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3章 服を着る(自己表現)

なぜ服を着るのか


他の生物と比べて体毛も薄く皮下脂肪も少ない人間は、環境変化や敵から身を守るために何かで皮膚を守る必要があります。  

縄文時代では他の動物の毛皮を加工して身にまとったりしていただけだけれど、定住して生活に余裕が出てくると暮らしに「遊び」が生まれどんどん進化をしていきました。
それは自分自身を表現する「個性」となり、やがて加工技術も向上して今のような個性豊かでオシャレな服装に至っています。

服を選び身につけることは本来は身を守るための行為だったけれど、今では自分を表現する手段の一つとなっています。

人は集団で生きる生き物なので、人と同じものを好む傾向が強いです。
それは「仲間意識」といわれるものでしょう。

では、コピーされたように全く同じような服装を好むかというとそんなことはありません。
むしろ嫌がる人が多いかもしれません。

その例として学生時代、制服は在学中ずっと決められた通りに着続ける人もいますが何かしら自分の個性を出そうとする人もいます。
それは自分が好きな小さなペンを胸元のポケットに入れることだったり、人よりスカートを短くしたり(または長く)することだったりします。

人は他人と同じことで安心する集団で生きる生き物ですが、その反面他人と違うことを、個を認めてほしい(承認欲求)が強い生き物でもあります。
この矛盾を乗り越えることが、人として精神的に安定(完成)する過程のひとつなのかもしれません。

自己表現をする意味

「なぜ人は自己表現の欲求が強いのか」という理由は、先に述べたマズローの動機の階層に沿って話すとわかりやすいと思います。

マズローの動機の階層では「生理的要求→安全の要求→所属と愛の要求→承認の要求→自己実現の要求」になっていて、自己表現をする理由としては、「所属と愛の欲求」と「承認の欲求」にあたると思います。

「所属と愛の欲求」では、その所属に「認めてもらう」こと「受け入れてもらうこと」これを満たす必要があります。その所属に「認めてもらう」ためには、他の人とはことなる利点を示さなければならないし、そのためには自分の長所を個性としてアピールする必要があります。

また「承認の欲求」ではその次の段階として、所属している仲間に「一人前として認めてもらう」ことで個として集団の中にいても他者に攻撃されないポジションを得ることができます。

皮肉な話ですが、集団に所属しつづけるためにはその集団に所属している人たちとは異なる自己表現をすることが必要になることもあるのです。
しかし、その集団の中で自己が確立した場合には、その集団の外に出ても個として生きていくことができます。

そして、これが「自己実現」という状態なのかもしれません。 


〈参考文献〉


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