく異なる
では、NFTアートを購入するメリットは一体どこにあるのだろうか?
その答えは「投機」である。NFTアートは最初に発行された時点ではアートの作者の手もとにあるが、その後、(オークションのように)出品と落札を経て、誰かの手に渡る。そしてその誰かは、落札したNFTアートをさらに誰かに売りつけることができる。これはまさに株取引のようなもので、あるNFTアートを高く売ろうが安く売ろうがもとの所有者と購入者の間の合意の勝手であるし、もしも最初に買った値段よりも高く他の人に売ることができれば、その差額は利益となって売った人の懐に転がり込んでくる。
NFTアートを株取引を例に挙げていますが、NFTアートは株式のように配当や議決権があることはほとんどありません。そのため、あたかも「NFTは危険な金融商品のようなものである」というのはミスリードだということがわかります。
欧米ではアートが金融商品のように扱われる事例はありますが「アートは金融の要素しかない」というのはおかしいのと同様に「NFTは金融商品である」というのは誤った表現であります。
また、以下の言及があります。
株取引と似て非なる点は、作者以外どうしでの全ての取引で、そこで発生した利益の1割程度がマージンとして作者に流れてくることで、これがNFTアートがねずみ講と呼ばれる理由のひとつになっている。
「ねずみ講」という印象が強い表現を利用していますが、ねずみ講はネズミ算式に関係者が増えていくからそう呼ばれます。NFTはn次流通時にアーティストにのみ報酬が入り続けるため、ねずみ講とは明らかに異なります。
さらに
1.金融商品(従来のもの。株やETFなど)の取引やそこに付随する損得は、政府、企業、証券会社の協力により、膨大な量の法律と契約書面、そしてそれによる金融商品自体の厳密な価値(株であればそれが企業の資本の一部であるという事実、ETFであればそれが目指す値動き)の保障によって、買い手と売り手の双方向の合意が得られているから是認される。
2.投機とは是認できる中で最も危険な金融取引の一形態であり、先行者利益が大きくなりやすく、弱者が割を食いやすい。この構造を正しく見破るためには、靴磨き少年の逸話を参照するのが最も手っ取り早い。簡単に説明すると、ふだん街で靴磨きなんかしてるズブの素人は、うまい儲け話を遅れて聞きつけ、先に参入していた投資家に食い物にされるということ。
3.サブプライムローン問題に見られるように、投資行動においては、「取引商品の実質的価値を見定めない」という態度がバブルの成立と崩壊を一挙に招く危険性がある。2.を踏まえて考えると、投機的な市場では、バブルの成立と崩壊というひとつのスキームによって、資本は大資本に集中する。
というようにサブプライムローン問題と紐づけて論理を展開しています。リーマンショックは不動産担保証券の価値の付け方を誤ったところに端を発します。
しかし、NFTは担保証券のような利用方法はまだ本格的に活用されていません。また、アートを担保証券の主軸に結びつけるのはやや暴論に近いため、ネガティブキャンペーンにとらえかねません。
「こういう可能性があるから全てこうである」という議論よりも「こうなる可能性があるからこういったサービスには注意する必要がある」と具体的な議論に取り組む必要があります。
法整備と責任の所在は商品を販売するのと同じ
これに対し、NFTアートでは取引物の発行は各アーティストが行なう。しかもその発行は、「作品を売る」という明確な目的のもとに行なわれる。つまり、NFTアートが取引された時点で、その発行体であるアーティストは、NFTアートの市場という投機的領域の形成に明確な意図をもって加担したことになる。この責任はかなり大きくて、例えば何やかやあってNFTアートが「詐欺だ」ということになったら(そしてそうなる可能性は大いにある、これも後述する)、アーティストによる“意図的な”取引物の発行がなければその詐欺は成立していなかったわけだから、当然アーティストに対して法的な賠償の義務が発生する可能性がある(少なくとも、ねずみ講の下位会員よりは重い責任を背負わされることになる)。このリスクが事前に示されていない時点で、NFTアートってかなり「食えない」システムなんじゃないかと疑わなければならない。
こちらも同様に「詐欺」や「食えないシステム」等、強い言葉を使っていますが、服や絵などを買った際に記載のものと異なるものを発送する、そもそも発送しないなどをした場合はNFTに限らず当然罪に問われます。
そのため、NFT以外のD2Cやメディアなどのビジネスにも適用できる条件を「〜〜だからNFTはダメだ」と結論づけるのは暴論と言わざるを得ません。
NFTアートが盗用され、本人以外が出品しているのには対処する必要がある
まず、最も重大で緊急的な事態として、「多くのアーティストの作品が勝手に盗用され、NFTアートとして売り出されている」という状況がある。例を挙げるとキリが無いが、最新の事例では、ビジュアルアーティストであるDavison Carvalhoは自身のツイッターで、自分の作品がNFTアートとして無断で売り出され、その利益総額は17万ドルにも登っていたと明かしている。同様の報告は未だに増え続けているし、いずれ日本国内でも同様のことが起こり始めるに違いない。そもそもNFTアートの仕組みは、無断盗用者にとって簡便すぎる。綺麗な写真か絵を1枚ダウンロードしてきてプラットフォームにアップロードし直し、あとは投機家に任せておけばいつの間にか莫大な利益が発生している。しかもこの場合、著作権法には確実に違反するだろうけれど、(ふつう、人の物を勝手に売ると横領罪になるが、)売れた後も元の画像データは残っているわけだから、横領罪まで適用されるかは怪しい。不正に挙げた利益に対する適切な罰則がまだ設定されていないから、犯罪の抑止力が全く働いていないと言える。
という問題を挙げられています。これはNFTが著作権を保護する技術ではないため、当然といえば当然です。
しかし、この問題はNFTサービスを提供している事業者としても問題であると考えています。既存のアート業界と同様に、NFTのカテゴリでもキュレーターが育ち、ある種中央集権的にNFTアートの真贋判定がされていくと考えられます。(トランザクションを追うことができるため、真贋判定自体は可能な場合が多いです)
NFTは資金洗浄に使われやすいのか
加えて、NFTがマネーロンダリングに利用されるのではないかという議論についてです。
次に、マネーロンダリング(資金洗浄)の問題がある。マネーロンダリングとは、簡単に言えば、脱税などの犯罪によって不正に得られた資金の出所をわからなくするため、自作自演による資金の移動を繰り返すことだ。日夜大量の送金が頻繁に行なわれ、かつ政府の監視の目の行き届かないNFTアート市場はまさにマネーロンダリングにうってつけであり、さらに、特定のアーティストがこのような資金移動の操作に巻き込まれる可能性もあるという指摘がある。日本でもpixivにリクエスト機能が導入された際に同様の懸念が生じたが、NFTアート市場においては決済処理速度も移動する資金の額もpixivとは桁違いであり、専門家による早急な対策が期待されている。
これはNFTアートに限った問題ではなく、何年も前から暗号資産への批判において言及されることです。NFTから始まった話ではありません。また、現金も多くマネーロンダリングに利用されていることに留意する必要があります。
まとめ
現在のNFTに対する批判は知識の不足や解釈の違いから起こっていると考えています。NFTがもたらす悪影響について建設的な議論をするためにも、印象の強い言葉ではなく、既に事例があるような事柄から触れられることを願っています。