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2020/02/22 舞台「まほろばの景2020」観劇

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公演タイトル:「まほろばの景2020」
劇団:烏丸ストロークロック
劇場:東京藝術劇場シアターイースト
作・演出:柳沼昭徳
音楽・チェロ演者:中川裕貴
出演:阪本麻紀、澤雅展、あべゆう(劇団こふく劇場)、小菅紘史(第七劇場)、小濱昭博(劇団短距離男道ミサイル)
公演期間:1/25〜1/27(兵庫)、2/16〜2/23(東京)、2/29〜3/1(三重)、3/6〜3/8(広島)
個人評価:★★★★★★★★☆☆


【レビュー】


1時間50分の芝居だったが全く飽きることなく、むしろどんどん引き込まれていく作品だった。東日本大震災といった大災害によって失った家族や知人を、神楽を催すことによって徐々に消化していく、現実として受け止めていく人々の姿に感銘を受けた。
また、今まで「神楽」というもの自体をそれほど詳しく知らなかったので、どういった意味で開かれるのか、どんな雰囲気なのかといいうことが少しでも知ることができ、古く日本から根付く芸能のルーツを辿れた気分が味わえてよかった。また、要所要所で田舎に暮らす人々が感じる生き辛さが表現されていて、苦しくもあったがやはり神楽によって少し救われた気分にもなれたことがとても不思議な感覚だった。
田舎から都会へ出てきた者がこの作品を観たら絶対何か重いものを感じるだろうなと思う。現代に生きる多くの日本人に見て欲しい傑作だと思った。

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【鑑賞動機】


東日本大震災後の人々の生きにくさを描いた作品の再演ということで重いテーマの舞台だと思ったが、すごく気になったので観劇することに。また今作に客演で出演している劇団短距離男道ミサイルの小濱昭博さんの芝居は、学生時代によく拝見していたので久しぶりに観劇したいと重い足を運んだ。Twitterでの兵庫公演での口コミが評判良かったので期待値は高め。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)


フクムラヨウスケ(小濱昭博/劇団短距離男道ミサイル)は、熊本の仮設住宅でボランティアとして面倒を見ていた、障害を持つモリヤマカズヨシ(澤雅展)の行方を探していた。通りかかる人に話しかけても知らないと答えられる。
ある時、フクムラはある男にカズヨシについて聞くと、「探しても無駄、どうせ死んでいるな」と冷たい答えが返ってくる。その時フクムラの目の前に自分の父親(小菅紘史/第七劇場)の姿が現れる。震災で我が家は津波に流されて瓦礫まみれ、思い出の詰まった我が家はもうそこにはなかった。神楽を踊る父親の姿、下手くそとフクムラを怒鳴りつける父親の姿が映し出される。
次にフクムラはカズヨシの捜索中に、以前付き合っていた腹に手術の跡が残る女性(あべゆう/劇団こふく劇場)が現れる。彼女も震災に対してトラウマを抱えており、震災時のことを語るだけでも発狂し出してしまう。またもう一度一緒にいようとフクムラに寄り添ってくるが逃げる。
次にフクムラは関西で学生をしていて社会に出ようとしている友人(澤雅展)に出会う。彼は、熊本で未だにボランティア活動を続けようとしてるフクムラをバカにしたような口ぶりで「生きろ」と告げられる。
フクムラはまるで生きる目的を失った人間のように、慌てふためいて舞台上を忙しく走り回る。チェロの生演奏も相まって不穏で緊迫した雰囲気が漂う中暗転する。

フクムラは、ずっと探していたカズヨシの母親(阪本麻紀)に会いにいく。彼女も田舎で生きづらさを背負いながら日々を暮らしていた。彼女は大事に保管してある過去帳を取り出しながら先祖の名前を言うと、それは神楽の山伏を伝えた人物だとフクムラは神楽との接点を見出したことに歓喜する。母親はフクムラには非常にカズヨシのことでお世話になって感謝していると伝えるも、フクムラと一緒に暮らしたいと懇願するがフクムラに拒絶されたことから「まるで仏のように優しく見守るだけで手を差し伸べてはくれない」と言って引き裂かれる。
人は死んで神となるまで33年かかるという言い伝えから「33年、六根清浄」と唱えながら、チェロの生演奏と共にリュックを背負い腰をかがめて皆で歩き回る。フクムラ自身も人々と出会う時は平然を保ちながらも、実家が津波で流されて瓦礫と化してもう思い出の詰まった記憶は頭にしかないこと、元カノにすがられること、友人に「生きろ」と言われたこと、色々と苦しいことも沢山あり生きづらさを感じ続けていた。
だからこそ神楽をやろう、そうして舞台上で神楽が始まる。

