ながれという犬について・他
ながれという犬について自分が書けることはそんなに多くない。
というかほとんどない。でもなんか急にながれのことを思い出した。
ながれは、犬が苦手寄りの私がかなり好感を抱いていた、珍しい犬。
自分の人生でのネイムドドッグは、親友が実家で飼ってた柴犬・ピスと、お世話になった先輩のチワワ・みきおと、後はながれの3匹だけ。たぶん。
自分は犬という生きものに対して、人よりも興味が格段に薄いと思う。まず、犬に対してのコミュニケーションの取り方が未だにあんまり掴めてないし、下手くそ。
対人・対話を苦手と思ったことはないし、まあ得意な方と思うけど、犬相手になると途端に不自然で、ぎこちなくなる。別にこれは犬に限った話じゃなく、動物全般に対して言えるけど。
だから、生きものを自然に愛でられている人を見ると、すごいなあっていつも感心してる。哺乳類以外の動物ともなると、もはや自分にとっての理解の範疇を超えてて、恐怖を抱いている。これ以上は長くなるので割愛。
でも、たまに、犬のことになると豹変する、というか正気を失う人いない?あまり良くない言い方ですけど。いや、別にそこまでいかなくても、「犬」「ペット」「ペットフード」みたいな言葉そのものを忌み嫌って、徹底して「ワンちゃん」「家族」「ごはん」って置き換えさせたりとか。犬が前から歩いてくるや否や、人との会話の途中でも絶対に反応して、わざわざ撫でさせてもらいにいったりとか。割といるイメージ。
別にその人がどうこうって言いたいんじゃなくて、そういう人と自分の違いってなんなんだろうかとよく思う。犬の何がこの人を一体そこまで掻き立てて、そうまでさせて、それが自分には全くピンときてないのって何?同じ人間なのにこうまで違うのかって、不思議。
あと、逆に(逆に?)、太宰治の「畜犬談」っていう短編は、いかに犬が憎き存在かっていうテーマ一本でめちゃくちゃに文才を発揮してて、かなり痛快なのでおすすめ。
何の話?ごめん。ながれの話。
ながれは、私が大学1年~4年まで住んでいたアパート(留年後はそこの1/2以下の家賃で事故物件に住んだ)の、真ん前にあった大家さんちで飼われていた、黒柴。白くて真ん丸のまろ眉は、別に特別な感情や理由がなくても、愛せずにはいられなかった。
ながれは全く吠えなかった。
別にぼーっと寝てるんじゃなくて、ちゃんと人が帰ってきたのには気付いているけど、我関せずで、いつもただ超然と横たわっている、そんな感じ。
ごくたまにだけど、撫でていいかな、と気まぐれに触ってみたときも、ながれは大人しく黙っていて、好きなだけ撫でさせてももらえた。
ながれは名犬だった。かわいくて、かっこよくて賢かった。
部屋に遊びにきた友達や彼女が、ながれと(一方的に)戯れるのを後ろで見ているのも好きだった。名前はながれって言うんだよって教えると、ながれ~って呼んでた。ながれ、って本当に良い名前。口に出したくなる。みんな、ながれを好きになってたと思う。ながれはいつもされるがままで、ただ身を委ねてた。あの子はただそこにいるだけだった。ただそこにいるだけで愛されていた。
こうしてながれのことを思い出しながら、ながれについて書く時、ながれに会うことはもう今後ないんだろうな、という思いというか事実が同時にあって、それはやっぱり寂しいよなと思う。と言いながら、ながれの存在はさっきまで忘れていたし、まず、まだ生きているのかも分からない。ながれの年齢も、なんなら性別すら知らない。ながれはただそこにいただけなので。
まあ仮に生きていたとして、ほとんど話したことのない大家の家のチャイムを初めて押して、「過去に住んでいた者なんですけど、ながれに会いたくて……」は、それが正式な手続きとして通るとはギリ思えない。ながれは、敷地内の奥まった通路を通り、102号室の玄関の前(対面が大家さんちの玄関)に行かないと見れないから、遠目から姿だけ確認するということも恐らく叶わない。もしかするとあのアパートの住民ですら、二階に住んでいる人は、ながれの存在すら気付かずにいるかもしれない。それぐらいながれは吠えない。そういえば散歩に行っているのもほとんど見たことがなかった。
元気だといいなー。もう会えない犬も、いつでも会える人もね。