見出し画像

フォークソング運動のノート20230109

粟谷佳司「限界芸術論からのメディア文化史」「メディア・コミュニケーション」慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 2011年 

 これは、鶴見の文化論においてほとんど言及されることのない音楽(流行歌、大衆音楽)を中心としたものであった。それを60年代後半から70年代前半の関西フォーク運動における鶴見論の展開として片桐ユズルや岡林信康らの関西フォークの実践から考察したものである。 

 また、鶴見の勁草書房版の『限界芸術論』において流行歌、替え歌に関する論考(「流行歌の歴史」)が収録されていたのが、その後に再編集された「限界芸術論」に関する著作においてはそれが省略されていることにより、鶴見の「限界芸術論」と「大衆芸術」の関係が見えにくくなっているということを指摘した。 
 これからその続編として、鶴見の60年代(同志社大学教授時代)の著作活動と大衆文化との関係を歴史社会学、文化社会学の方法により分析していく。


鶴見俊輔「いくつもの太鼓のあいだにもっと見事な調和を」 

 これは、鶴見の1960年5月から6月の記録である。 
 ここには竹内好が大学を辞したこと、ちょうど自らが東工大を辞したころの状況が記されている。 
 そして、ここで注目したいのがそのタイトルである。この「調和」というのはアンサンブルということで音楽的メタファーが有効に働いている。いくつもの太鼓が調和するというのは大衆運動を比ゆ的に表現しているものと思われるが、運動のさまざまな太鼓が見事に調和することによって「声なき声」が「かたち」になるということだろう。「調和」というのは、まさにジャズ、ポピュラー音楽の主題でもある。 
  
 鶴見の音楽に関する直感的なメタファーは、彼がポピュラーな文化を実感として自ら取り込んでから評論していることをよく表しているのである。 

 ポストモダンなディコンストラクションより、モダンの「もっと見事な調和を」に惹かれる。 

 このメモは、執筆中の著書の一部になる予定。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?