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舞台 「わが町」 観劇レビュー 2023/02/04


写真引用元:東京芸術劇場 公式Twitter



公演タイトル:「わが町」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:東京演劇道場
原作:ソーントン・ワイルダー
構成・演出・翻訳:柴幸男
翻訳協力:水谷八也
出演:秋山遊楽、石井ひとみ、大野明香音、大滝樹、緒形敦、小幡貴史、兼光ほのか、川原田樹、北浦愛、佐々木富美子、代田正彦、末冨真由、鈴木麻美、谷村実紀、鄭亜美、手代木花野、藤井千帆、間瀬奈都美、三津谷亮、水口早香、吉田朋弘、李そじん、六川裕史
公演期間:1/25〜2/8(東京)
上演時間:約2時間15分(途中休憩10分)
作品キーワード:人形劇、会話劇、ラブストーリー、結婚、海外戯曲
個人満足度:★★★☆☆☆☆☆☆☆



東京芸術劇場の芸術監督でもある野田秀樹さんが、さまざまな演劇人と出会うべく立ち上げた「東京演劇道場」による第2回公演を観劇。
「東京演劇道場」の第1回公演は、2020年7月・8月に『赤鬼』が上演されていて観劇している。
今作の第2回公演は、劇団「ままごと」の柴幸男さんの演出によって、アメリカの戯曲でありピューリッツァー賞も受賞している『わが町』を、1901年の「グローヴァーズ・コーナーズ」というニューハンプシャー州の架空の町と2023年の東京を重ね合わせながら上演された。
ソーントン・ワイルダーが書いた原作は未読で、予習や下調べをすることなく観劇に臨んだ。

物語は3幕構成であり、第1幕は人形劇を中心として、「グローヴァーズ・コーナーズ」の1901年5月7日のとある1日の日常を、町の概要を解説しながら進行する。
第2幕は舞台を2023年の東京に移し、東京でのジョージとエミリーの結婚式の模様が繰り広げられる。
第3幕は、再び「グローヴァーズ・コーナーズ」の1913年の世界に戻るという展開である。
特に第2幕に関しては原作とは違って東京に舞台を移すことで大幅なアレンジがなされている。

演出は、登場人物複数人を23人のキャストによって代わる代わる演じていて、舞台上に点在するブロックが、置かれる向きによってただの箱馬のように見えたり、都心にそびえ立つ建物のように見せることで、上手く場面を切り替えていた。
また、人形劇を取り入れたり、映像で場面を進行させたりと終始飽きさせないような演出面での工夫が印象に残った。

今作の脚本が観客に投げかける主張は、何事もなく平凡で普通な1日がいかに幸せなことであるか、大切なものであるかを気づかせることなのだが、これはまさに今の時代だからこそより響いてくる主張だと感じた。
特にコロナ禍を経験した私たちだからこそ、ウクライナ危機によって世界大戦に発展してしまうかもしれない先行きの見えない今だからこそ刺さる内容で、色々と考えさせられた。

しかし、演出の仕方として今回のやり方がベストだったのかというと個人的には疑問が残り、SNS上の感想でも賛否両論が巻き起こるのがよく分かった。
今の東京、つまり日本は必ずしもみんなが結婚を切望する訳ではないし、挙式を盛大に挙げる訳でもない。
また、23人のキャストによって一人の役を代わる代わる演じることによる混乱もあって、それが個人的には観劇への集中力を削がれたような気がして、もっと良い観せ方があるのではと思いながら観劇していた。

また、作品全体的に子供向けの舞台作品に感じられて、正直「東京演劇道場」を観劇しに来るような演劇に対する目の肥えた人々向けの作品には見えなかった。
むしろ、小学生・中学生・高校生に最も見て欲しい内容だと感じた、人形劇を取り入れたユーモアある演出もそこに通じてくるような感じがした。

写真引用元:ステージナタリー 東京演劇道場 第二回公演「わが町」より。(撮影:引地信彦)