太鼓と鐘の生演奏と共に、父親とカズヨシが神楽を踊り出す、そして釣られてフクムラも楽しそうに踊り出す。父親の足袋で地面を踏みつける音もリズムよく刻まれる。天井から雨が滴り落ち、足元をびしゃびしゃに濡らしながら、びしょ濡れになりながら激しく神楽を踊るフクムラとカズヨシ。
最後は、雨が止んだ中みんなで「33年、六根清浄」と唱えながら山頂を目指して終わる。

まずストーリー構成が非常に上手いと思った。主人公のフクムラという視点を通して震災(東日本大震災だけでなく熊本地震も含む)を経験した者の生きづらさをジワジワと観客に伝えていく。その上で、そういった生きていく上で抱えてしまった重たい経験から解放されようと、「33年、六根清浄」と唱えたり神楽を行なった。そうすることで、神楽にたどり着く必然性みたいなものを上手く表現していて、つまりそれは観客誰しもが神楽について知り、神楽の重要性に気づくようなシナリオになっているように思えた。
これは古典芸能が融合した現代演劇として新たなジャンルを切り開いた快作といって良いと思った。


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【演出・世界観】(※ネタバレあり)


本当にこの舞台は、演出と世界観がバランスよく、完璧と言っても過言ではない。

まずは舞台装置だが、中央に正方形のステージがあってメインはそこで演技や神楽が繰り広げられる。天井からは何枚もの白い薄い布が垂れ込めていて、それがなんとなく現代を生きる人々が感じる不安を表している気がした。
ステージの左右には神楽の鐘や太鼓を鳴らせるスペースが用意されており、また「33年、六根清浄」をお経っぽく言うためのマイクも設置されていた。舞台中央奥には、ジャングルジムのようなパイプで出来た装置が用意されており、最後のシーンでフクムラを筆頭にみんなでよじ登ることで山頂へ行って清浄するために使われる。その背後にはチェロ奏者の中川裕貴さんが演奏しているという構図。
まずこの舞台美術がとてもシンプルで素敵だった。特に不安を象徴するような布の存在がたまに演者が神楽で踊ったり演じたりする時の妨げになっていて、それが強く前へ進んで生きていこうとする人々を阻害しているようにも見えた。

次に照明は、基本的に青白い照明と黄色い照明がメインなのだが、布に普段青白い照明が当たっている中で、黄色い照明が当たることで青と黄色のコントラストが強く目立って非常に良かった。
また特に印象に残った照明は、終盤の天井からの雨でステージ上に大きな水溜りが出来た時に、その水面が布に反射しているときの照明。これが物凄く綺麗だった。水を使った演出はこんなことも出来るんだなと改めて演出の幅の広さを知った。

そして音響。今作の舞台美術の目玉は白い布と、Twitterでもかなり評価されていたがチェロの生演奏と神楽の生演奏だと思っている。
まず中川さんによるチェロの生演奏は、ストーリーでフクムラが生きづらさを感じて動揺していくタイミングで入るのでタイミングが絶妙に良かったということ。そして生演奏なので、不安漂うあの感じが物凄く自分に突き刺さってきて非常に鳥肌が立つレベルで心に響きわたったのがとても良かった。また、神楽の時に流れるあの鐘の「チンチチ、チンチチ」という音と太鼓の「ドンドッドン」という音と、役者が足袋でふみ鳴らす足音でリズミカルに且つ、本当に神楽を見ているような感覚にさせた部分が非常に良かった。
こういった古典芸能はスピーカーから音を流しても良さを感じない、生演奏でこそ伝わる、生演奏の良さを存分に活かした作品だったと思った。
また、客入れ曲が全くかからず芝居が始まるのも好きだった。確かにこの作品には客入れ曲はいらない、静寂さが音楽にもなって場を作っている気がした。

その他演出部分でいうと、雨が降りしきる中で神楽を踊るびしゃびしゃといった迫力が印象に残ってとても魅力的な舞台に見えた。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)


キャスト陣の演技力のレベルの高さも際立った舞台だった。中でも客演ながら主人公のフクムラヨウスケ役を演じてきた劇団短距離男道ミサイルの小濱昭博さんの芝居が非常に良かったので、彼を中心に取り上げる。

小濱さんの演技は何年も前の学生時代に拝見して以来だったが、正直ここまで1人の好青年として演技している姿がとても新鮮で且つ物凄く穏やかで温かみのある演技にびっくりした。
もっと小濱さんは短距離男道ミサイル(以下男道)で全裸でエネルギッシュな芝居をする印象だったが、今回の作品を観てそんな演技よりも物凄くナチュラルな好青年を演じた方がよっぽど印象に残るし輝いている感じがした。また、1時間50分の作品でほぼほぼフルで出演しているっていう点も驚きで、ほとんどハケずにあれだけの台詞量を淡々と演じていくという、役者としての基礎体力の高さも物凄く感じた。
私が特に印象に残っているのは、誰に対しても腰を低く接して悪いことを決して人前では言おうとしない好青年な立ち振る舞いで、元カノの女性に優しくしたり、カズヨシの母親にも優しくするあたりが好きだった。また、神楽を踊っている時の姿もとても印象的。神楽踊りに自信はなくても、周りに合わせて無邪気に踊っている姿がとても印象的だった。

