【小説】月見草

 本作は同人サークル「INTER ZONE」さん主宰の闇鍋合同誌『GOETIA』に寄稿した作品になります。

※この小説は同人ノベルゲーム『ティアマトの星影』のとっても軽いネタバレを含みます。未プレイの方はご注意ください。



 繰り返される高校での虚しい日々も数えてはや三年目になるのだから、いい加減進路をどうするか真面目に考えないといけない。いけないのだけど、気持ちは空中を漂うばかり、いっこう地上には降りてきてくれそうにないみたい。いっそ、このまま天高く突き抜けてしまえばいいのだ。
 相談できるような大人は周りにいない。母との関係性は破綻している。担任との折り合いも良くはない。そもそも誰かに相談したいと思うほど悩んでいるわけでもない。決まりさえすればそれでいい。理数系の能力は終わってるから、選択肢はごく限られてくるのだろうけど。
……どうでもよかったのだ、実のところ。
 自分に係る一切のことをどうでもいいと感じるようになったのはいつからだっただろう。自分にとっては当たり前であるところの感覚は、ここ二年の間に初めてできた友人たちからはすこぶる評判が良くない。というかドン引きされている。もっと言えば、そういうことを口にすると真面目に怒られる。無意識のうちに思ってしまうのは仕方ないじゃない、と思わなくもない。
 ……十二年前、六歳のとき。山の上の草原で邂逅した、不思議な存在。自分が世界から遊離してしまったかのような感覚は、あのとき「彼女」と出逢った前後に抱いたものだ。たとえそれが、自らに起因するものであったとしても――きっかけは、たしかにあの邂逅だったのだ。
 そして、そうした浮遊感や虚無感は、二年前の夏、あの出逢いと別れを経験してから、少しずつだけど薄れつつある。
 あのとき、何人かの先輩たちと知り合った。そのうちのひとりはこの宇宙から永遠に去り、ひとりは高校を卒業してこの町を出て行った。他の人たちとも、彼らが卒業してから一度も会っていない。それでも、私のなかに何かが残り続けているのはたしかなことで、今も私のなかにある光だった。
 ……だからこそ、内に残る言い知れない虚ろな感情は、畢竟ただの習い性にすぎないのだとわかっていた。自力で克服しなければならないのだと、ちゃんと理解している。しているのだけど。
 ――詩織ちゃん。
 扉の外から声がした。私の、数少ない大切な友だちの声。
 ふぅ、と小さく息をつくと、傍らの鞄を摑み、図書準備室の椅子から立ち上がる。扉をがらりと開けて、私――海野詩織は、そのまま図書準備室を後にする。
 もうすぐ図書室を閉める時間だ。

 図書室の鍵を閉め、友人たちと校門を出る。十字路にさしかかり、じゃあまた明日と胸の前で小さく手を振る。訪れるかもわからない未来に期待と諦念を送り込んで、彼女たちと別れた。
 鞄のなかには、図書室で借りた本がある。この町の伝承を記した書物だ。
 この季節になると、あの夏のできごとを思い出す。特別だった私の目に見えていた、星明かりのような結晶世界。彼女たちとすごした、透明な夏の日々を。
 だからかもしれない。あのとき抱き、そのまま意識の底に沈んでいた疑問が、夏の気配に誘われるようにして、いまさら気になってしまったのは。
 彼女は――星渡眞都という少女は、どのような存在だったのだろう。
 宙を泳ぐ、不思議な巨大生命体だというのはわずかに理解している。それが、想像上の生き物として、この惑星で長く親しまれてきたことも。
 ……だけど、それだけ。それ以上のことは、何も知らないし、識りようがない。
 ――識りようはないけど、推測することはできる。
 だから、私は考えてみることにした。彼女がどういう存在なのか。
 あの夏が、彼女にとってどんな意味を持っていたのか。
 伝承本を鞄から取り出す。地元のアマチュア歴史家が著した、なかなかどうして本格的な内容の研究書だ。歩きながら頁を開く。ふと、子どものころに同じようなことをしていたのを思い出した。バカでかい児童書を読みながら歩く、引っ込み思案なくせに態度ばかりでかい小学生。思わず笑みが零れる。歩き児童書していた小さな少女も、今とあんまり変わっていない。
 ――町の伝承は、次のような内容だった。