↓ソーントン・ワイルダー『わが町』


【鑑賞動機】

2020年8月に「東京演劇道場」の第1回公演として『赤鬼』を観劇して非常に感銘を受けたので、第2回公演も観てみたいと思っていた。また、「ままごと」の柴幸男さんが演出をされるという点も興味を惹かれたので観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

第1幕、役者一同が登場して、映像と共にここはアメリカのニューハンプシャー州の「グローヴァーズ・コーナーズ」の1901年5月7日であることが説明される。これから、その一日が描写される。
上手から光が差し込み、「グローヴァーズ・コーナーズ」に日が昇る。道路沿いの家々を一個ずつ紹介していく。この町には先日双子の赤子が生まれている。この町で以前一番優秀だった青年は、マサチューセッツ工科大学へ進学したが、戦争に駆り出されて死んでしまった。
この町で一番の物知りのギブズ医師が仕事から戻ってくる。早朝から新聞配達の配達員や牛乳配達の配達員とすれ違う。ギブズ家のギブズ夫人は、子供のジョージとレベッカを起こそうとしている。そしてせっせと家事をしている。ギブズ夫人は、「コッコ、コッコ」と鳴く鶏たちにエサを与える。そこで町ゆく人々に出会い世間話をする。

ここで、ウィラード教授によって、「グローヴァーズ・コーナーズ」の地理的な説明と歴史的な説明が始まる。ウィラード教授は講義形式で、まるで観客に問題提起をするような形で「グローヴァーズ・コーナーズ」の町について説明する。
ウィラード教授が、観客に一つ質問を投げかけると、一人の元気な学生が客席側からステージへ飛び込んでその質問に積極的に答えていく。

物語へと戻り、時刻は学校を終えた学生たちが下校する時間。学生のジョージは、町の道路でキャッチボールをしていて、近所のおばさんに叱られる。その時、同じクラスメイトのエミリーを見かけたジョージは、エミリーに話しかける。
ジョージとエミリーは楽しそうに2人で会話を繰り広げる。ジョージは、エミリーが学業熱心なことを非常に称賛する。そしてジョージは、学校を卒業したら農業を継ぐことを決意し、この町にとどまることを伝える。
エミリーは学校から家に帰り、エミリーの母親に自分ってそんなに可愛いのかなと尋ねる。エミリーの母親はそれを肯定し、エミリーに女性としての自信をつける。

夜、ギブズ夫人とウェブ夫人は、町の聖歌隊の練習に行っていた。皆で聖歌を練習してから家に帰る。最近は「グローヴァーズ・コーナーズ」も物騒になってきていて、以前は夜でも家に鍵をかけることはなかったが、今ではどこの家も鍵をかけている。
聖歌隊のオルガニストのサイモン・スチムソンはとても風変わりで、今日も酒を飲みすぎて酔っ払ってしまっていたと2人は噂する。彼のことをとても心配しているようだった。
ギブズ夫人とウェブ夫人はそれぞれ帰宅し、就寝する。

第2幕、「3年が過ぎた」という言葉が役者たちによって何度も連呼される。そして映像では「2023年 東京」と表示される。舞台上に東京タワーや東京スカイツリーといった都内にある建物がセットされていく。
人間、誰しもが20歳を過ぎると結婚したくなるものだというモノローグから、2023年の東京が描かれる。
雨が降っている。人々は結婚式の準備で忙しくしている。家で身支度をしたり、車に乗って結婚式場に向かったり。
結婚式場に人々が集まると、スクリーンが登場して役者がみんなその前に集まる。ここから映像でストーリーが進行する。ジョージとエミリーが東京スカイツリーが見えるレインボーブリッジの上で、会話を繰り広げる。最近ジョージがエミリーのことを相手にしてくれず、エミリーはジョージの態度に気分を損ねているようだった。ジョージは慌ててエミリーの気分を良くしようと、喫茶店に誘う。喫茶店で2人は会話する。ジョージがエミリーのことを強く思っていることを伝えて仲直りし、無事2人は結婚することになる。嵐の「love so sweet」が流れて映像は終了する。
そのまま挙式に移り、ジョージとエミリーが2人で祝福される。木村カエラの「butterfly」が流れたり、「マツケンサンバ」(うろ覚えだが)が流れたり、セリーヌ・ディオンの「my heart will go on」が流れてタイタニックのポーズをとったり。そして最後に、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」で締めくくられる。

