入試問題出典分析[番外編]:難関大学の「古典回帰」傾向について
▼私は2016年から毎年,この時期になると各予備校が発表する大学入試解答速報を見て,入試に出題された英文の出典を調べ,Twitter で #入試問題出典分析 というタグをつけて投稿しています。
これまでのツイート
※2019年度からツリー形式で投稿しています。
【2023年度】
【2022年度】
【2021年度】
【2020年度】
【2019年度】
※2016年度~2018年度はツリー形式になっていないので,Twitter で「#入試問題出典分析 2016年度」のように検索してください。なお,調べた全ての大学について投稿しているわけではありません。
▼こうして毎年定点観測する中で,ここ数年,ある傾向が存在することに気が付きました。それは,いわゆる難関大学において,かなり古い年度の文献を出典とする英文が目に付くようになったということです。「かなり古い」という言い方は漠然としていますが,「出題された年のおよそ半世紀以上前」と捉えれば良いと思います。
「あっさり」と「こってり」
▼インターネットが普及して以来,大学入試に出題される英文は大きく変わりました。それは,以前ならば「時事英語」と呼ばれて特殊なジャンルとして扱われていた,新聞や雑誌などのニュース記事からの出題がむしろ主流となった,ということです。これは,ネットの普及によりそうした記事に触れる機会が大きく増えたことが原因でしょう(それまでは英字新聞や英語雑誌をわざわざ買わねばなりませんでしたから)。
▼新聞や雑誌などのニュース記事からの出題が中心になると,新しいテーマの英文が次々に出題されることになります。ここ数年でも,コロナ関連,人工知能,ロボット,宇宙開発など最先端の話題が次々に出題されてきました(さらに言えば,自由英作文でもそうした新たなテーマに関連した問題が出題されています。ということは,そうした新しいテーマの英文を読むための語彙力や一般常識程度の背景知識が必要になる,ということでもあります)。
▼また,文部科学省が数年前から推進してきた「大学入試改革」により,センター試験が共通テストに変わり,一次試験が「易しめの英文を大量に読ませ,情報処理能力を試す試験」になりました。
▼新しいニュース記事も共通テストのリーディング問題も,英文はどちらかと言えば「軽め」で文構造もそれほど入り組んでいないものが多く,味にたとえると「あっさり」したものと言えます。しかし,そうした「あっさり」した英文ばかり読んでいると,文構造が複雑で内容が重厚な「こってり」した文語体の英文(いわゆる「洗練文語体」)の文章を受験生や高校生が読む機会は少なくなります。一般に,ただでさえ「難しいもの」や「複雑なもの」は敬遠されがちなのに,大学入試で出題されなくなれば,余計に受験生や高校生から「こってり」した英文は遠ざかり,さらには「大学に入るのにそうした英文を読む必要はない」という誤った判断を下してしまう恐れがあります。
▼大学入試問題には,大きく分けて二つの側面があります。一つは,高校までの学習内容の習熟度を測るという側面。そしてもう一つは,大学入学後に必要とされる能力があるかどうかを測るという側面です。「あっさり」した英文を使えば前者を測ることはある程度できるでしょうが,その結果,大学に入ってから古典的な「こってり」した英文が読めない学生が増加することにもなりかねません。
▼ところで,大学で学ぶ学問は特許と似たところがあります。「こんなすごいことを発見した(思いついた)!」と思っても,実は何百年も前に誰かが既に見つけたり言ったりしていたことかもしれません。先人の偉大な業績を知り,その「巨人の肩の上」に立ったうえで,自分の見解を構築しなくてはなりません。
▼特に日本では「人文知」が非常に軽んじられてきました。特に,ここ数年はその傾向に一層拍車がかかっています。しかし,そのことが日本における科学技術の衰退の大きな要因にもなっています。
▼また,Steve Jobs が言うように,テクノロジーが成功を収めるためにも,人文知が必要です。
▼ですから,先人たちの肩の上に乗るためにも,そして,人文知やリベラルアーツを習得するためにも,大学では先人たちの書いた「こってり」した文章を読むことができなくてはなりません。そして,このような状況の中で,大学入試においてもこれまで隅に追いやられつつあった「こってり」した古典的な英文を読むことへの復権が図られても決しておかしくはありません。
ミル『自由論』の衝撃
▼2023年度の入試で,Twitter上でちょっとした話題になった問題がありました。その問題とは早稲田大学国際教養学部の第1問で,出典となった英文がなんと1859年に出された John Stuart Mill の "On Liberty" (1859年) からであったためです。
▼この試験は大問3問構成で,さすがにミルの英文だけが出題されたわけではありません。他の大問2問のうち1問は1984年の英文,もう1問は2014年の英文でした。とはいえ,1984年度も40年近く前の英文ですから,「古典」とまでは言わないにしても,古い英文であることに変わりはありません。
第2問 Evelyn Fox Keller, A Feeling for the Organism, 10th Aniversary Edition: The Life and Work of Barbara McClintock, Henry Holt and Company, 1984/02/15
第3問 Farzad Sharifian, The Routledge Handbook of Language and Culture, Routledge, 2014/12/17, pp.465-467
過去7ヵ年の古典的英文からの出題例
▼さて,2017年度から2023年度に,出題された年より半世紀以上前の英文が出題された例をまとめてみました(ここに挙げたのは私が調べたものに限定されますから,他にも出題されている可能性はあります。また,2023年度は今後追加する場合もあります)。