『――時は寛仁。地は吾妻。世も末と囁かれる穢土にて、人々いかに浄土を信じることができただろうか。
 折しも、吾妻の地に武士(もののふ)どもが勃興しようとしていた。いずれ世は必ず乱れると、誰もが予期していたのやも知れぬ。
 そのような時世、吾妻にいと近き此の地には、星読みの集う御浜の山がわだつみを抱き、今と変わらずそびえ立っていた。天高き御坐にて、星読みの民は世相を振り見ることなく彼方に散らばる無窮の燦めきを観じたという。
 ――其処は星辰の高御座。幽世に通ずる道を繋げる、贖いの地。
 ――彼の民は星読み。幽世を射貫く目を以て、天を天と識る。
 ……然れども、世を儚む末法の気性が、徐々にかの地をも浸食せんと蠕動していた。
 厭世の観想は、幽世への道を容易に繋げる――すなわち、浮世ならざるものを呼び込む契機(きっかけ)となり得る。
 こうして、村々には霊障が溢れ、人々はまつろわぬものによって浮世から容易に隠された。
 末法、ここに成れり――人々は畏れ慄く。
 ――そのとき、御浜の山に星の降る。
 それは曙光。或いは、闇夜に霞む明けの明星。
 かくして星読みの民は、山の頂の星読み台にて、彗星(ほし)の乙女と邂逅した――』

 ……よくもまあ、これだけ観念的に書いたことだ。どれだけ自分に酔っていたのだろうか、この本の著者は。
 ともあれ、この「彗星の乙女」と呼ばれる不思議な存在は、村の神社の一人娘だった年若い巫女と協力して、この地の「魔」を祓った――のだそうだ。この町の神社といえば、ちょうど今歩いている道の脇に見える幣原神社、あのいけ好かない柳花先輩の家くらいしか思い浮かばない。
 ――あれっと思い、二度見などしてみる。さっきまで十字路を渡って歩いていたのに、いつのまにか神社の方に歩いてきたみたい。
 すると、自分は無意識のうちに山の方に向かっていたようだ。折しも、伝承に登場した御浜山の頂上にある草原に。二年前まで彗星岩が鎮座していた、星見平に。
 小さく息をつく。星見平はもう何年も行っていない。そこは思い出の場所だった。良くも悪くも、忘れられないできごとが起きた場所だった。
 ……ここまで来たら、観念して向かうしかない。
 神社を抜けて少し進むと、そこはもう山道だ。さすがに薄暗くなってきたので、本を閉じる。慣れない山道をよろめきながら進む。頭のなかでは、この町の伝承を反芻している。
 伝承の続きでは、桐花というその巫女――柳花先輩の祖先に違いない――と彗星の乙女――十二年前に彼女自身が名乗ったところによると、その個体名はティアマトだ――は、協力して魔を祓った後、永遠の絆を誓い合い、そして別れる。その際、彗星の化身は次のような言葉を口にしたという。
『約束が果たされた刻、星はあるべき場所へ還るだろう――』
 その「約束」が果たされたのは、たぶん二年前の夏――彗星岩が、星見平の草原から忽然と消え失せたときのことなのだろう。そうして、星はあるべき場所へ――宙を泳ぐ巨大生命体の身体として、七つの宇宙へと還っていったのだ。
 さらに考える。彗星の化身・ティアマトは、なぜこの地に降り立ったのか。そもそも、数百年前になぜ彼女の「身体」――彗星が、この地に流れ墜ちたのだろう。
 推測でしかないけれど、こう考えるのが私にとってはもっとも自然だ。つまり、星はあるべくして墜ちてきた。彼女にとって縁深い、この場所に。
 それは、卵が先か、鶏が先かというお決まりのクリシェにすぎない。この地に流れ墜ちたとき、彼女はふたつに分離した。つまり、身体であったところの「彗星」と、精神が人間=「星の子」の身体に象られた「星渡眞都」という少女に。理由はいざ知らず、それらは数百年もの刻限を隔て、別の時間軸の同じ場所に流れ墜ちた。双方ともにこの地に墜ちてきたのは、彼女が探し求めていた存在がこの地に流れ着いていたからで、尋ね人である彼がここに流れてきたのは、彼女の「身体」がこの地に根付き、ご神体として祀られ、そうしてこの地の人々を見守ってきたからに他ならない。伝承のなかで、幣原桐花もこう言っていたではないか。『縁が道を繋いだか』と。
 伝承によれば、飛来した彗星岩が幽世との間をつなぐ階(きざはし)となり、この地が「魔」で満ち満ちたのだという。それを祓うのを手伝いに来たのが彗星の乙女なのだというけれど、このときの彼女はもちろん彗星の身体に戻った姿で、つまり本体の彼女と彗星岩と、ふたつの身体が同時に同じ空間に存在していたことになる。だいぶおかしいように思えるけれど、よくよく考えてみれば、これもいらぬ心配なのかもしれない。だって、彼女の体感時間の流れで言えば、彗星岩となっていたのが過去で、そうして元の身体に戻ったのが現在の自分。たまたま過去の自分の身体がある場所に居合わせただけで、そもそも彼女は時間軸を無視して宇宙を潜航できるのだとすれば、そんな仮定さえ無用の長物になってしまう。いわゆるタイムパラドックスなどというせせこましい現象を心配することなく、その巨大生命体は今も悠々と宇宙を泳ぎ回っている。

