高い環境意識
吉田寮に入寮する前に、当時の執行委員長だったY君が寮の生活システムの案内をしてくれた。
初めて訪れた時に案内してくれたI君同様、Y君の説明も寮への愛情が伝わってくる丁寧なものだった。
当時はようやく牛乳パック回収が始まった時代。「環境市民」というNGOで活動し始めていた私は、彼らの環境問題に対する意識の高さに感心して聞き入った。
可燃ごみは焼却炉、生ごみは中庭に掘った穴に埋めて堆肥化、大量の酒瓶は酒屋に戻してリユースと、分別を徹底。中寮裏には「大型ごみ置き場」が設けられていたけれど、1日も経つと誰かが持ち帰る。滅多に見かけたことはなかった。
後に話題になる、江戸時代の循環型リサイクル社会を思わせるシステムだった。(※)
炊事場で出た生ごみは一旦ポリバケツに入れ、溜まったら気づいた寮生が中庭の「生ごみ穴」に捨てに行く。この穴は年に2回行われる「油引き」のときに新たな穴が掘られ、更新される。
水質汚染にも神経質なくらい配慮していた。
水俣問題を受けて、寮内で使う洗剤は「しらぬい」という粉石けん。寮自治会を経由し、厚生部の「せっけん局」を通して購入する。
炊事場に置かれた粉石けんは水分で凝固して使いにくい状態だったけれど、食器洗いなど生活全般で使われた。
不要な電気もこまめに消したり裏紙を再利用するなど、今では普通になっていることを彼らはすでに実践していた。
焼却炉は後にダイオキシン問題により廃止され、ペットボトルやレジ袋が普及し始めてからは厄介になる。新品を買うことなど滅多にない彼らが譲り受けてくる中古も増していき、やがて3平方メートルの大型ごみ置き場から溢れ出すようになる。その処分に生じる費用が今後の当局との交渉案件になるのを懸念し、やがて寮生自ら定期的に分別して減量に努め始める。
またその頃、京都市が大型ごみを有料化し始めたことで、近隣の格好のごみ捨て場にされるようになる。溢れたごみが新たなごみを呼ぶことに気付いた寮生は、寮から大型ごみを出さない強行策に出る。
当局が年1回の回収に来る時まで居室から出してはならない、……と一旦は決めるも、半期に一度入退寮生の移動があるから機能しない。寮内は徐々にごみ屋敷化していくことになる。
※
『日本の江戸時代は循環型社会だった』
https://www.japanfs.org/sp/ja/news/archives/news_id027225.html
『最も大切な環境とは?―江戸の暮らしに学ぶ』
https://www.japanfs.org/ja/projects/sus_college/sus_college_id033231.html