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UVERworldというバンド・あるいは直截的な表現の効用について

例えばさ、

"僕は君を想うしか無い 
伝えようとして空を眺め立ち止まる
傘をさすかどうか迷う程の雨 
思い切りの無さは僕のようだった"

という歌詞がある。あるんです。
これってさ、比喩の種類で言うと直喩表現で、暗喩じゃない。

仮にサカナクションの山口一郎なら、こんな歌詞は書かない、絶対に。
いや、たぶん。わかんないけど。


じゃあ彼がこの一節と同じことを表現したとして、

"僕は君を想うしか無い
伝えようとして空を眺め立ち止まる
傘をさすかどうか迷う程の雨
思い切りの無さは僕のようだった"

までの情景描写に留めるんじゃないかなと思う。
伝わる人にはこれでじゅうぶん伝わる。

「君を想っていて、幸せにしたいけど、コンプレックス故にそれを伝えられる覚悟のない僕の心」と掛けまして、「傘をさすかどうか迷う程の雨」と解く!その心は…?

「思い切りの無さ(は、僕のようだった~!♪)」

まで説明しちゃうのは、言っちゃアレだけど蛇足というか、彼の美学に反するような気がする。なんとなく。

サカナクションというバンドには、言いたいことを極限まで削ぎ落した、引き算を大事にしているイメージがある。だからスタイリッシュ。

なんか俺、夏井先生みたいなこと言ってるな。何様なんだよ。


実際に自分も、直截的だったり露悪的/偽善的な物言いは、品が無いから好まない、婉曲的に奥ゆかしく表現してこそ……と思っている節がある。

アツくて、泥臭くて、激しいのって、ダサいじゃん。
言葉少なに、ポッケに手突っ込んで飄々としている方がカッケーじゃん。
ボクちんみてーな自意識オタクくんは。オイ、これ読んでるオメーのことだよ。嘘だよごめん。帰ったら一緒にプレバト見よ。



あのさ、ここまで書いて、UVERworldのこと嫌いなの?って思う?
全然そんなことない。大好きだった。
2019年までの曲ならちゃんと全部歌える。


今思うこと。
ストレートな表現、難解な表現、両者は上位にも下位にも互換し合えるものじゃなくて(ダサいならダサいなりの迫力がちゃんとあって)、それらは「より広い層に届かせるための言葉」でしかないし、その目的のための手段として、それぞれの言葉が選ばれたに過ぎないんだなって。

だからちゃんと届いたしちゃんとぶっ刺さった。この曲がリリースされた当時、まともに恋愛なんてしたことない、16歳真っ盛りだった自分に。
「こんな人がいつか自分にも現れるかな?!」
って、ちゃんと真っすぐ思ってた。かわいいね。

"思い切りの無さは僕のようだった"は、絶対にあった方がいい。だって無いもん思い切り。ずっと。好きな人に傘、さしてあげたいよ。ずっと。


この間、な~んか、久々にカラオケオールしちゃって、この曲を入れてくれた子の唄を聴いててなんとなく、当時のこと、しみじみ思い出していた。

10代の自分を間違いなく構成した、かくも愛すべきダセ~音楽と、今の自分のペルソナとの乖離から、たぶん一生逃れられない。
ずっとサカナクションが好きな自分、UVERしか聴いてなかった狂ってた自分、地続きで、どっちもちゃんと自分。別に矛盾はしてない。はず。
またライブ誘ってよ。





UVERworld、最高~~~!!!!

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