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舞台 「老いと建築」 観劇レビュー 2021/11/13

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【写真引用元】
阿佐ヶ谷スパイダースTwitterアカウント
https://twitter.com/asagayaspiders/status/1443826308727783428/photo/1


公演タイトル:「老いと建築」
劇場:吉祥寺シアター
劇団・企画:阿佐ヶ谷スパイダース
脚本・演出:長塚圭史
出演:村岡希美、志甫まゆ子、藤間爽子、坂本慶介、富岡晃一郎、中村まこと、木村美月、李千鶴、森一生、長塚圭史、伊達暁
公演期間:11/7〜11/15(東京)、12/4〜12/5(長野)
上演時間:約135分
作品キーワード:家族、住まい、会話劇、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


神奈川芸術劇場(KAAT)の芸術監督を務める長塚圭史さんが主宰する劇団である阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演を観劇。
阿佐ヶ谷スパイダースの舞台作品を観劇するのは初めて。

今作は、寺田倉庫が運営するWHAT MUSEUMで開催された、言葉と建築のコラボレーションを実現した「謳う建築」展において、長塚さんと建築家の能作文徳さんとの出会いから生まれた作品。

物語は、広大な敷地を持つ豪邸に住まう老婆と家族の話。
老婆(村岡希美)は長年この豪邸に住んできたため、過去の様々な思い出と共に愛着を抱いているが、娘の仁子(志甫まゆ子)はこの豪邸で色々あって嫌いだった。
一方で豪邸にあまり馴染みのない孫の喜子(藤間爽子)、りぼん(木村美月)、介護士の朝岡(森一生)はこの豪邸を気に入っていた。
登場人物たちの立場によってそれぞれ豪邸に対して印象が違い、様々な視点で豪邸が解釈される様が観劇していて興味深かった。
個人的には建築というテーマよりも、長い時間軸を経て家族が豪邸で過去に経験してきた出来事が回想されるような形で繰り広げられる演出が凄く好きで、一つの家族の移り変わりを垣間見ているような面白さがあった。

老婆を演じる村岡希美さんの演技が非常に素晴らしかった。
現在の老婆としての演技と、豪邸を建築する時の若かりし頃の演技、孫が産まれた頃の年齢の演技と、幅広い年齢層を同時に演じるのだが、その演じ分け方が非常に上手くて、照明演出の素晴らしさも相まってしっかりと場転されなくても時間軸が過去になった、未来になったというのが観客に伝わってくる。
そして、この老婆のキャラクターがどことなくジブリに出てきそうな、歳をとって頑固でプライドの高い老婆なのだけど、どこか魅力的で惹かれる部分があって私は凄く人間らしくて好きだった。
凄くジブリを想起させられたのだけれど、なぜなのかは上手く説明出来ない。

長塚さんの作品は初めて観劇したのだけれど、これからはチェックして積極的に観劇しに行こうと思えた。
多くの人にお勧めできる作品。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697392


【鑑賞動機】

長塚圭史さんという劇作家は以前から有名で存じ上げていたが、舞台を拝見したことがなかったため観劇するタイミングを窺っていた。今作は阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演であること、そして劇団東京夜光の「いとしの儚」で素晴らしい演技をされていた劇団員の藤間爽子さんが出演されているということもあり観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

広大な敷地を持つまるで迷宮のような豪邸に、老婆となったわたし(村岡希美)は暮らしている。オープニングでは、天井から紙吹雪が舞い降りながらBGMが流れる演出。
わたしは、基督(のりすけ:坂本慶介)と一緒に食卓に座っていた。基督はわたしに向かって、タバコについての話や夏休みの宿題の話について語る。学校にいるときはいつも空を眺めていたとか。

今日は亡くなった夫の命日ということで、家族が豪邸に集まっていた。わたしの娘の仁子(志甫まゆ子)や仁子の娘つまりわたしの孫となる喜子(藤間爽子)、そして仁子の兄である一郎(富岡晃一郎)と一郎とは随分歳が離れているが恋人と思われるりぼん(木村美月)が来ていた。
一郎は調子の良い性格で陽気に振る舞っていた。りぼんはわたしと初対面だったので挨拶をして花束をプレゼントしたが、わたしは花の色のセンスが悪いと気に入っておらず、気まずい雰囲気となった。泣きそうになったりぼんを優しく慰める一郎。ただりぼんはこの豪邸が物珍しくて気に入ったようで、あちらこちらを散策して回った。

