cultural appropriation
▼先日,こんな記事を目にしました。
「Kawaiiは文化の盗用なのか 黒人のコスプレを自称日本人が批判、紅林大空さんは擁護」
アメリカに住む黒人の女性が、日本のアニメキャラクターのコスプレをした動画をSNSに投稿したところ、日本人を自称する匿名アカウントが「文化の盗用だ」と批判。これをきっかけに誹謗中傷にまで発展し、女性は謝罪に追い込まれた。
日本のポップカルチャーは世界中で愛され、「かわいい」という言葉が「Kawaii」として広く知られるようにもなっている。
今回の事態をどう見るべきか。この女性と、彼女をいち早く擁護した日本人ファッションモデルに話を聞いた。
▼「文化の盗用」という言葉について,この記事では次のように説明されています。
「文化の盗用(cultural appropriation)」とは、ある文化圏の宗教や伝統、ファッション、音楽などを別の文化圏の人が敬意や理解を欠いたり、元々の文脈から外れたりした形で流用するケースに使われる言葉だ。特に少数民族のようなマイノリティーの文化が流用されると、論争になることが多い。
例えば、ファッション界では、白人モデルがネイティブアメリカンの羽根飾りを身につけたり、シーク教徒風のターバンを巻いたりするなどして批判された。
▼実際,これまでに「文化盗用」として大きく報じられた事例として以下のような出来事がありました。
「文化の盗用」は何が問題で、誰なら許されるのか? あるベストセラーが巻き起こした論争
https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2020/08/post-68.php
▼しかし,「文化の盗用」を巡る問題は,決して単純なものではありませんし,単純化すべきものでもありません。また,そもそも cultural appropriation という用語の定義も定まらず,日本語で「文化『盗用』」と訳すことが妥当なのかどうか,という問題もあります。
2019年の夏、キム・カーダシアンが補正下着の新ブランドを“KIMONO”と名付けたことで、ちょっとした騒動が起こった。日本の「着物」と同一の言葉であり商標登録までされようとしていたからだ。結局この騒動は、ウェブ上で炎上したことを受け、キムがこの名前を取り下げることで事なきを得た。だがこの事件はカルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)とは何かについて、日本の人びとに実感させるよい機会でもあった。この言葉は、特定の集団(主には民族)のアイデンティティを支える文化的意匠を、その集団以外の人びとが無断で利用した際の批判に使われる。
それにしてもアプロプリエーションという言葉は、いつから「盗用」と訳されるようになったのか。以前は「流用」として、先行作品に触発された創作方法を指す言葉として使われていた。もちろん先行作品に触発された創作物は、時には盗用騒動を起こすこともあったが、その場合でも創作者自身、そうした非難が生じることを予め想定していた場合が多く、それもあって「流用」という言葉が当てられていた。パロディやオマージュといえば想像がつくだろうか。作品の置かれているコンテキスト(文脈)をずらすことで先行作品に対する何らかの批評的態度を創作意図に込めたものだ。
▼Ngram Viewer によると,cultural appropriation という単語は1972年ごろから文献で使われ始め,1980年代に増加し,2012年頃から急増したようです。
▼Oxford English Dictionary によると,appropriation という単語はもともと①「他人のものでも自分のものでも,あるものを私有財産にすること」という意味から始まり,その後,②「小教区における宗教的儀式の維持のために意図された什器と寄付金を修道会やその他の法人に移すこと」,③「何かを特別な目的に割り当てること, 国会での法案で歳入を適用すべき様々な目的に割り当てること」といった意味が派生したようです。この①の意味から「私的流用・私物化→盗用」といった意味になったのではないでしょうか。
▼ cultural appropriation の意味については,以下の記事が詳しく説明しています(この記事では「盗用」という訳語を使っていますが,おそらくこれは「流用」とすべきではないかと思います)。太字は引用者によるものです。
「文化の盗用」は昨今、学術的にも「支配的な立場にある文化が、マイノリティーの文化から、同意を得ずに比較的重要な何かを奪うこと」という否定的な意味で使われることが多い。
ただし本来の定義は、「ある文化の何かを、別の文化に属する人が自分のものにすること」だ。ビクトリア大学哲学科のジェームズ・O・ヤング教授は著書『Cultural Appropriation and the Arts(原題)』で、文化の盗用のさまざまな形態と批判を考察し、出典を示すことの重要性を強調する。さらに、「ほぼすべての文化に属するアーティストは、様式や物語やモチーフなどのコンテンツを他の文化から借用し続けており、ほとんどの場合は不当な侮辱行為とはいえない」と結論づける。
