フィクション#129
ぱちぱちぱち。
ようこそ。お越しくださいました。
こんばんは。
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本編はこちらです。
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以前にある余計な(それをした本人にとってはとても有用な)アドバイスをされてから、少しnoteで発信することに恐怖感を感じていたりする。「このお気持ちを書いたら、またあれこれ言ってこないか」 「また謎のアドバイスをされたりしないか」などなど。まあ、自分のチャンネルなので好きにやっていこうとは思っていたりはするし、自分の土地なのに相手のことを気にしていたらもったいない。本当にもったいない。時間がもったいない。それにこの手の問題は時間が解決してくれるだろうし、また自分の中でコミュニケーションの相手が出来れば自然と解決する問題でもあると思う。ところで、相手に求められてもいないのにアドバイスをしてしまう人(言いたくなってしまう人)は、翻って自分の家庭や仕事について他者からとやかく言われたらどう思うかを想像してみるといいと思う(それが出来ないから、こういうことをしてしまうのだと思ってしまうけれど)、程度の大小はあれど、「お前に何がわかるんだ?」がファーストインプレッションではないだろうか。それに相手の言葉を受け入れる準備が出来ていない段階で、突然来る話であるからなおさらである。そういう謎のアドバイスが横行するから、安全な他者っていう言葉が存在するし、安全な群れという言葉が存在する。デール・カーネギーの名著「人を動かす」には、1対1のコミュニケーションの基礎ともいえる原則が30個掲載されているが(本当にいい本なので読んでほしい)、著者の言いたいことを一言で言い表すならば「人間はお気持ちで生きる生き物なので、相手のお気持ちゲージを如何にプラスでキープさせるかを意識してコミュニケーションしましょう」だと思われる(一言じゃないですね。ごめんなさい)。だからこそ作中では「笑顔を見せよう」「相手の批判するな」「相手の意見を聞く」「名前を呼ぶ」など、これでもかと言うくらい、相手のお気持ちをマイナスにしないテクニック(?)が出てくる。つまり究極の「人を動かす」術は、おっさんとの飲みの席に美人の女の子を同席させることである。そうすればおっさんはずっと上機嫌で鼻の下を伸ばしまくるので、商談もスムーズにまとまるでしょう(話が逸れました)。某コミュニティの質問部屋には「なんでも聞いていい部屋」という、小学生でもわかるような名前がついているが、なぜ「質問部屋」ではなくて「なんでもきいていい」なのか。そうでもしないと「こんな質問ごときで、バカにされる。否定される」という気持ちが働く人がいるからです。自分も漏れなくその一人である。そして、そんな風に感じる人はじぶんひとりではないと思う。単一民族国家と言われる日本人にありがちな問題なのかもしれません(ソースは無し)。身の回りに自分の鏡になってくれる人が少なければ少ないほど、そのように感じるケースは多いと思う。
というフィクションです。
虚構。嘘。
よいこはおうちに帰ってねんねしなさい。
おやすみ。
明日から、またnoteゆるゆる書いていこ。
だってえらいから。
えらいもん。
えらい。
じゃあの