用賀の歴史を商店街から学ぶ #YSF017
用賀商店街って、実は日本随一の革新的な商店街だって知ってました!?
6/13は、用賀サマーフェスティバルの全体ミーティング!キックオフから1ヶ月、総勢73人の我々も少しずつまとまってきた頃でしょうか。
この日は用賀商店街(正式名称は用賀商店街振興組合)の小林理事長・杉本副理事長をお招きし、ミニ講義、その名も「用賀特論」を開いていただきました!用賀サマーフェスティバルは学生主体ですが、備品や運営の手配などで切っても切り離せない関係であるのが商店街さん。精神的にも深く支えていただいています。
用賀に愛されるお祭りを目指す我々。そのためには、もっとまちのことを知らなければ!ということで、用賀を学ぶには用賀商店街から!
今回のnoteでは、小林理事長から伺った貴重なお話をまとめます。
用賀商店街の歴史
昔の用賀は今の二子玉川みたいなターミナルとなる場所で、もっと賑わっていました。大山街道という通りが用賀を通っていて。雨を降らす神様を祀った大山神社が丹沢にあるんですが、そこを目当てに来る人が街道の用賀を通り、随分人がいたんです。
江戸時代が最盛期だったそうで、訪れる人が泊まる宿や、休憩する茶屋が商店街の基礎となりました。そこから昭和時代に至るまで盛んになります。
厳しい状況になった商店街とYSF
大店立地法という法律が成立してから大型スーパーなども増えて、商店街の活気は落ち込んでしまいました。そこから今日も厳しい状況になっています。
そんな中、我々で70年くらい続いている盆踊りがあるんですけど。それは、屋台をやって、踊って、つつがなくやっていたんです。そこに来たのが新井くん(たすくさん)ですね。
そして、お前ら若いもんもやってみろよと始まったのが用賀サマーフェスティバル(=YSF)です。YSFは19年目で、私が理事長に就任したのも19年前。ずっと見守らせてもらっています。
初期のYSFはひどかった(笑)
正直、初期のYSFは学祭の延長という感じで、自分たちが楽しめればいいイベントだった。当日、代表が話もできないほどベロベロだし(笑)この状況で事故があったらどうすんだって感じです。
少しずつしっかりしてきて、責任も取れるようになって、NPO法人neomuraになったのは10年くらいたってからですね。今はすごいイベントになって、7月に商店街主催の夏祭りもありますが、どっちが商店街主催かわからなくなってるほどの熱気です。
「オールようが」で盛り上げましょう
ということで、去年からはみんなでこの用賀という街を作っていこうよ!という取り組みが始まりました。「オールようが」と呼んでいます。新井くんも関わっているので、皆さんも協力してほしいです。
商店街やYSFという枠を取っ払って、3万7000人が住んで7万人が駅を利用する「用賀」というくくりで、一丸となって街を作っていけたらいいなって思っています。商店街の自慢はなんと言っても信用。物を売る場所というところを超えて、防犯カメラやAEDの設置など、まちの人々が安心安全に暮らせるようなお手伝いをしてきました。これからもしていきたいし、そして楽しい街にしたい。皆さん、これからもよろしくお願いします。
みんなの感想
まとめ
昔ながらの地道な役割を守りつつ、新しいチャレンジも探求している用賀商店街さん。
用賀の大先輩による貴重なお話、大学生も高校生もスクールパートナーも、しっかり聞かせていただきました。
たすくさん曰く、商店街の皆さんには「たくさん怒られながら育ってきた」そうです。今までのように、これからもたくさんお世話になります。
用賀商店街さんと共に歩む用賀サマーフェスティバル、引き続きよろしくお願いします✨
編集 : なつみこ
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