感情優先で動くとさてどうなるんだろうか#61
無職2か月が経過しました。
しらないうちに2か月たちましたね。なんだかんだ言って。すげえなという感想です。
最初は二ヶ月間も無職でいられるなんて思わなかったんですけど気が付いたらもう二ヶ月経ってましたね。ただこれはコロナの療養期間も含むのでまあ厳密にはもう少し短いのかもしれませんが。、
今日は以前歩いていたルートで散歩をしてきました8000歩ぐらい歩きました
家電量販店に行ってマッサージチェアをやってきました
不思議と体が軽くなりました。
半月近く家にこもりきりだったのでまあ筋肉も疲れていたんだと思います、
この調子でコロナの後遺症のようなものがどんどん治って行けばいいなと思います。
ところで思ったんですけれど行動の目標を感情優先にしたらどうなるんだろうって考えてみました
昨日の記事の続きですね(おとといか)
この記事では自分の感情を満たすために自分の身体があると書きました
嬉しい感情を得るために自分の体を動かす。
楽しい感情を得るために自分の体を動かす。
なんかもう先に答えを書いてしまいましたが、お金を稼ぎたいとか、大企業に入りたいとか、かわいい女の子と付き合いたいとか。
そういう目的ベースで動くのではなく、最終的にどういう感情を得たいのかで行動するのが良いのかなと、ふと思いました。
例えばお金を稼ぎたいというよりも、「豊かな気持ちになりたいのでお金を稼ぎたい」や、「彼女が欲しい」というよりも「寂しい感情から逃れたいから彼女が欲しい」のように、「これこれこういう感情を得たいから、私はこういう行動をとる」という風に、感情をベースで動いてみるとどうなんだろうかという仮説が自分の中にわき出てました。
このように考えたことは実は今までなく、あくまで目的が優先というか「お金を稼ぎたい!」とか「かわいい女の子と遊びたい!」などのように「 〇〇をしたいから私はこれをする」というような動機で行動するのが当たり前でしたが、その先には恐らく得たい感情があるはずであり、私は最終的に一体どういう感情を得たいのか、それは嬉しいなのか、愛されたいなのか、楽しいなのか、きもちいいなのか、暖かいなのか、色々ありますが最終的に私はどういう感情を得たいのか、で行動を組み立てていくともしかすると何かスムーズに事が運ぶのかもしれません(仮説)。
20歳の頃、公務員試験に挑戦をしましたが具体的にどの職種に就きたいかまでは全くわかっていませんでした。
あくまで「公務員」になりたいというぼんやりとした欲求だけで受験に挑んでいました。
感情ベースで動くのは、「なぜあなたはこの会社(の面接を)受けたのですか?」を突き詰めるのに近いのかもしれないような、違うような。
就活やったことないんでよくわかりませんが。
これはあくまで仮説に過ぎませんので、これから本を読むなり散歩をするなり人に会うなりして、出来れば感情を動かして行きたいところです。
今一つ思っているのは、感情を大きく動かすのは割と大事なんじゃないかということです。
私は今回会社をクビになったことだって、コロナウイルスに罹患して半月ほど家から出られなかったことだって、ネガティブな意味で相当感情を揺さぶられました。
感情は揺さぶられたことはやはり記憶にも残りやすいですし、行動の源泉にもなりやすい気がしていますので、まあ仮説の段階です。
「感情は脳をジャックする」
読んでないけど、読もうかなと思いました。 確か図書館にあったはず。
てなわけで、知らんうちに12月になりました。
今月は出来れば外に行きたいな。
あまり無理するともしかすると、また寝たきりになったりする可能性があるので、無理せず行きたいと思います。
どうもどうも。
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