ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』を読む その3
新書関係で朝の研究
「...これは、古くから存在する問題、技芸(アール)とはなにか、あるいは「もののやりかた」(マニエール・ド・フエール)とはなにか、という問題にさかのぼることである。ギリシャ人の昔から、カントをへてデュルケームに至るまで、人々は長いあいだ、いま問題にしているような操作を説明できるような複雑な(単純とか「貧弱」とかけっして言えない)型式をあきらかにしようとつとめてきた。こうした見方にたてば、「民衆文化」なるものは、いわゆる「民衆」文学もそうだが、ちがった相貌をみせてくる。そもそも民衆文化というのは、これやら、あれやら、何かをしようとするときの、その「やりかたの技芸」として定式化できるもの、すなわち、いろいろなものを組み合わせて利用する消費行動として言い表せるものなのだ。このような実践には「民衆の」知恵(ratio)がはたらいており、行動のしかたのなかにおのずと考えかたがふくまれ、ものを使いこなす術とものを組み合わせる術とがわかちがたく結びつきながら発揮されているのである。」
ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』ちくま学芸文庫、2021年。
ここで「行動のしかたのなかにおのずと考えかたがふくまれ」はune manière de penser investie dans une manière d’agir,
英訳はa way of thinking invested in a way of acting,
術はun art
ここでも「もののやりかた」としての行動(行為)が技芸artと同じように使われていることがわかる。
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