 ずいぶん長い時間、山道を歩いていた。体力がゴミに等しい私はもうへろへろで、天のお迎えも近そうなありさまである。山頂はまだだろうか。これだけ歩いてきたのに、距離感がまるで仕事をしていない。ふざけるな、遠近法。
 そうした状況に思考を遮/断されながら、なおも私は考える。この町の伝承を離れ、彼女という存在に向かって、思考がふわりと飛んでいく。「ティアマト」と名乗った、不思議な生命体。
 その個体名は、あまりにもこの惑星の文化になじみすぎてはいないか。
 あの朴念仁先輩と彼女のやりとりのなかで、彼女が自身をくじら座の変光星・ミラに喩えたと、二年前に彼女自身から少しだけ聞いたことがある。くじら座といえば、やはりギリシャ神話が有名だろうか。エチオピア人の王国の王妃、カシオペヤが海神ポセイドンの怒りを買い、そうして送り込まれたのが海の怪物、ケートスであると。化けクジラを鎮めるために生け贄として鎖に繋がれ、海岸の岩に縛り付けられたアンドロメダ姫を救うのは、怪物メデューサを退治したという英雄、ペルセウス。かくしてケートスは退治され、アンドロメダはペルセウスの妻となる。ケートスが果たして剣で倒されたのか、それともメデューサの首級の為せる業だったのかは識りようがないけれど。
 ケートス、ないし海の怪物の原型(アーキタイプ)は、世界各地の神話にこれでもかというほど(は言いすぎかな……)登場している。エトルリア神話にも伝わっているそうだし、キリスト教やユダヤ教の教典にも海の怪物のモチーフが登場しているようだ。ヨナ書の大魚やリヴァイアサン、バハムード、アジア各地の鯨神といった様々な竜(ドラゴン)との関連性も指摘されているのが、ケートスという怪物だそうだ。今のところだいたいがインターネットの受け売りだけど、あながち的外れな理解でもないと思うけどな。
 あとは、神話学者ジョーゼフ・キャンベルが著書「千の顔をもつ英雄」のなかで述べていたことも思い起こされる。曰く、クジラのお腹のなかは試練の場所であり、冒険の場所であると。クジラに呑み込まれた英雄は可視の境界を越えて外へ出るのではなくて、中に向かって、もう一度生まれようとする。母なる子宮を観想させるクジラの胎内において、試練を乗り越えた英雄は、またひとつ新たに生まれ変わる。キャンベルという読み手にとって、化けクジラの胎内はイニシエーションの場として在るということなのだろう(ところで、過日たわむれに読み散らした神話学の入門書のなかで、キャンベル教授の研究がこき下ろされていてだいぶかわいそうだったことはここだけの話)。
 どうして、こうした世界の神話に思いを馳せているのだろう。思考が脇道にそれすぎていないだろうか、と思わないかといえば嘘になるけど、なおも私は考えている。どうしてなのかわからないけれど。
 やがて、思考は一見して突拍子もない箇所へと着地する。
 彼女が、この惑星を訪れる際――この町だけに姿を現していたと、誰が断言できるだろう。
 もし――たらればの話が不毛だということは百も承知だけれど、それでも――世界各地に散らばる、ありとあらゆる神話のなかの海獣が、あるひとつの巨大生命体の個体であったとしたら。
 宇宙を潜航できる巨大生命体が、地球のあらゆる時間軸にパラドックスをものともせず、この惑星をたびたび訪れていたとしたら。