ここで途中休憩に入る。

第3幕、舞台は1913年の「グローヴァーズ・コーナーズ」に戻る。2023年の東京を表す建物たちは、スクリーンに使われた白い大きな一枚の布によって覆われる。そして、そこは「グローヴァーズ・コーナーズ」の丘の上の墓地を表す。
この12年の間で多くの人が亡くなり、エミリーを始め、サイモン・スチムソンやギブズ夫人も亡くなっていた。エミリーは子供が授かったことによって亡くなってしまった。墓地にはジョージがエミリーの墓参りにやってきていた。続いて、他の「グローヴァーズ・コーナーズ」の町民たちもやってきて参列に向かう。そしてみんなで聖歌を歌う。
エミリーは亡霊となって現れる。他の死者たちも亡霊となって現れる。エミリーは自分が生きていた時間に戻りたいと言う。しかし、戻るのならジョージと結婚した特別な日ではなく、何事もない普通の1日にするように言われる。

そこでエミリーは、1899年のとある冬の1日を選ぶ。その日は、昨日まで断続的に降り注いだ雪がようやっと止んだ寒い日であった。
エミリーは朝目を覚ますと、台所には母親が朝ごはんの支度をしていた。エミリーは母親に必死で自分の存在を主張した。数年経ったら自分は死んでしまう、死んでしまう前のこんな些細な時間こそが一番大事で幸せなひとときであることを訴える。役者たちは母親を周囲に取り囲んで、様々に訴える。

2023年の東京、人々は眠りについている。しかし、こういった何気ない日常こそが一番幸せで大事であることをモノローグで伝えて上演は終了する。

私はこの脚本自体を読んだことがなかったので、観劇しながらストーリーに関しても初めて触れたのだが、こうやって今の時代にこの戯曲を上演すると、私は脳裏に「ウクライナ危機」と世界大戦の兆しを想起してしまった。もちろん観る人によっては、コロナ禍や震災を想起する人もいるかもしれないが、私にとってはこれからの未来にやってくるかもしれない脅威ということで、真っ先に戦争を思い浮かべてしまった。これはおそらく、冒頭でマサチューセッツ工科大学の優秀な学生が、戦争によって命を落としたという一つの台詞が印象に残ったからかもしれない。
今ある日常を当たり前のことだと思って過ごしている私だが、この当たり前がいつ当たり前でなくなるか分からないということに気付かされた。そういった意味で、途中で2023年の東京と重ね合わせるというのは非常に意義のある脚色だったように思う。

写真引用元:ステージナタリー 東京演劇道場 第二回公演「わが町」より。(撮影:引地信彦)



【世界観・演出】(※ネタバレあり)

人形劇や映像を使ったシナリオ進行など、非常に幅広い演出手法でソーントン・ワイルダーの『わが町』を上演していた印象。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置といっても、常設されているセットはなく、役者たちがシーンによって舞台上に存在するブロックの置き場所や置き方を変えながら舞台上は様変わりしていく。客席はステージをコの字型に囲っている。
第1幕の「グローヴァーズ・コーナーズ」のシーンでは、ステージ中央に白いブロックが一つの大きな長方形を作るように隙間なく並べられており、そのフィールドが「グローヴァーズ・コーナーズ」という体で話が進行していく。
第2幕では、その隙間なく並べられたブロックがすべてバラバラにステージ上に並べられることで、2023年の東京都心のビルディングを思わせるセットに様変わりする。あるブロックは東京タワーに見立てられて赤と銀色の装飾が施されていたり、あるブロックは東京スカイツリーに見立てられて背の高い塔になっていたり、あるブロックはレインボーブリッジに見立てられて横長に橋のようになっていた。
第3幕では、その東京都心のビルディングが、映像用に使われたスクリーンによって覆い被せられ、「グローヴァーズ・コーナーズ」の墓地になった。そして最後のエミリーが1899年に戻って母親に会うシーンでは、再び第1幕と同じ、ブロックが長方形に敷き詰められたセットになった。
こんな具合で、役者たちがセットを代わる代わる移動させて舞台上の景色を変えながら、1900年初頭の「グローヴァーズ・コーナーズ」と2023年の東京を切り替える演出が印象的だった。

