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ベンゾジアゼピン減断薬 - 離脱症状のサイバー心気症的側面 2 [Free full text]
2. 否定される病
(3) 心気症というタブー
ベンゾジアゼピンの離脱症状(と当事者が訴えるもの)を「心気症」の文脈で語ることは、少なくともインターネット上の「界隈」においては一種のタブーになってしまっている印象がある。しかしこの視点を提示することは何より患者さんの利益になると考え本稿の筆を執った。
僕は、ベンゾジアゼピンの減断薬に関して医療相談を行い、減薬外来を運営していく中で、現代日本においてこの問題を語るにおいてサイバー心気症的側面は欠くべからざるピースであると思うようになった。
ベンゾジアゼピン依存は身体依存
医師の漫然処方と急減薬のために離脱症状に苦しむ患者がいる
――これらの命題は基本認識であるとして、しかし、ベンゾジアゼピン依存・離脱症状の治療を行う医師の側の認識の更新は常に必要だと考える。特に専門外来を受診するような患者は、今やそこに至るまでにベンゾジアゼピンの依存や離脱症状、それに対する治療に関して驚くべき量のネット検索を行い、またネット上で情報交換を行っていることが常であり、そのために病態に修飾が加わっている場合があるからだ。
これはアシュトン・マニュアルが著された時代には存在しなかった要素だ。
本題に進む前に、ここで「(サイバー)心気症」という言葉の本稿における定義を述べておきたい。
心気症(Hypochondriasis)は、DSM-IV-TR(精神疾患の診断・統計マニュアル 第4版 改訂版)において、身体症状が存在しない、または軽微であるにもかかわらず、重篤な病気にかかっているという強い不安や思い込みを特徴とする疾患として定義されていた。
DSM-5(同第5版)への改訂に伴い、心気症の診断カテゴリーは廃止され、「身体症状症(Somatic Symptom Disorder)」と「病気不安症(Illness Anxiety Disorder)」の2つに再分類された。
身体症状症は、実際に身体症状が存在し、それに対する過度の思考、感情、行動が特徴的な疾患概念である。
一方、病気不安症は身体症状がほとんど無いか軽微であるにもかかわらず、重篤な病気への不安や思い込みが持続する状態のことだ。
ベンゾジアゼピンは身体依存を引き起こしやすく、減断薬に伴う離脱症状として多彩な精神症状や身体症状が現れることがある。
患者が、これらの症状についてインターネットで情報を集めることで不安が強まり、その結果、症状がさらに悪化するという悪循環に陥ることも多い。このようなケースでは、ベンゾジアゼピン依存と身体症状症の診断を併記するのが適切である場合がある。
離脱症状がほとんど無い、または軽微であるにもかかわらず、インターネットで情報を収集し、或いは(自称)当事者と情報交換を行うことで、軽度の身体の違和感や正常な感覚を重篤な離脱症状と解釈してしまうようになる患者もいる。このような場合は「病気不安症」と診断するのが妥当な状態だと言えるだろう(僕はしばしばこの状態を「ベンゾジアゼピン・ノイローゼ」と表現する)。
重要なのは、身体症状症と病気不安症が連続性を持つスペクトラムを形成することである。患者さんが訴える心身の不調が離脱症状なのか、身体症状症による修飾なのか、病気不安症に由来するものなのかを明確に線引きすることはほとんどの場合で不可能だ。
本稿で定義する「サイバー心気症」は、インターネット上の過剰な情報収集や不正確な情報によって不安が増幅し、様々な程度の離脱症状が悪化するプロセスを指す概念であり、身体症状症と病気不安症の両方を含む概念である。また本稿では、サイバー心気症によって修飾された離脱症状の、本来の離脱症状との差分を「偽性離脱症状」と呼んでいる。
(4)「否定される病」としてのベンゾジアゼピン依存
ベンゾジアゼピン依存およびそれに伴う離脱症状は、そのベンゾジアゼピンを処方し、後に中止を指導した当の主治医によって否定されることが多いという特徴がある。
このような「否定される病」は、ベンゾジアゼピン依存・離脱症状に限らない。線維筋痛症、慢性疲労症候群、過敏性腸症候群、間質性膀胱炎、複合性局所疼痛症候群などもまた、患者が強い苦痛を訴えても医師に取り合ってもらえず、診断がつかない状態がしばしば長期間続く疾患だ。これらの「否定される病」を持つ患者たちは、肉体的・精神的な苦痛に加えて、医療機関への怒りや不信感を抱えることになる。
ベンゾジアゼピン依存および離脱症状は医原性の病態であるため、医療機関へのネガティブな感情は特に大きくなることがある。
そして、ベンゾジアゼピン依存・離脱症状に悩む患者もやはり「否定される病」を持つ患者に頻繁に見受けられる行動をとる。
セカンドオピニオンを求めて複数の医療機関を受診する行動はその好例だ。しかし、多くの医療機関を受診しても診断がつかない場合、患者は「理解されない」「たらい回しにされている」と感じ、さらに強い医療不信に陥る。
インターネットが日常生活に浸透している現代では、このような患者の多くは自身の症状について理解を深め、原因や治療法を探るためにインターネットで情報を収集する。
インターネット上の情報は玉石混交であるが、ほとんどの患者にはその区別がつかない。そのため彼らは信頼性の低い、しかし刺激的な情報によって混乱してしまうことがある。ネット上での情報収集に時間を費やしすぎるあまり、却って不安や焦りが増強してしまう患者もいる。
また、患者はしばしばネット上で同じ症状を持つ他の(自称)当事者と交流することで、情報交換や精神的なサポートを得ようとする。オンラインコミュニティは、孤独感や不安を軽減し、病気と前向きに向き合うために役立つこともあるが、オンラインコミュニティでの活動とそれにより得られる情報に依存的になってしまうリスクもある。
ネットサーフィンやオンラインコミュニティでの情報収集・情報交換を行い、そこで助言された改善策を実行しても症状が改善せず、むしろネガティブな情報に多く触れることで不安やストレスが増大し、うつ病や不安障害などの二次的な問題を抱えるようになる患者もいる。
精神的な問題は身体症状の解釈を難しくし、さらに診断が困難になるという悪循環に陥る可能性もある。多くの場合、患者はしばしば、こうした心身の問題も離脱症状なのだと考える傾向がある。
減薬を専門的に行うことを謳うと受診される患者さんの多くはこのような経過を持つ人たちだ。
減薬を行うと公言している医師は多くはなく、患者はインターネットで検索し、あるいはオンラインコミュニティでその情報を得て減薬外来を受診する場合がほとんどであるためこれは当然のことかもしれない。
故に、減薬外来においては、インターネットとの距離のとり方について患者と話し合うことが治療において大きな比重を占めることになる。