昔話
▼東海道本線を走る夜行列車の「ムーンライトながら」が運転を終了することになったというニュースを見ました。
▼この列車の前身は「大垣夜行」こと,東京駅を23:25に出て大垣に朝7時頃到着する夜行列車で,さらに古くは東京発大阪行きの夜行143列車でした。これは普通(快速)列車で,急行券や特急券が不要でしたから,普通列車専用の乗り放題切符である「青春18きっぷ」で利用する人が多かったはずです。東京駅から日付の変わる戸塚駅まで通常の切符を買い,そこから先は青春18きっぷを使うことで,一日分を最大限に利用することができたわけです。
▼私も若い頃,何度か「大垣夜行」に乗りました。その中で最も印象的だったのが,「国鉄最後の日」の大垣夜行です。1987年3月31日に日本国有鉄道がなくなり,4月1日からは分割民営化されて現在のJR各社になりました。それを記念して,4月1日に日本中,新幹線自由席を含む乗り放題切符が販売されたのです。その切符を買うのも東京駅に徹夜で並んでのことでしたが,何とか入手し,戸塚までの乗車券と,通しでグリーン券を買って3月31日の大垣夜行(345M)に乗り込みました。
▼ただ,おそらく同じように考える人で混雑するはずだと思い,東京駅に18時頃に行って並びました。案の定,既に何人か前に並んでいました。
▼その後,行列が長くなり,なんと急遽,後発の臨時列車が出ることにもなったほどでした。国鉄最後の日の大盤振る舞い(?)ですね。
▼私の乗った345Mはグリーン車の通路までびっしりと人が乗り込み,立錐の余地もないほどになりました。この列車は途中までは(小田原あたりまでだと思いましたが)各駅に停車して通勤列車としても使われるのですが,通勤客も驚いたことと思います。通勤客が降りたら少しだけ空間が空きましたが,それでも通路に座ったり寝たりする人でいっぱいでした。
▼その後,快速運転になるのですが,朝になると今度は刈谷あたりから中部地区の始発列車として利用されます。そこからも人が次々と乗り込み,もはや通勤ピーク時の山手線のような混雑ぶりでした。
▼そして,ひとつ問題が生じました。この列車は名古屋駅で新幹線の始発に連絡することになっていたのですが,途中駅の乗降に時間がかかって遅延していたのです。大半の乗客が乗り放題切符の利用客で,その新幹線に乗り継ぐ予定で旅行計画を立てていたのですから,間に合わないとなるとその後の計画が全て水の泡となります(私はその一本あとの新幹線に乗る予定でしたから,それほど焦ってはいませんでしたが)。
▼すると,乗客の誰かが車掌室に行って尋ねてきたようで,アナウンスが流れました。「名古屋駅で連絡する新幹線はこの列車の到着を待つ」と。その瞬間,車内で大歓声と拍手が沸き起こりました。各駅停車の接続を待つ新幹線,というのもなかなか考えられないことです。
▼そしてどうにか名古屋駅に到着します。ところがこの345M,当時は165系という車両を使っていました。
▼この車両は急行列車用に開発されたもので,扉が車両の両端にしかついていません。新幹線に乗るためには皆,急いで降りなくてはなりません。しかし,扉は2つしかない。そこで,名古屋駅に到着した途端,車両の中程に乗っていた人が皆,窓を開け,窓から一気に降りたのです。いやはや,すごい光景でした…。
▼その後,私は新幹線に乗って小郡駅(現在の新山口駅)まで行き,山口線で津和野まで行きました。残念ながら時間帯が合わなかったので,SLやまぐち号には乗れませんでしたが。
▼「ムーンライトながら」には乗ったことがないのですが,「大垣夜行」というと,この時のことが非常に鮮やかに印象に残っています。あれからもう34年も経つのですね。「ムーンライトながら」に使用されている185系もこの3月で定期運用から退くとのことです。幼い頃から知っている車両が姿を消すのはとても寂しいものです…。