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1章 「幸せに生きる」とはなんだろう(1)

「生きる目的」「夢」は必要?

生きていくために「目的」や「夢」は本当に必要なのでしょうか?
私は「夢なんてないよ」「そんなの考えられない」そういう悲鳴のような声を、特に受験という現場で聞くたびに何と答えればよいのか悩んできました。

正直、ただ”生きる”だけなら必要ないでしょう。
そして達成できなかった心の傷の大きさを考えれば、そのリスクを冒してまで生きたくないという気持ちもわかります。

けれど、皮肉なことに人間は変化がないと精神を病んでしまうことが分かっています。
有名な実験はヘロン,W.が1957年に行った感覚遮断実験です。
(詳しくは下のリンクをご覧ください)

人間にとって適度なストレス(刺激)は生きていくうえで必要なものなのです。
だからといって、過剰なストレスは同じように精神に異常をきたしますので「適度な」ストレス(刺激)がポイントになります。

さて話を戻して、変化の少ない平穏な日常が続くと私たちは「刺激」が足りなくなります。
ここで必要なのが、生きる「目的」(目標ともいう)や「夢」なのだと思います。
特に日本は季節に四季がある国なので、視覚や嗅覚などで感じる刺激が同じ時は少ないのですが、日々の変化は気づかないくらいの些細な変化なので多くの人は「ありきたりな日常」として刺激ととらえず過ぎていることでしょう。
刺激は受け取り手によって感度が変わります。
気づくのに必要な刺激が足りなくその日々が続けば、最悪無気力など精神的に影響が出るので「幸せに生きる」ということは言えないと思います。
その時に、生きる「目的」や「夢」は”生きる希望”となるのかもしれません。

また、一人ひとり刺激を受けを受け取る能力は異なりますが、「適度」に刺激を調整できるものが「生きる目的」や「夢」なのだと私は思います。
理想の変化を想像することで、良い適度な刺激が生まれ活き活きと平穏な日常を楽しむことができるのだと思います。
そして、この「生きる目的」や「夢」は誰かや何かに強制されるものではなく、自発的に生まれることが大事だと思います。
なぜなら自分で創った「目的」や「夢」は、心のフィルターを通さず生身の自分が創ったものなので刺激は直接伝わると思うからです。


「今、夢がない」「今、生きる目的ながい」と悩んで探している人もいると思いますが、いったんその問題を考えることから離れて(思考を休めることも含めて)「自分は何が好きなのか」「自分は何が苦手なのか」など、自分自身と向き合うというとが大切なことだと思います。

なにより「二度と戻らない一瞬を楽しむ」こと、それを積み重ねることが「幸せに生きる」ことではないでしょうか。
けれど、うまくいかない日常や辛い非日常に直面した時に生きる道しるべになるのが「生きる目的」や「夢」なのでしょう。
だって、私たちはいつでも未来に向かって歩み続けて生きているのですから。


〈参照文献〉


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