 疲れ切った身体が震えるのは、夜の寒さのせいばかりではない、そう感じる自分がここにいる。いつのまにか、辺りの薄闇が濃い墨色に上塗りされ、虫の音が葉擦れの音に共振していた。山道はひどく暗いけど、今までほとんど意識していなかったことにようやく気づいた。
 もし、世界各地の神話に、彼女が随所で顔を出していたら――と想像すると、矢も盾もたまらず駆け出した。すっころびそうになって慌てて踏ん張り、やっぱりすっころんだ。
 だって、こんなにわくわくすることって他にない。私の人生のなかでどれくらいあっただろう。いや、本を読んでいるときもあったかもしれないけれど、いや待ってだいぶ追い詰められているときによくやってるような辞書を読んでいるときとかを想定してるわけじゃない、あれはだって不毛な感じが好きだからやってるだけだ、文字の奔流のなかで絶望するのがたまらないんであって、そうではなくて――創造力の限りを尽くして迸る物語の奔流に触れた、ちょうどあの感覚だ。ややもすれば、あの不思議な生命体を作品に登場させたSF作家だって、彼女に出逢ったことがあったかもしれないのだから。薄々そうじゃないかと思っていたけれど、想像すればするだけそれがまるで真実みたいに思えてくる、そうだ、きっとそうに違いない――
 そこまで吹っ飛んでいた思考が、急に手元に引き戻された感覚に、はたと足を止める。大事なことを忘れていた。そもそもの思考の出発点。彼女の名前――ティアマト。
 その名の出典は「エヌマ=エリシュ」、メソポタミアの神話である。母なる海水のティアマトは、淡水であるアプスーと混ざり、新しい神々が生まれる。若い神々とアプスーは反目し、やがてアプスーは殺害され、神格を剥奪される。愛するアプスーを殺されたティアマトは十一の怪物を創造して復讐を企て、後に最高神となるマルドゥクと戦うことになる。戦いに勝利したマルドゥクはティアマトの身体をふたつに引き裂き、ひとつを天に、もうひとつを地としたという。
 母殺しの神話の原型とも言えそうなティアマトは、ついさっきまで考えていたケートスのイメージに影響を与えたという説もあるというくらい類似性がある。いずれも敗者だった。護るべき「星の子」、人間に殺される、海の怪物……
 さっきまで無邪気に浮かれていた自分自身を恥じた。他者を物語に当てはめることの暴力性を忘却してはならないというのに。類推は、あくまで誠実になされるべき行為のはずなのに。自分のそういう浅はかな部分が、自分自身を損なうというのに。
 私の勝手気ままな推測が、どこまで正しいかなんてわからない。そもそもすべてが物語を基盤にした想像の産物で、屋上屋を架しまくったら摩天楼ができてしまった感さえあるのだけど。
 でも、だけど。少しでも可能性があるのなら、私はその想像を信じたい。それがどんなに楽しく、悲しく、どうしようもなくやりきれないことであっても、すべて受け止めようと思うのだ。
 気づけば、頭上の木立がだいぶ開けてきたようだ。もうすぐ山頂が近いのかもしれない。
 と、そこでようやく気がついた。
 やりたいこと、あったじゃんね。
 思わず笑ってしまう。山を下りたらいろいろ調べてみよう。どこの学校がいいだろう。ほんの少しだけど、私は今、わくわくしている。