次に映像について。
映像は、第2幕のジョージとエミリーの結婚式で2人が結婚を決意するシーンがプロフィールムービーとして流れる箇所のみ。映像の中では人形劇で登場する人形が東京都心でプロポーズするので若干違和感を覚えたが、こういったベタでピュアな演出もアリかと思いながら見ていた。
それよりも、映像に使ったスクリーンを舞台セットに覆い被せて墓地にする演出が凄く印象に残って素敵だった。

次に衣装について。
サイモン・スチムソンを演じる北浦愛さん以外の22人の役者は皆白い衣装を着ているのだが、おそらくこの22人は誰一人として同じ衣装ではなく、同じ白色でもデザインは全員異なっていたと記憶している。だからこそ多様性を感じられる演出に見えた。第2幕で様々なカップルが結婚を祝福されていたが、そこには同性のカップルもいて男女という違いを超えた愛を感じたのだけれど、そういった演出にも多様性の延長線上にあると感じた。終盤の22人のエミリーによって母親は問いかけられるが、そこにも声に多様性があるからこそ、衣装のデザインとも相まって多様性がリンクしてより意味のある衣装デザインに感じられたのだと思う。
一方で北浦愛さん演じるサイモン・スチムソンだけなぜ黒い衣装だったのかという点であるが、これは野田秀樹さんの戯曲である『赤鬼』にも通じるような、コミュニティに排斥されるマイノリティを描いているように思えた。サイモン・スチムソンは、風変わりなオルガニストとして「グローヴァーズ・コーナーズ」の住民たちから噂を立てられる存在だった。「グローヴァーズ・コーナーズ」というのは、いわば一つのムラ社会である。ムラ社会というのは村八分的に変わり者を孤立させるような同調圧力を生み出しかねない。サイモン・スチムソンの黒い衣装はそういったことを表しているように感じた。

次に舞台照明について。
一番印象に残っているのは、「グローヴァーズ・コーナーズ」の日が昇るときに、上手奥の天井から黄色いスポットが光量強めで差し込んでくる演出。朝がやってきた感じがあって好きだった。
あとは、第3幕は墓地のシーンということもあって、全体的に青白い照明によって照らされていたので雰囲気が静かで冷たかった。そこがまた良かった。

舞台音響について。
音響は、第2幕の2023年の東京のシーンで一番よく使われていた印象。第2幕が始まったシーンでは東京では雨が振っていて終始雨音が聞こえていた。その雨音もしとしと降る感じの雨音ではなく、割としっかりめに降る雨、たしか夏を想定していたはずなので台風による大雨的な感じの雨音だった。都心に大雨が降り注ぐとどこか新海誠監督の『天気の子』を思い浮かべてしまう。私は第2幕を観劇しながら、『天気の子』が頭をよぎっていた。
あとは、街中の雑踏音も効果音として流れていた。自動車のドアを開け閉めする音、室内の何か棚や扉を開ける音など。2023年の東京なので具象的な演出になるのは分かるのだが、逆に何の物音だか分からなくなったときにストレスを感じた。あまりに具象すぎてなんのシーンをやっているのか分からなくなったときは違和感を覚えた。
あとは、第2幕のプロフィールムービーとその後で、J-POPや洋楽が扮だんに使われたのは珍しい演出だった。普段演劇では、こんなにメジャーな音楽は使われることないので。ちょっとベタ過ぎて個人的には引いたのだが。これを好む観客もいると思う。まさに賛否両論の箇所。

