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ベンゾジアゼピン減断薬 - 離脱症状のサイバー心気症的側面 3 [Free full text]
3. 葛藤の揺籠
(5) オンラインコミュニティ概観
ベンゾジアゼピン減断薬・離脱症状に関するオンラインコミュニティはTwitter(現X)やFacebookのようなSNS、LINEのオープンチャット、5ちゃんねるのような匿名掲示板、当事者が集まるオンラインフォーラムなど、様々な形態でインターネット上に存在する。
ベンゾジアゼピンの減断薬に関わることがある医療者ならばそのいくつかを覗いてみるべきだ。おそらくは自身の臨床観と患者さんの訴えとの隔絶を埋めるミッシングリンクをみつけられるはずだ。オンラインコミュニティには、現代における減断薬治療において不可欠な(だと僕は考える)離脱症状と偽性離脱症状の鑑別診断の手がかりが散在している。
これらのコミュニティは基本的には当事者同士の情報交換の場である。精神科医が読んでも勉強になるような「患者から見た精神科薬物療法」の断面の優れた記述がみつかることもあるが、多くの場合は医学情報の曲解や拡大解釈、または誤情報のエコーチェンバーと化している。「我が身の不幸は全て精神科を受診したために起きた。何もかも精神科医の所為、処方薬の所為、離脱症状の所為」という主張が無批判に受け入れられる場所だ。医師から否定され続けてきた人たちにとってこれほど魅力的な場所は無いだろう。
ROM(Read Only Member)が多いが、特定少数の参加者の発言は活発で、日に数十回の投稿をする剛の者もいる。
参加者は「否定されないこと」に喜びを感じ、自らの苦痛を吐露して、主治医への不満を憚ることなく表明する。過激な発言が大いに称賛される全肯定の空気感はQアノンや反ワクチンを論ずるネットコミュニティと酷似していて、当然ながら陰謀論との相性も悪くはない。じっさい「製薬企業の利権」「アメリカの陰謀で日本はベンゾの実験場にされている」あたりは一部のベンゾジアゼピン減断薬コミュニティにおける頻出フレーズだ。
ベンゾジアゼピン系薬物の処方に伴うリスクについての認識を高めることを目的とした、アメリカ合衆国に拠点を置く非営利団体「Benzodiazepine Information Coalition」のウェブサイトに、医師でありベンゾジアゼピン依存の当事者でもあるDr. Christy Huffのブログエントリー「Internet support forums for benzodiazepine withdrawal: the good, the bad, and the ugly(ベンゾジアゼピン離脱のためのオンラインフォーラム:良い面、悪い面、そして課題)」が転載されている。
その「悪い面」の日本語要約を以下に示す(Huff医師はオンラインフォーラムの良い面も、悪い面があるにも関わらずオンラインフォーラムが存在してしまう背景についても述べている。関心がある方は原文に当たっていただきたい)。
ソーシャルメディアの普及により、患者たちが処方薬の離脱体験を共有し比較できるようになった。医師でありベンゾジアゼピン離脱症状を経験する当事者でもある私がベンゾジアゼピン離脱のオンラインサポートフォーラムを利用する中で気づいたことについて述べてみたい。
フォーラムは命綱になる一方で、デメリットにもなる。至る所で苦痛が呟かれ、それが参加者のさらなる不安を惹起する。参加者の多くが深刻な症状に悩んでおり、フォーラム内には恐ろしい体験談が溢れている。長く読み続けると絶望感が広がる感覚に襲われる。混乱し、易刺激的で、攻撃的・被害的なメンバーもいて、論争が起こることも多い。
フォーラムで目にする医学的助言の中には、時折ぞっとさせられるものもある。そのような助言をすることは厳密には禁じられているはずだが、それでも行われてしまう。良い助言もあるが、命に関わりかねない内容のものもある。特に精神的に不安定で判断力が低下しているメンバーにとってその違いを見極めることは難しく、誤った助言に従ってしまうリスクが高い。
多くのフォーラムメンバーは医療機関に対して、ベンゾジアゼピンの離脱症状やそれを否定される経験のために怒りの感情を抱えている。反医療的な態度をとるようになってしまう当事者もいる。
私の友人はMRSA肺炎を発症し抗生物質を処方されたが、複数のフォーラムメンバーが彼女に、抗生物質を避け代わりにコロイド銀を飲むことを勧めた。幸いにも彼女は医師の指示に従って抗生物質を服用したが、メンバーがフォーラム内での助言に基づいて必要な医療ケアを受けなくなってしまうようなことがあればそれは最悪の事態である。
https://www.benzoinfo.com/2019/01/24/internet-support-forums-for-benzodiazepine-withdrawal-the-good-the-bad-and-the-ugly/
Huff医師が述べるベンゾジアゼピン離脱のためのオンラインフォーラムの"the bad"は、そのままわが国のベンゾジアゼピン減断薬ネットコミュニティのダークサイドでもある。
自身の心身の不調の原因を探る人が一方的にネット検索を行うだけでもサイバー心気症を呈することがあるのだ。双方向のコミュニケーションが可能なSNSやオープンチャットで不安を抱えた人たちが交流することで、自身の状態が深刻で、それはすべてベンゾジアゼピンとそれを処方した医師の所為であるとなかば確信してしまい、混乱と不安が増強される可能性は否定できないだろう。
実際のところ一部のコミュニティでは、古参の参加者によって新規参加者に事実上の「診断」が下され、かなり具体的な治療的教示が行われている。全ての参加者がその診断や助言を頭から信じているわけではないだろうが、少なくともその場においては強い反論や疑問が呈されることは稀だ。
先達は後進の悩みを肯定して受容し診断と対応策を授け、後進は先達の方針を肯定して恭しくそれを承る――それはあたかもコミュニティへの参入のイニシエーションのようだ。医者から意に沿わない扱いを受けていた人たちがそこで初めて「不適切な処方によってベンゾジアゼピン依存を呈し離脱症状に苦しむ被害者」として受け入れられアイデンティティを得ることになる。
コミュニティは議論の場ではない。
否定されることへの脆弱性の裏返しとして、コミュニティのモードとなる意見への反論は無視され排除(ブロックや強制退会)され、排除された参加者は新たに自分のコミュニティを作る。どのコミュニティも絶対的な相互肯定を前提としているので構造的に分派を繰り返すことになる。大きなコミュニティでも構成員は数十、活発に発言するのは数名に限られることが多い。どのコミュニティの主張も端から見ると大差は無いように思われるが、わずかな意見の相違も受容できない参加者からすればセクト化は必然なのだろう。
減薬外来を受診する患者の多くは、医療によって否定され、オンラインコミュニティで「受容」という救済を得たものの、しかし苦痛は増すばかりで改善しない現実に直面して再び医療に頼ることを考えた人たちなのである。
彼らは依然として医療に対する不安と葛藤を抱えている。治療者としては、このような背景を把握した上で、医療とネットコミュニティの双方に対して両価的な感情を抱える彼らの葛藤を理解して接することが、減薬治療を進める上では不可欠な素養になっていると思う。