他のキャストでいくと、カズヨシ演じる澤雅展さん、元カノ役演じるあべゆうさんの演技がとても良かった。
澤さんは、障害を抱えた子供の役だったので非常に難しい役だったと思うが、基本的に舞台奥側を見て、そっぽを向いている感じの演技がカズヨシらしさが出ていたのではないかと思えてきた。
あべゆうさんは、とくに震災の話をして物凄く怖がって発狂する演技がとても印象的だった。いかに震災が恐ろしい経験だったのかがしみじみ伝わってきた。
小菅さんは神楽の師匠的な立ち位置が貫禄あって良かったし、阪本さんはちょっとあべゆうさんとかぶるようなキャラクターだったので、もっと違うキャラクターで演じて欲しかった感じはした。

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【舞台の深み】(※ネタバレあり)


東日本大震災、もうあれから9年という月日が経過しようとしているが、「もしかしたら行方不明者が見つかるかもしれない」という願望を込めて、震災で家族を失って行方不明のままの人々やボランティアの人々が未だに搜索活動をしているというニュースを最近見た。
でもその時の私は、本当に失礼ながら「まだ探しているのか」「絶対見つからないだろう」と心の中で思ってしまった。
しかし今回の作品を観て、物凄く被災した側の人間の立場に立てた気がした。確かにもう何年も時間が経ってしまうと行方不明者を発見することは非常に困難だ、しかし行方不明の家族が戻ってこないと震災で出来た心の傷は絶対癒えることはない。震災という重い過去を一生引きずって生きていけないといけない。そんな重い荷物を少しでも軽くしたいという気持ちが、搜索活動というところに繋がっているのだろう。今回の作品に出てくる、様々な震災を経験した人々の証言を聞いてそう思えてきた。

また、澤さん演じるフクムラの友人の台詞ではっと気付かされたことがある。それは、「熊本はもうニュースで何も報道しないから復興した」という発言だ。
これは決してそんなことない、ニュースで報道されなくても仮設住宅で住んで未だに実家に帰れない人もまだいるはず。
でもそんな事実を、昨今の新しいニュースによって上書きされて忘れ去ってしまっていたという自分がここにいたということだ。自分が知らない中で、必死に被災と向き合って前へ前へと生きている人々は沢山いるということを諭してくれた。
そういう意味で、今回この作品が私に与えてくれた気づきというものは非常に多く、心から観て良かったと思っている。

そんな生き辛さを消化するために、神楽というものが存在するのだと。
神楽という行事は以前から知っていたが、どんな意味があるのか、どう地方によって違うのかなんてことは全く知らなかった。生き辛さを感じて閉塞感を募らせた人々の拠り所として、皆胸の中に秘めた何かを持って神楽に参加して一体化を生み出す。確かに、そうさせるような並大抵の人々のエネルギーがないと神楽は成立しない。神楽はもはや各々の過去の人生を体現した共通言語なのかもしれない。そしてそういった拠り所となり得るからこそ、山間部の隠遁とした場所で密かに行われるのかもしれない。
古典芸能って調べてみるととても奥が深い。

日本は今急速に人口減少が進んでいる。田舎では特に人口が激減している。神楽のような芸能のルーツをちゃんと語り継ぐ人材が、人口減少に負けず残っていって神楽の素晴らしさを受け継いでいってくれることを願うばかりである。

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【印象に残ったシーン】(※ネタバレあり)


特に印象に残ったシーンは、終盤の神楽をみんなでやるシーン。神楽ってこうやって一体感を生み出すことで苦しさから救済してくれるのか、神楽をやってみたい。そう思わせる演出構成が非常に見事だった。足袋でだんだん足踏みしながら、リズムに乗って踊るあの楽しい感じがとても好きだった。

生演奏チェロのシーンも印象的、ずっとフクムラが誰からも理解されず1人もがき苦しむあのシーンは鳥肌が立つくらいジーンと感じるものがあった。とても上手い演出だと思った。

それと個人的には、フクムラと友人が語り合うシーンがとても辛く印象に残った。熊本へボランティアへ行く行動を軽くあしらわれ、「生きろ」と言われてしまう辛さ。自分だったら相当傷つくなと思ってしまったシーン。

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