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「リアリティ番組」という〈虚構〉

悲しい出来事

▼先日,『Terrace House』に出演していたプロレスラーの木村花さんが自ら命を絶つという痛ましい出来事がありました。番組内の木村さんの言動に対するSNSでの誹謗中傷が後を絶たなかったことを苦に命を絶った,という見方が有力のようですが,本当のところはわかりません。

▼ただ,私自身,演技を学ぶ者として,また,以前テレビでほんのわずかな時間とはいえレギュラーのコーナーを持っていた身として,彼女の死は決して他人事ではありませんでした。彼女が受けた誹謗中傷ほどではないにせよ,私自身も番組に出ていた時には匿名の言葉の暴力に晒されたこともありますし,その後も,番組とは関係なく,TwitterなどのSNSで自分に向けられた悪意ある言葉やからかいの言葉を受けたことがありますから,その恐ろしさや不快感は十分承知しています。

▼残念ながら世の中にはあちこちに悪意が存在して,こちらが何をしようとイチャモンをつけたり,マウンティングしたり,誹謗中傷をしてきます。匿名性が高いSNSでは尚更のことで,訴訟を起こす時間的・金銭的コストを考慮すると,大半が泣き寝入りの状態です。また,「悪意」と書きましたが,実際にはそれが「正義感」であることも多く,「人間として許せない」などとまるで自分が正義を体現しているかのように誹謗中傷を行う人も多くいます。

▼「誹謗中傷されるのが否ならSNSを使わなければ良い」という意見もあるかもしれませんが,それは「道を歩いていて通り魔に襲われたくなければ外を出歩かなければ良い」と言っているようなものです。私自身は,仕事に関係した告知・宣伝を行うことを考えれば実名で行うのが筋だと考えていますからSNSを実名で利用していますが,だからといって「全ての人が実名で利用すべきだ」と主張するつもりはありません。実名を公開することでストーカーなどの被害に遭う人もいるでしょうから,匿名やハンドルネームを使うことはそれ自体,悪いことではないと思います。問題は,その匿名性を利用し,自分の「正義」を疑うことなく行使したり,「悪意」をぶつけることをあたかも娯楽のように行う人々の存在です。これについて,プロバイダ責任制限法の法改正を行って情報公開をスムーズに行うようにすべきだ,という意見が与党から出始めてさえいますが,それはまた個人情報の不正利用や政治家への批判の封じ込めといった別の問題を含んでいますから,慎重に判断すべきことです。

「リアリティ番組」という虚構

▼今回の事件の背景には,いくつかの複雑な要因が絡み合っているように思えます。もちろん,誹謗中傷した人間が最も悪質ではありますが,それ以外にも,番組制作者の側の問題点が大きな要因だったと思います。そのうちの一つが,「リアリティ番組」という番組の在り方で,第一に,本来はフィクションであるはずの番組が「リアリティ番組」という名前であたかも筋書きがないかのように見せかけられていること,第二に,出演者が本職の俳優ではないこと,第三に,SNSによって番組の内容への誹謗中傷が出演者に直接ぶつけられたこと,などが具体的な問題として挙げられます。

▼この番組は2012年10月から放送が開始されましたが〈素人の恋愛の物語を軸に,芸能人が司会進行を務める〉というスタイルとしては,おそらく,同じ局で過去に放送された『あいのり』(1999年10月~2009年3月),そして『ねるとん紅鯨団』(1987年10月~1994年12月)の流れを受け継いでいるのではないか,と思います(スタッフは異なるかもしれませんが)。これらの番組の中では素人のアドリブ的な要素やハプニング的要素もあったでしょうが,最終的にどの映像を使うかは制作者の一存で決定されたはずですし,仮に明確な台本がなくとも流れはある程度決まっていて,それに基づいて演出や演技指導もなされたはずです(実際,そうした報道もなされています)。

▼一般に,意識的に演技をするのは難しいことですが,大まかな条件さえ提示し,あとは自然にふるまうように指示を出しておいて延々と撮影し,その中から制作者の筋書きに合った場面だけを拾い集めることで(または,筋書きに沿った場面を撮れるまで何回か取りなおすことで)番組を作ったのではないかと思います。

「素人」の役者を起用する理由

▼では,なぜそのような作り方をしているのでしょうか。第一に考えられるのが,出演料の問題です。有名な俳優を起用すればそれだけ高額な出演料がかかりますし,事務所の兼ね合いなどもありますから人選が難しいところですが,他に本業があっても役者としては素人の人間を起用すればそうした問題はクリアできます。出演料を抑えられれば,スポンサーに対しても良い顔ができますし,制作者側の取り分も大きくなります。

