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ベンゾジアゼピン減断薬 - 離脱症状のサイバー心気症的側面 4 [Free full text]

4. 診察室のポリリズム

(6) 病に応じて薬を与う

インターネット検索やネットコミュニティにおける情報共有が一般化した現代において減断薬に携わる医療者は、患者さんが訴える苦痛を受容し、しかしその苦痛のすべてがベンゾジアゼピンの離脱症状であるという彼らの主張を全面的には肯定しないという2つの態度を併せ持って診療に望まなければならない(場合が多い――と思う)。

サイバー心気症によって発現した偽性離脱症状と真の離脱症状の切り分けが、減断薬の臨床において不可欠なプロセスとなる場面が増えていると感じている。減薬外来において、それがなされていなかったがためにこれまで治療がスタックしていたのではないかと思われる患者さんを診ることは多い。

減薬を試みるのは初めてで、過去に医師に減薬について指導されたことが無い患者さんが僕の減薬外来を受診された場合、偽性離脱症状について患者さんに注意喚起することは少ないし、僕もそのことをあまり念頭に置かない。このような新鮮例で治療が膠着することはあまりないので、あれこれ検討する必要がないのだ。
ただしこのタイプの患者さんは少数派で、前述したように、僕の減薬外来を受診する患者さんの多くはベンゾジアゼピンの減断薬を行うことを掲げる他の医師の治療を既に受けているか、受けたことがある方々である(そしてベンゾジアゼピンの減薬を行っている医師をみつけて日本全国を渡り歩くような患者さんは、やはりかなりディープにインターネットにダイブして深海で長時間を過ごしてきた方が多い)。

自由診療で一気断薬+サプリメント販売をしている医師、アシュトン・マニュアルに忠実にジアゼパム置換一辺倒の医師、置換先の融通は効くが減薬中に強い離脱症状が現れても再増薬は御法度としている医師――と「前主治医」の信条は様々だが(つまりそれはベンゾジアゼピン減断薬における標準治療の欠如を意味している)、共通しているのは彼らは患者さんの主張を無批判に受け入れてベンゾジアゼピン依存・離脱症状という診断を下しているかのように思えることだ。
その診断のもとに置換法や漸減法(これまた同じ呼称でも医師ごとにずいぶんと流儀が異なるようだが)による治療を受けたのだが良くならず、あるいは「良くならないのは心因性の症状だから」と中途で手のひらを返すように診断が変えられるなどして、納得がいかないということで僕の外来を受診される患者さんが一定数おられるのだ(自由診療の医療機関からの転院の場合は「一気断薬で辛いし良くならないしお金がかかる」という理由が多い)。

彼らは雄弁な患者である場合が多く、「ネットで見たのですが」という枕詞をつけはするが自身が信じる或いは懸念する情報について次々と質問を繰り出すことが多い。その内容は、専門知識を持たない人々の間で共有された情報に特有の断片化と拡大解釈が目立ち、伝言ゲームの中で歪められてはいるが、元ネタを推測できる程度には原型を留めている

彼らは僕の外来を受診した動機を正しい治療を受けるためだと説明することが多い。診断ではなくひと飛びに治療なのだ。診断はベンゾジアゼピン依存・離脱症状なのだからそれに基づいて治療してほしいと、彼らは一様にそう口を揃える。「離脱症状に決まっている」とか「常用離脱としか考えられない」とか「キンドリングでおかしくなってしまった」といった、そこだけは譲らないと言わんばかりの断定的な表現を用いるのがこのタイプの患者さんの常だ。

だが丁寧に病歴を聴取すると、例えば彼らが訴える「離脱症状」の一部はベンゾジアゼピンの増減と無関係に悪化したり改善していたりする。それは「あまり離脱症状らしくない」症状の挙動だ。
そのことを指摘するとしばしば用いられるのが「常用量離脱」や「キンドリング」という概念であったりする。
だがそれらの用語の意味を問うと彼らは明確には答えられないことが多いし、答えられても大抵は間違っている。
そもそも常用量離脱やキンドリングがベンゾジアゼピン依存に伴って起こる現象かどうか医学的には確認されていないことを説明すると彼らはたいてい意外そうな表情を浮かべ困惑することが多い(「離脱症状のなんかすごいやつ」的なものとしてこれらをぼんやり理解しているケースが多い)。
ネットコミュニティでは常用量離脱やキンドリングは既成の事実だからだ。

「常用量離脱」や「キンドリング」を、僕は薬理学的には起こりうる現象であると考えてはいるが、一部の「界隈」においてあまりに便利使いされている印象があり、診察室においてはこれらの言葉を特に厳密に用いるようにしている。緩く用いられた場合のこれらの概念は、減断薬後に患者さんの身に降りかかった全ての不幸をベンゾジアゼピンの離脱症状の所為であると牽強付会するためのツールになりうるからだ

その上で僕は、彼らの症状の全てがベンゾジアゼピンの離脱症状で説明されうるものではないかもしれないという見解を述べる。「サイバー心気症」という俗語も用いる。
心身の不調のある割合は離脱症状によるものだろうが、インターネットでネガティブな情報に触れすぎたりファイルターバブルの中で繰り返された情報交換のために不安が増強し、離脱症状が修飾されて本来より強く現れたり、あるいは離脱症状とは関係無く何らかの症状が現れる場合もあるのだと説明する。初診で確定診断は付けられない、治療を行っていく中で離脱症状と身体症状症/病気不安症の比率や、そのどちらが主診断であるのかが決まっていくのだと思っている。