最後にその他演出について。
まずは人形劇の人形について。人形のデザインは東京演劇道場の俳優たちが考案したらしいが非常に可愛らしくて、「グローヴァーズ・コーナーズ」という1900年初頭のアメリカの町に似つかわしいデザインで素晴らしかった。頭部が非常に大きくて球体な点が凄く個人的に好きだった。開演のタイミングではステージの下手側と上手側に一列に鎮座されていて、その置かれ方とかも、街の通りに家々が立ち並んで個性豊かな住民が住んでいることを示していて好きな演出だった。
一方で23人の役者が出番のない時は、ステージ奥のちょっと高くなった黒い台の上で座って待機しているのも良かった。まるで役者たちも私たちと同じように舞台を観る観劇者のようであり、それによって観客もこの舞台に参加している感じを受けた。特にウィラード教授が講義形式で「グローヴァーズ・コーナーズ」の説明をするときに、客席に向かって問いかけて、兼光ほのかさんが勢いよく客席からステージへ向かっていく演出も、そういった印象を強めていて良い演出だった。
ただ、終盤のエミリーが1899年に戻って母親に話しかける、訴えかけるシーンで、22人の役者が一斉に、しかも多少声の調子をずらして言葉を発する演出は、彼らが結局何を言っていたか分からずストレスになった。大体の台詞の内容は話の文脈上分かる。いかに日常という何事もない時間が幸せで大切なのかを知らせたいということだろう。様々な人たちの声が一斉に母親に向けられることで、最後のメッセージがここにいるすべての人に当てはまる重要な主張であると見せる演出だと、何を言っているのか観客が分からないことは織り込み済みだろうとは思うけれど、それでも観客としては観測できないシチュエーションに遭遇するとストレスを感じる。そこまでして、そういった演出を組み込むことがこの作品をより良いものにしていたかどうかは、私個人てしては微妙に感じた。

写真引用元:ステージナタリー 東京演劇道場 第二回公演「わが町」より。(撮影:引地信彦)



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

東京演劇道場の一期生と二期生による公演ということで皆演技力高くて素晴らしかった。東京演劇道場の一期生は、約1700人の応募があって、そのうちから300人がオーディションに望んだうちの60人が選出、二期生は900人を超える応募から30人弱が選出されたということで、かなり狭き門のオーディションをくぐり抜けた役者たちなので、本当に全キャストが素晴らしかった。
特に印象に残っている役者について触れていく。

まずは、上演の一番冒頭で観客に向けて説明のような一人語りを披露してくれていた三津谷亮さん。三津谷さんは、2021年9月に劇団時間制作プロデュースの『ヒミズ』に出演されていて演技を一度だけ拝見したことがある。
非常に声が透き通るようでしかもソプラノが歌えそうなほど高くて、さすがは2.5次元舞台で活躍されているだけあるイケメン舞台俳優であった。違和感なく他の役者陣と馴染んでいてその点も良かった。
あとは凄く今回の『わが町』の演出テイストに似合っていた。キャスト全員に悪者はいなくて、皆これでもかってくらい良い人たちに囲まれている。だからこそ三津谷さんが持つピュアな演技が光っていた。舞台『ヒミズ』を観た時は全く違う役を演じていたので、凄く別人なイメージでそうやって役によってキャラクター性を全く別のものに変えられる才能の持ち主なんだなと思いながら観ていた。

次に、第一幕において長い時間ギブズ夫人の役を演じていた李そじんさん。李そじんさんの演技は、DULL COLORED-POPの『丘の上、ねむのき産婦人科』、範宙遊泳『心の声など聞こえるか』、玉田企画『영(ヨン)』と3度観劇していて、今作は4度目の演技拝見となる。
李そじんさんの母親役が本当に素晴らしくて、あの温かみのある声色が本当に小さな町に暮らす心の温かい夫人という感じがしておおらかで好きだった。基本的には小道具とか人形劇の人形以外存在しないので、調理をしたり鶏にエサを与える演技はマイムなのだが、その手先の使い方が凄く美しくて非常に丁寧な演技がとても好感が持てた。本当に素晴らしい女優さんなのだなと改めて実感した。

