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ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』を読む その2

新書原稿の注を作成しながら朝の研究。

ミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』の中のいくつかの記述から考える

セルトーは民衆のオペレーションから何を語ろうとしていたのか。フランス語(英訳)テクストを対照しながら読むことでセルトーが何を考えていたのかの一端がわかる。

セルトーが民衆が実践を行う場として考えていたのが、vie quotidienであり、注で参照していたのが空間の社会学者アンリ・ルフェーヴルであった(『日常生活批判』)。

あるいは、邦訳では組織網のオペレーターとなっているopérateurs de réseaux は現在ではネットワークのオペレーターと訳すと理解が深まると思われるが、民衆(大衆)の実践が何を行うのかということがフランス語(と英訳)を読むとわかりやすくなる。
また邦訳では「料理法という戦術」となっているところは、フランス語ではtactiques de  l’art culinaire であり、英訳もthe tactics of the art of cookingである。つまり法ということでセルトーのいう技芸が少しわかりにくい訳になっている。ここはartとactを考えることが有意味となろう。なぜならセルトーはここで、ミクロ社会学者アーヴィン・ゴフマンやエスノメソドロジーを取り上げて参照しているからである。空間における民衆の実践はart(芸術というよりも行為の分析が行われている)としてネットワークの関係の中で行われていると解釈出来ると思う。
つづく

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