吉田寮は、第三高等中学校の寄宿舎(京都大学創立2年後の1889年に建てられた)から建物を譲り受け、1913年に京都帝国大学の学生寄宿舎としてキャンパス内に再生された。
それ以来100余年、数度の火災による一部消失・建替えを経つつも、竣工当時の姿を残して今日に至っている。2001年に東京大学の駒場寮が取り壊されてしまって以来、日本最古の大学寄宿舎の学生寮となっている。

イラスト

建築面積が2000平方メートルを超える大規模木造建築。全体がフォーク形で、東西に長く延びている。
フォークの付け根にあたる部分は、共同スペースが集まる平屋の管理棟で

・玄関(受付)
・トイレ
・大部屋(旧印刷室)
・ゲーム部屋
・事務室(マンガ部屋)
・茶室
・ビリヤード部屋

などがある。
その管理棟から北寮、中寮、南寮と呼ばれる3棟が南北に並列し、2階建ての居室が70メートル以上に渡って東西に伸びている。
部屋はすべて和室で、8~10畳が26 室、6~7.5畳が95室。大学当局の定めた定員は147人だが、私たちがいたころは200人近くの住人がいた。

原則として個室はなく、居室はすべて相部屋。
入寮して2年以上相部屋生活を送れば個室使用権利を得られ、最も狭い6畳が多い中寮2階が利用された時期があったが、その後、入寮者増加により撤廃された。
寮では、相部屋による勉学集中の弊害解消の対策として、南寮・中寮・北寮各棟の各階管理棟側に近い一部屋を「勉強部屋」にあてていた。

私たちは最初の居室として、北寮の勉強部屋に住むことになるのだが……

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