東京演劇道場の『赤鬼』で赤鬼役をやっていたことでも印象に残っている六川裕史さんも非常に今作でも素晴らしい演技をされていた。
六川さんの演技は、非常に力強くて存在感がある点が好きだった。力強いという印象もあるのだけれど、どことなく愛らしさがある出で立ちというのも、六川さん自身の魅力が舞台上に表現されていて良かった。
そして六川さんが2023年の東京で結婚を挙げる側の役をやるというのも非常に今作の中で重要なテーマになってくると思う。再び演技を観られて良かった。

同じく東京演劇道場の『赤鬼』でミズカネ役を演じていた川原田樹さんも素晴らしかった。
23人の今回の役者は皆若手が多いが、川原田さんのようなベテランの俳優さんも出演されていると、非常に落ち着きも感じられて素敵だった。ちょっとヒゲの生やした強面な感じが、逆に出演者陣に多様性を持たせていて良かった。

「グローヴァーズ・コーナーズ」で風変わりなオルガニストという位置づけのサイモン・スチムソン役を演じていた北浦愛さんも素晴らしかった。北浦さんは、serial numberの『Secret Warーひみつせんー』で一度演技を拝見している。
先述したとおり、北浦さんだけサイモン・スチムソン役という形で定まった役があり、唯一黒い服を着ている。それがまた印象的だったのだが、私が観劇しながら感じたことは、自分だけ黒い服という目立って浮足立った格好をしながら演技をしていて、どのくらい孤立を感じるのだろうかということ。一番今回の配役で役になりきりやすい感じがあって、凄く難しい部分もあるかもしれないが楽しい部分もある役なのかなと感じた。

あとは、おそらく今回の座組で最年少の兼光ほのかさんも非常に素晴らしかった。兼光さんの演技は初めて拝見したのだが、本当に若さと勢いを活かした清々しい演技に魅了された。
特に印象に残っているのは、ウィラード教授が講義形式で「グローヴァーズ・コーナーズ」について説明しているときに、兼光さんが客席から教授の質問に答える形でステージにやってきて勢いよく語る感じが、非常に初々しくて好きだった。

 写真引用元:ステージナタリー 東京演劇道場 第二回公演「わが町」より。(撮影:引地信彦)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

私は実は、この有名なソーントン・ワイルダーの『わが町』を読んだことがなくて、今回の観劇で初めて脚本についても触れる形だった。そんな私が今作を観劇して思ったことをつらつらと書いていく。

この原作がピューリッツァー賞を受賞している一番大きい部分は、いかに「日常」というものが素晴らしく幸せな存在であるかを観客に気づかせる点だと思った。たしかに、今ある日常というのは時間が経つと当たり前ではなくなってしまう。学生であれば友人と楽しく過ごしていた時間は、卒業後には頻繁に会えなくなって、その学生時代がいかに貴重な時間だったのかをあとになって気付かされる。父親と母親と一緒に暮らした時間も、ひとり立ちする、もしくは親に先立たれることによって当たり前の時間ではなくなってしまう。当たり前ではなくなったことによって、今までの日常がどんなに尊いものだったかを気付かされる。

しかし、今回の演出家の柴幸男さんは、この『わが町』という脚本に内在する素晴らしさというものを、「日常」の重要性・大切さだけでは決して片付けていないことを、今回の演出から感じ取った。それは、この物語が「グローヴァーズ・コーナーズ」という小さな町を主人公に描いている点から掬い出している。
柴さんがおそらく今回、かなり重要な役として引き出したのは、サイモン・スチムソンというこの町でよく噂され変わり者扱いされてきた住民の存在である。野田秀樹さんの『赤鬼』にもあるようにムラ社会という小さなコミュニティは、どうしても一人のはみ出しものを作り出して、その人をコミュニティから追い出そうとするような傾向がある。それがマイノリティな存在だったり、余所者だったり、変わり者だったり。そうすることで、その小さなコミュニティの結束力を高めるような働きを持つからである。
柴さんはおそらく、この「グローヴァーズ・コーナーズ」というムラ社会でもサイモン・スチムソンという変わり者を排他的に演出することによって、コミュニティが持つ残酷性を暗示していたようにも思う。「グローヴァーズ・コーナーズ」というのは一見幸せで素晴らしいコミュニティだと感じる。しかし、第一幕の最後で、サイモン・スチムソンに触れたり、夜になると皆家の鍵をかけるようになったという、ある種危機的状況を感じたらコミュニティに属していようとも自分の身だけを守ろうとするという、人間の本能的な側面を描いているようにも感じた。
そしてそういったコミュニティがはらむ残酷さは、2023年の今の東京でも存在する。