▼第二に,役者としては無名の人々を起用することで,この番組のメインコンセプトである「リアリティ」を出すことができる,と考えたためでしょう。もし,全員,プロの役者を使ったとしたら,いくら「台本がない」と主張しても「役者だから演技が上手なのだ」と視聴者は判断します。しかし,本業が別にあるけれど役者としては素人の人々を起用することで,たとえ演技指導が裏で入っていたとしてもそれを表に出さない限り,「これは演技ではなく本物なのだ」と感じさせることができるわけです。

▼演技の難しいところは,演技ではあるけれど,いかに自然に見せられるか,ということです。優れた役者の演技は,演技であることを忘れさせるほど自然なものに見えますが,一方では,視聴者はそれが「演技」であることを承知して見ています。たとえば,凶悪な殺人犯を演じた役者を本物の殺人犯だと思うことは普通はありません(中には演技を本物と信じ込んでテレビ局にクレームを入れる人もいるようですし,憎まれ役を演じた役者がその後も嫌がらせを受けた,という話もありますが)。

▼しかし,初めから演技をする必要がない素人が「素」のままに話したりふるまったりしている様子をまとめて撮影しておき,それをあとから制作者の頭の中にあるシナリオに沿って編集すれば,「いかにも」リアリティあふれる映像になります。しかしながら,そもそも,どのような映像も,切り取った時点で「フィクション」になります。純然たる100%のノンフィクションは存在しえないのです。

▼残念ながら,本当は演出があったにもかかわらず「素人によるリアリティあふれる映像」という触れ込みで作られた番組を見た視聴者は,それが「演技」ではなく「素」のままのふるまいだと勘違いします。今回の木村さんに限らず,この手の「リアリティ番組」で誹謗中傷を受けた人々は,そうした番組で視聴率を稼ごうとした制作者側の思惑の犠牲となったと言っても過言ではないでしょう。

▼そして「素人が素のままの自分でふるまっている」と思わせることで,視聴者との距離を縮める働きが生まれます。特に,恋愛を扱った内容では出演者の心の動きが視聴者の共感を(そして反感も)呼ぶことが重視されます。恋愛を扱っているにも関わらず,何の起伏もなくただ淡々と最初から最後まで話が順調に進んでしまえば視聴者は見る気をなくしますから,何らかの「アクシデント」が求められます。今回の件では「大切なリングコスチュームを勝手に洗濯されて乾燥機にかけられて縮んでしまったことを木村さんが怒った」というのがそれにあたります。

▼さらに,SNSの発達により,視聴者が出演者に対してダイレクトに感情をぶつけることが可能となってしまいました。インターネットが発達する以前の番組ならば,内容に対するクレームは原則としてテレビ局にぶつけられました。また,SNSが発達する前であれば,掲示板などに不満を書き込んだだけで済んだことでしょう(もちろん,それはそれで大きな問題ではありますが)。しかし,木村さんのようにプロレスラーとして別の本業で活躍している人は,自身のSNSを使って本業の宣伝をする必要がありますから,そこに「素人が素のままの自分でふるまっている」と勘違いした人々が押し寄せ,その匿名性をいいことに誹謗中傷を行ったと言えるでしょう。

▼「リアリティ番組」という虚構で視聴率を稼ごうとした番組制作者側の思惑と,その思惑にまんまとはまって暴走した匿名の「悪意」もしくは「正義」たちの存在,さらに,SNSで視聴者と出演者の距離が縮まったこと,これらが一体となって,木村さんを襲ったと言えます。

▼なお,当然ながら,素人ではなく本業の役者や芸能人ならば誹謗中傷しても構わない,という考えも間違いです。「有名税」という言葉がありますが,これは「有名人ならば稼いでいるのだから,それくらいのマイナスがあっても良いのだ」という勝手な思い込みのことであり,「ねたみ,やっかみ」を正当化するための言葉に他なりません。

▼先に述べたように,役者には「演技ではなく,自然なふるまいであるかのように見せること」が求められます。そして,物語には,見る側の心を揺さぶる感情表現を行うことが求められます。その意味では,視聴者の心をえぐるような表現をすること自体は間違っているとまでは言えないでしょう。もし,それすらも否定してしまえば,一切の芝居は成り立たなくなりますから。

▼ですから,視聴者自身も,映像の中の世界が「素のままの/ありのままの世界」だと単純に受け止めることから脱却し,「リアルに見えても映像化された時点でそれは〈虚構〉なのだ」という姿勢,いわば「リテラシー」を身につける必要があります。一方,制作者の側は,演者たちに誹謗中傷が及ばぬように最善を尽くす必要があります。制作者が「視聴率を稼ぐために素人を使うことでリアルさがあるように見せかけ,それが炎上しても止むを得ない」という姿勢を持ち続ける限り,今後も木村さんの一件と同じような悲劇が繰り返されることになります。

▼末筆ながら,木村花さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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