▼どのようなコンテンツでも不当な侮辱とみなされるか否かで「流用(借用)」が「盗用」になる,と言えることになります。
哲学者でサウサンプトン大学講師のニルス=ヘニス・スティア氏も、「敬意をもって注意深く文化の盗用を行った結果、美学的価値に優れ、人類に有益な作品が生まれることもある」と指摘する。ピカソはアフリカの仮面をモチーフに《アビニヨンの娘たち》などの傑作を描いた。スティア氏によれば、文化の盗用が倫理的に正しくないと見なされるのは、「権力の不均衡がある」「その文化に属するマイノリティーの同意がない」「その文化に属する人たちが間違って表現される、ステレオタイプ化される、または名誉を傷つけられる」といった場合だ。
▼「権力の不均衡」「その文化に属するマイノリティーの同意」「間違って表現されたり,ステレオタイプ化されたり,名誉を傷つけられる」という基準が挙げられていますが,難しいのはこうした基準が主観的(もしくは,共同主観的)なものであり,「ここまでは正当な〈流用(借用)〉だが,ここから先は不当な〈盗用〉である」という客観的な線引きが難しい,というのが cultural appropriation を巡る最も難しい問題ではないかと思います。
文化の盗用がすべて間違っているわけでも、正しいわけでもない。
この言葉の濫用に警鐘を鳴らし続けてきたロンドン在住のジャーナリスト、アッシュ・サーカー氏は「不完全な用語だから、よく考えて使う必要がある」と警告する。「誰が利益を得ているか」、そして「背後に存在する人々に敬意を払っているか」を考えることが必要だと説き、「少数民族の文化を引用した作品に、その民族の誰も関わっていないとしたら、それはやはり問題です」と語る。「支配的な文化は、周辺化されたマイノリティーの文化について無知のまま搾取している傾向にある、という事実は認めるべきだ。ただし、ハラスメントや人種差別と同様、された側が不快感を覚えたらすなわち文化の盗用なのかといえば、それは間違いだ」とも指摘する。「文化は目に見えない複雑な背景から生まれます。つい感情的になりがちですが、だからこそ冷静で建設的な対話が必要です」
ときに間違って使われるが、支配的な文化への抑止力になり、変化を起こすために有意義な言葉。それが「文化の盗用」なのだ。
▼それでは,今回の「黒人女性によるアスカのコスプレ」問題は,果たして「文化盗用」と言えるでしょうか。仮に,上に挙げた「権力の不均衡」「その文化に属するマイノリティーの同意」「間違って表現されたり,ステレオタイプ化されたり,名誉を傷つけられる」という基準に照らしてみれば,そのいずれにも該当するとは言えないでしょう。そもそも,アスカのコスプレは日本のアニメのキャラクターではありますが,日本文化を象徴するというわけではありません。
▼cultural appropriation という概念は「諸刃の剣」です。不当な文化流用,すなわち「盗用」を見過ごせば,マイノリティの文化の搾取が正当化されてしまいます。いっぽうで,今回のアスカのコスプレの件のように,文化盗用とは言い難いものに対して文化盗用という言葉を用いて非難することで,下手をすればいわゆる「ポリコレ棒」呼ばわりされてしまい,本当の文化盗用を非難する際にこの言葉を持ち出しにくくなるおそれもあります。
▼また,この言葉が乱用・誤用されれば,「その文化は我が国に固有のものだ。いかなることがあっても盗用は許されぬ」「外国人のくせに,なんで我が国の衣装を着てるのだ」などと偏狭なナショナリズムやエスノセントリズムを擁護することにもなりかねません。
▼最初に引用した記事には,次のような指摘が書かれていました(太字引用者)。
紅林さんは今回のケースは、文化の盗用とは「全く別の話」と考えている。
「そもそも『カワイイカルチャー』は、国内外の草の根の交流のなかで、育まれてきました。海外での『Kawaii』は、日本語の『可愛い』とは少し違い、『キュート』を超越した形容詞として使われています。今回の『文化の盗用』という主張は的外れで、黒人への言いかがりだと思っています」
紅林さんによると、黒人のコスプレが「文化の盗用」だとして中傷されるケースは、今回が初めてではないという。数年前には、「鬼滅の刃」の禰豆子のコスプレをした黒人女性も、攻撃のターゲットになった。背景には、黒人への根強い偏見や差別がある、と彼女は指摘する。
「黒人を攻撃する材料を探している人がいるんです。『黒人はいつも人種差別に反対しているのに、黒人より少数派の日本人の文化を搾取しているじゃないか』といった具合です」
▼先にも述べたように,このコスプレの件は「文化盗用」とは言い難いものです。そして,その背後には「文化盗用」という言葉を,黒人への差別を行うために自分たちに都合の良い武器として利用した可能性が見え隠れしています。「黒人がコスプレをするな」と言えばあからさまな人種差別ですが,「これは文化盗用だ」と主張することで,コスプレをした女性に対する攻撃が人種差別として受け止められることを回避しようとする意図が見え隠れしているのです。
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