対話で気づいたこと。#261
スラムの朝礼で、みなに褒めてもらった。
メモがてらに書く。
・パワハラを受けて会社をクビになった直後。
自分に手を差し伸べてくれた様々な人の手を振り払ってしまった。
悔やんでも悔やみきれない。(なかむらさん。タモリ、はたなか、木村さん)
当時は、20歳の女の子みたいなガラスのハートだったなぁ。(ゆきさん談)
会社を訴えようとしていたくらい会社に対する恨みが強かったわけで。
「自分になんて構うなよ!」って、ひとりよがりになっていた。
なお、ぷろおごが友達の重要性について語ったのはこのあと。
・自分は社交性がある?
あるそうです。(まめさん、ゆきさん談)
これはいろんな人から言われるが、実感がない。
痛覚がマヒしているところに、針を刺している感じ。
実際自分は、先の北海道一周でいろいろな人に話しかけたし、オフ会でも話せたし、オンラインでも話せたし、飲み屋にも行けたし。
そう、いろいろと話せはしているのだけど、どうも実感がない。
これって社交性がある?
あるらしい。
喋っていて思ったのは「他人から褒められる(褒められた)経験が少ない」んだなという事。
過去に否定されまくってきたからなおさらか。自分でも自分のことを否定し続けてきたからな。
そうして、他人からいっぱいほめてもらって、ようやくバランスが取れるのかもしれないな。自分の場合は。
後から気づいたけど、
「〇〇さんはなかよしだから」とか「友達だから」って自分から言えるようになったのは、かなり進歩でとてもすごいことだと自分で思っている。
外見に自信が無い問題
実際にイケメンかどうかと、心がイケメンかどうかはあまり関係が無い。
喋ってて思い出した。醜形恐怖症もこれに近い。でも最近の変化として、Twitterのプロフィールや、slackに自分の顔写真をあげられるようになってきた。
これもゆきさんに教えてもらって気づいた。
たぶん、顔がジャニーズかどうか、不細工かどうかと、生きやすいか、生きづらいかどうかは根本的には関係が無い。
自分は、学生時代に「キモイ」って言われた経験が心の奥底に残っていて、要所要所で亡霊のように自分に語り掛けてくるんだけど、もうそろそろその亡霊から離れられるときかもしれないな。
人と話すってすごくいいな。
対話ってすごく良い。
人を人格否定するのはよくないな。
人をほめるのはとてもよい。
とっても良い。
心の氷が解けそうな気がする。