▼特に注目すべきは,上で太字にした問題です。2019年度札幌医科大学前期日程・第1問で出された Viktor E. Frankl, Man's Search For Meaning は1946年の本で,ユダヤ系の精神科医であるヴィクトール・フランクル(1905年3月26日-1997年9月2日)がナチスによって強制収容所に収監され,そこで経験した「常に死と向かい合わせの理不尽な状態」をもとに生きる意味について考察し,『夜と霧』という題で邦訳もなされた非常に有名な著作です。
▼フランクルについては以前,note の記事に書いたものがありますので,こちらもご覧ください。
▼2020年度慶應義塾大学法学部の第5問で出された Walter Benjamin, The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction は1935年の本で,『複製技術時代の芸術作品』(又は『複製技術時代の芸術』)という題で邦訳も出されています。著者のヴァルター・ベンヤミン(1892年7月15日-1940年9月26日)はドイツの思想家で,本書の中では複製技術時代の芸術作品の特徴として「アウラ(オーラ)」が欠けていることを指摘しています(現代のAIで作られた作品をベンヤミンが見たら,どう思うでしょうか…)。
▼2021年度の慶應義塾大学理工学部第2問では,George Orwell, In Defence of English Cooking という1945年に書かれた英文が出題されました。これはイギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903年6月25日-1950年1月21日)によるエッセイです。オーウェルといえば,動物たちを主人公にして全体主義の恐怖を描いた風刺小説の "Animal Farm" や,言語や思考まで管理される近未来を描いたディストピア小説 "1984" が有名ですが,オーウェルの英文は昔から時折出題されていて,拙著『ぐんぐん読める英語長文 ADVANCED』にも1941年に書かれた "England Your England" というエッセイを引用しています(UNIT 2)。
▼そして,2023年度には早稲田大学国際教養学部第1問で先に挙げたように John Stuart Mill, On liberty(1859年)が出題されました。これは,私の知る限りですが,ここ30年ほどの間で出題された中で最も古い英文ではないでしょうか。
▼早稲田大学文学部第1問Bでは Ernst Cassirer, The Myth of the State が出題されました。著者のエルンスト・カッシーラー(1874年7月28日-1945年4月13日)はドイツの哲学者で,人間を「シンボリック・アニマル」ととらえ,人間が動物とは異なり意味のあるシンボル(象徴)体系を作って世界とかかわりをもつと主張したことで知られています。今回出典となった "The Myth of the State"(邦題『国家の神話』/『国家という神話』/『国家と神話』)では,20世紀の全体主義体制が運命の神話と非合理主義によってシンボル化されたものであることを説き,ナチスなどの全体主義的国家を批判的に考察しています。今,日本という国が直面している問題も,この指摘と無関係というわけにはいかないはずです。
▼慶應義塾大学商学部第6問[44]では,Eleanor Roosevelt, What Libraries Mean to the Nation が出題されました。これは1936年4月1日にエレノア・ルーズベルトがある会合で行ったスピーチです。彼女の夫は第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトで,夫の死後,国連の人権委員会委員長に任命され,1948年に世界人権宣言の起草に貢献しました。若い頃からリベラル派として人権や表現の自由,思想の自由を擁護してきました。
▼慶應義塾大学商学部第6問[47]では,Peter Ferdinand Drucker, Management: Tasks, Responsibilities, Practices が出題されました。これはユダヤ系オーストリア人でアメリカ合衆国の経営学者であり,「現代経営学の父」「マネジメントの父」と呼ばれるピーター・ドラッカー(1909年11月19日-2005年11月11日)が1974年に出版した本からの引用です。
古典を読むことの意味
▼ここに紹介したのはいずれもそれぞれの分野における「知の巨人」です。何十年経っても,彼らの著作は大きな影響力を持ち続けています。また,ヴィクトール・フランクル,ヴァルター・ベンヤミン,エルンスト・カッシーラー,ピーター・ドラッカーは皆ユダヤ系で,ナチスの全体主義から迫害されたり,迫害から逃れるために生まれ故郷を追われたりした人々です。そして,ジョージ・オーウェルとカッシーラーは,全体主義批判という点で共通しており,エレノア・ルーズベルトも人権を擁護し続けました。入試問題をきっかけに,こうした「知の巨人」の人生や思想に触れ,全体主義の恐ろしさや人権の重要性について学ぶことは非常に大切で,現代を生きる私たちが常に考え続けねばならないことです。現代を見つめる視点としても「古典」を読むことは大いに意味があります。出題者もきっとそうした望みを持っているのではないでしょうか。
▼「古い英文は難解で構造が複雑で,今どきそんな英文は読む価値がない」などと考えるのは,彼らの思考を辿ることを放棄することに等しく,知的誠実さに欠けた考え方だと言えます。大学入試における「古典回帰」が,大学で学ぶために必要な知的誠実さを養う礎石となることを願っています。
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