その僕の見立てに憤慨して席を立ち、二度と受診されない患者さんもいるが、意外にもほとんどの患者さんはこの説明に納得する。
彼らが、属するネットコミュニティの中でどのくらいの位階にいて、どのていど教義を信じている構成員なのかはわからないが、実のところ自身の病状の少なくとも一部が「インターネットの見過ぎ」に関係するものだとうすうす自覚している患者さんは多いのである。してみると、診察冒頭で聞かれる「離脱症状に決まっている」式の自己診断は、患者さんにとって何某かの防衛機制なのかもしれない。
ただそれは、病歴を聞き取り、用語の意味を整理し、情報源について若干の批判的評価を加えるだけで剥がれ落ちる、脆い武装に過ぎないのだが。

してみると、前医はそうしたコミュニケーションを省いて診断を下していたということになる。
彼らが患者さんに迎合しすぎているというか、患者さんの表面的なニーズを汲み取りすぎて、却って患者さんを問題解決から遠ざけてしまっているのではないかと感じることがある。
これは「界隈」で有名な彼らが、ワクチン接種に批判的な立場で活動していたり、マスク不要診断書を発行する方針を掲げていたりと、ほんのりと反標準医療の薫香を漂わせる医師達であることと無関係ではないかもしれない。精神科医療への恨み節が溢れる減断薬オンラインコミュニティは反医療を指向しやすい傾向があり、ゆえにその色に染まった構成員と左曲がりの医師達のベクトルは一致しやすいのかもしれないとマックのJKが言っていた。

インターネットが普及していなかった時代、ベンゾジアゼピン依存・離脱症状に苦しむ患者さんの「不勉強な医師による不適切な薬物療法の被害者」としての純度は高かったのではないかと思う。
訴えられる症状も、慢性服薬に由来する脳の機能的・器質的変化をより純粋に反映したものだったはずだ。それでも偽性離脱症状は観測されていた。
インターネット社会においては患者さんの訴えに占める偽性離脱症状の比率は大きくなっていて、そのことを織り込んだ診療を行う必要がある、というのが僕の立場だ。

既に僕の口癖になっているフレーズだが「治療は診断ありきで決まるものである」。20年前に比べてベンゾジアゼピン依存・離脱症状の患者さんの均質性は低くなっていて、それはサイバー心気症との合併が増えてきたからである。ベンゾジアゼピン依存・離脱症状+身体症状症/病気不安症という診断を付けてそれぞれの治療を行うことが必要なケースが増えてきていることを治療者である医師側が認識する必要がある――というのが僕が本稿で提示したい仮説である。

(7) さいごに

サイバー心気症は、インターネットが日常生活に深く浸透している現代社会における宿痾であると言える。
ベンゾジアゼピン依存・離脱症状は、多くの医師が認知している以上にSNSやオンラインコミュニティで当事者同士の情報交換が盛んに行われているテーマであり、このため離脱症状がサイバー心気症によって修飾されるケースが少なくない。
本稿では、そのことを念頭に置きながら、ベンゾジアゼピン依存・離脱症状の診療において、身体症状症や病気不安症を副診断(場合によっては主診断)として付け、それに基づく治療方針を立てることで治療の成功率を向上させる可能性について述べた。

現代のベンゾジアゼピン依存症患者の治療においては、減断薬に関してインターネットをどれくらい、どのように使用しているかは必須の情報であると僕は考えている。サイバー心気症の要素が症状発現に関与している可能性を常に念頭に置き、その患者の病態が身体症状症-病気不安症スペクトラムのどこに位置するかを見極めることが重要である。

あくまで僕の臨床経験の範囲内での印象だが、身体症状症寄りの患者さんには、偽性離脱症状と思しき症状修飾があるように感じられても漸減法を中心とした身体的治療が有効であることが多い。ただし減薬に伴って離脱症状が現れた場合に過剰に反応する傾向があるので、治療初期においては各減薬段階ごとのステイ期間が長くなる傾向がある。

一方、病気不安症寄りの患者さんでは漸減であっても減薬すると不安が増強してなかなか治療が進まない。症状の訴えも強まるがそれがどこまで真の離脱症状なのかの判別が難しい。そのようなケースでは身体的治療だけではなく精神療法的アプローチが必要となる。ただそこまで構造的な精神療法が必要である場合は少なく、インターネットとの適切な距離を保つよう指導することが(その指導が受け入れられ実行された場合は)しばしば有効である。

サイバー心気症がベンゾジアゼピン依存に与える影響を医療者側が理解し、これを踏まえた診療が必要であると考える。
インターネットは既にわれわれのライフラインとなっているので、単に「インターネットを見るな」と患者さんに指導しても叶うものではない。
ベンゾジアゼピン依存・離脱症状に関する正しい情報を提供し、患者さんがインターネット上の情報の信頼性を評価する能力を養うことが治療成功のカギとなる。この教育を通じて、患者自身が情報の取捨選択を行えるようサポートすることが必要である。

サイバー心気症の影響を理解し、それに基づいた具体的な治療アプローチを実装することが現代のベンゾジアゼピン依存治療に不可欠である。

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