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ニセコ54日目 自意識過剰
20代から30代の間、ずっとずーっと周りの目が気になって自分らしい振る舞いが出来ずにいた。
自分に人生の経歴を書かせると、途中で「10年ほどナンパ師をしており・・」と言う、今となっては謎のキャリアが出てくるのだが、その実態は周囲の目が気になり、ほとんど声をかけられないナンパ師だったくらい、自意識過剰な人間だった。
好きだった女性に気持ちを伝えようとしても「周りの人に茶化されるに決まっているから」と、気持ちを伝えられないまま終わったことも何度もある。
若いころから自己啓発的な本だけは読んでいて、名言的なものを朝から晩まで吸収したり、インフルエンサーの言葉をノートに書き出しては、必死に自分を変えようとしたりしたが、それでもその症状が治まることは無く、会社に出勤しては、そして休日は街に出ては、勝手に他者を意識して、そして、勝手に疲弊する日々を送っていた。
40を過ぎて、思い切って田舎で働いてみるということを1か月程度経験してみた結果、札幌のスタバでひとりでお茶していても、周囲の目線は全く気にならなくなった。札幌滞在4日目の今にして「そういえば、周りの目っていう言葉もあったな。何、それ先頭に#(シャープ)をつけてハッシュタグでもするの」というくらいに、自分の中から「他人の目が気になる」問題が小さくなっている実感がある。
この「他人の目が気にならない」どころか「他人の目が気になるとは何ぞや・・?」と思えるまで、自分のメンタルがある種、健康になっていることは、環境ボーナスとも言うべき、一時的な現象に過ぎないのかもしれないが。
それとも加齢によるものか。
経験によるものなのか。もしくは複合要因か。
ただ、道行く人は自分に攻撃をしてこないということは良く分かった訳だ。街を歩いたところで、私の半径20mくらいの物理テリトリー内にいる人達は、私に侮蔑の視線を投げかけても来ないし、暴言を吐いてくることもない。だからと言って直接暴力を行使してくることもない。
要するにこれまで、いろいろな角度から知識として得てきた「誰もお前のことなんて見ていない」という、これまで何度も何度も読み込んできた言葉が、ようやく身体で理解出来たという事なのではないかと思う。
どうなのだろう。
今後またメンタルが不安定になった時には、また自意識過剰に戻るだろう。
とりあえず今こうやって周囲を気にすることなく生活できていることは、自分が成長した訳でも何でもなく、環境が与えてくれたものだということを十分に理解して、1日1日生活していきたい。