 山頂に広がる草原は、記憶と違わぬ印象だった。ひょっとしたら記憶より綺麗じゃないっぽいし、草もだいぶぼうぼうしているように見えなくもないけれど――それでも、夜風が吹き渡る草原は、幼き日の苦く哀しい記憶を否応なく呼び起こす。
 ――詩織ちゃん……っていうんだ。とても悲しい思いをしてきたんだね……自分自身を、そこまで擦り減らすほど、悲しい思いを……
 かつて、この場所でかけられた悲しいほど優しい声音が、耳朶をかすかに震わせる。それは、いわゆる身体感覚の錯誤なのだろうか。
 ――本当は、してはならないことなんだろうけど……
 ――ねえ、詩織ちゃん。あなたに、私が見ている景色を見せてあげる。
 白い衣服を纏う、若い女の人。記憶のなかで、手を差し伸べる――
 ――これが、私の贈り物。
 ――「星の目」を、あなたに――
 そのときから、私の目のなかに星明かりが、あの七色の光が宿った。
 見えるべきものが見えなくなった。見えないようにあるべきものが、見えるようになった。
 世界は結晶化し、そこで生きるものはすべて生命ではなくなった。
 そんな世界で、私はずっと生きていた――
 ……でも、それはたぶん、真実の一面でしかなかった。
 この世界は偽物だと思っていた。どこか遠くに、この世界の本質が隠されていると信じていた。私の「星の目」が、それを見つけることができるかもしれないって――
 結局、あのとき持っていた「星の目」をもってしても、見つけることなんてできなかった。当たり前だった。あの目は、そんなうやむやなものを見るものじゃなかったんだ。素敵な目を贈られたというのに、私自身がその使い方をわかっていなかっただけなんだ……
 海野詩織の身体を構成する物質は、ただの有機体。海野詩織の思考や感情、そして精神は、脳内に生じた電気信号が引き起こす錯覚にすぎない。
 だからなんだ。そんな些細なことが、私がこれから見つけ出すだろう、世界の本質を隠してしまう原因になんてなれっこない。
 そんなことが、私が本物でないという証拠になんてなれっこないのだ。
 空を思いっきり振り仰ぐ。雲が出ていた。風に散らされ、切れ切れに飛んでいく。天文大好き慧斗先輩だったら泣いちゃうに違いない。あの人メンタル豆腐だから。私は平気。星が見えなくても、歩いていける。太陽や月、雲が隠してしまっているとしても、星々は変わらずそこに在ると知っているから。
 ……それにしたって、雲が出ていても綺麗なのだ、星々が。やっぱり、悔しいけどほんのちょっぴり吃驚して、感動してしまう。慧斗先輩と違って天文知識は皆無だから、昔の人がやったように星と星を線で繋げることは私にはできない。ぼけっと眺めやるのが関の山。だけど、星々の燦めきに感じ入るのは変わらない。先輩が天文大好きなのもうなずける。大学では天体物理学やら天文学やら勉強したいって言ってたけど、ちゃんとやってるだろうか。心配だ。だってメンタル豆腐だから。
 なんだか開放的な気分だった。ふだんでは考えられない行動もここでならできる。どうせなら、と草原にそのまま寝転んだ。眼前に広がる無窮のパノラマ。目のなかの星が消えても、見上げる先に星がある。それだけでいいんだ。
 ふと、顔の横にある小さな花に気がついた。薄桃色の花弁が、りんと宇宙を仰ぎ見ている。なんていう花だろう。自然にも詳しくないからわからない。そんな自分がなぜか悔しい。先輩みたいに、自然のことも勉強してみようか。そうすればもっと、あのとき私を救ってくれた存在に、その心に、近づくことができるだろうか。
 そんなことを思いながら、再び夜空に視線を送る。
「……月だ」
 雲間から、ゆっくりと月が姿を見せる。満月というには少し歪な球体は、柔らかな光をこの星いっぱいに投げかけていた。

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