ここからは、1900年初頭の「グローヴァーズ・コーナーズ」というアメリカの小さな町と、2023年の東京を重ね合わせた意味を考察していく。
先ほど書いたように、コミュニティが持つ残酷性というのは2023年の東京にも存在すると思うが、そちらに関しては特に劇中では言及はなかったように感じた。あるいはあったけれど私が見逃したのだろうか。
一方で、2023年の東京では、1900年初頭の「グローヴァーズ・コーナーズ」とは異なり、かなり多様性が重要視された社会であるように見受けられた。例えば、結婚式では様々なカップルが結びついて幸せそうにお互いを愛し合っている描写がある。これは、2023年の東京は結婚というあり方が多様化していって、同性婚なども受け入れられるようになっていることを示唆したかったのだろうか。
しかし、私が疑問に思ったのは、結婚の多様化というのは何も同性婚が認められること、年の差結婚が認められることだけではないと思う。第二幕の冒頭で、人は皆20歳を過ぎれば結婚したくなるもの、のようなモノローグがあった。私はそこに違和感を抱いて、何もみんながみんな結婚をしたいと思うわけではないと思った。もちろん結婚をせずに他のことに時間を費やしている方が幸せを感じる人々も沢山いると思う。結婚という行為自体を人間の普遍的な心理として描く点に違和感を感じた。
また、結婚をしたとしても、みんなが結婚式、披露宴を挙げて親戚や友達に祝って欲しい訳ではないと思う。今作では、どんなカップルも結婚式を挙げていて祝福されている様子が描かれているが、それ自体も決して普遍的ではないと思う。結婚式を挙げないという選択肢だって、多様性を享受するうちの一つだと思った。そこを当たり前のように全面的に描くのは首を傾げた。
そして、そんな違和感を意図的に描いて終盤で伏線回収的に、その演出の意図が分かればまた評価は変わってきたのだが、それもなかったので、個人的にはこの2023年の東京の描き方には違和感を払拭出来なかった。もっと上手い演出があるのではと思ってしまった。

ただ、『わが町』の一番のメッセージポイントである、「日常」の大切さという部分を最後に主張したいがために2023年の東京を持ってきたという点については素晴らしいと感じた。まさに今の東京は、当たり前の時間のありがたみを多くの人々が感じるべきだと思う。
それはもちろん、日本という国が震災やコロナ禍を経験したからというのもある。震災によって当たり前だった日常がなくなってしまったり、コロナ禍によって当たり前だったマスクなしの日常がなくなってしまったことは強く想起させられる。平凡な「日常」という時間の重要性を突きつけられる点では、東京を持ち出す点は素晴らしいと感じた。
また、今の日本、というよりも世界は「ウクライナ危機」によって戦争へと向かいつつある。そういった点でも、今私たちが生きている「日常」が未来に失われてしまいかねない。だからこそ、今という時間を大切にしようと思える。今作を観劇して凄くそう思えた。

というような訳で、今作は上手く行っている部分と疑問を抱く部分が混在していて、きれいなまとまりがあるようには見えなかった舞台作品であったが、様々な演出手法と今だからこそ刺さるメッセージ性に持ち帰るものは沢山あったので、観劇出来て良かったと感じている。

写真引用元:ステージナタリー 東京演劇道場 第二回公演「わが町」より。(撮影:引地信彦)


↓東京演劇道場過去作品


↓柴幸男さん作・演出作品


↓北浦愛さん過去出演作品


↓三津谷亮さん過去出演作品


↓李そじんさん過去出演作品


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