わたしと喜子で2人きりになる。喜子はわたしに対して、仁子の夫である英二がわたしと以前"やったこと"があると聞いたのだけど本当かどうか追求する。わたしは明確な答えを出さなかった(と記憶している)。そしていきなりわたしは誰もいないはずの場所に向かって語り始める。喜子は狐につままれたような感じになる。
わたしは建築家(伊達暁)と話し始める。建築家は喜子には見えていない。わたしが若かりし頃の豪邸を建てる時に時間が遡る。わたしは建築家と共に豪邸の間取りやデザインを決めていた。わたしは暖炉を置きたいと建築家に相談するが、彼は薪ストーブを提案する。しかし結局、わたしは意見を押し通して暖炉を設置することになる。だが結局暖炉はその後あまり使わなかったらしい。
建築家には老後のことを見据えて、後で増築できるようにスペースを確保したり、バリアフリーとして階段の横にスロープをつけることを薦めるが、老後なんてまだ遠い先のことだとわたしはバカにしたように聞き流していた。しかし、今では階段にスロープを付けておいたことが功を奏している。
わたしの夫であるあなた(中村まこと)も、大層完成した豪邸を気に入っていたようでわたしと二人で夫婦水入らずの時を過ごした。子供も産まれ、一郎と仁子も元気よく豪邸の中を飛び回っていた。

仁子の独白が始まる。仁子は「にこ」と読み、彼女はこの豪邸が嫌いのようであった。良い思い出もあったけれど、悪い記憶の方が強いからであろう。
今日豪邸に集まったのも久しぶりで、なぜ集まったかというと勿論父親の命日ということもあるのだが、それよりも母親(わたし)のボケが激しくなって心配になったという側面が強かった。
仁子と一郎は2人で母のことについて話し合い始める。仁子は母を施設に預けてこの豪邸の処分を考えていた。住まなくなった家の老朽化は早いもの、そして仁子と喜子と基督でこの豪邸に引っ越すつもりもなかった。
しかし、一郎は母をいともたやすく施設に預けることに反対した。母にとってこの豪邸は愛着のある場所だし、介護士に豪邸に来てもらって世話してもらうのもアリだと言う。仁子は一郎に対して、りぼんと共にこの豪邸に移り住んで母の面倒を見てくれるかと思ったが、そうではないようだった。

わたしは火曜と土曜に、朝岡(森一生)という介護士によってデイサービスを受けることになる。朝岡は大層この豪邸のことを気に入っているようで、わたしの世話をするだけではなく、豪邸の隅々までボランティアで掃除をしてくれていた。中庭、キッチン、裸の石像、等身大の馬の像、2階、3階と隅々まで朝岡は把握し、まるでわたしの彼氏であるかのように寄り添って入浴まで面倒を見ていた。その光景を、喜子は気持ち悪そうに眺めていた。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697393


過去に遡り、わたしとあなたの豪邸の元に、いつも何か差し入れを持ってくる今津美智子(李千鶴)という絵描きであるあなたの後輩がいた。わたしがその場を立ち去ると、あなたと今津の2人で体を触れ合いいちゃつくなど不倫関係にあった。
ある日、いつものように今津があなたとわたしの夫婦宛てに差し入れを持ってくると、わたしがあなたの方から今津さんに話があると切り出される。しかしあなたはなかなかその話が切り出せずにいた。わたしは早く伝えるように催促する。あなたは今津に向かって、もう二度と会わないことを約束してくれと言う。
わたしは、あなたから今津の存在とこれまでの時間を記憶から抹消したいと言う。今津は驚きを隠しきれず返答出来ずにいた。そしてわたしは、まるで今津はここにいなかった人であるかのように扱い、その場を離れた。
今津は怒り出し、どれだけ傷つけられるのかとあなたを振り向かせようとするが、あなたは一切今津に口を聞いてはくれず、それから今津は豪邸に現れなくなった。

しかし、今津が豪邸に来なくなってすぐのこと、あなたは他界した。わたしはあなたの死因を病気だったと答えるが、娘の仁子は、父の死を病気ではなく今津と会えなくなった故の自殺なんじゃないかという疑いを持ち続けていた。
そんな一連の出来事を喜子はそっと見守っていた。

朝岡は竹箒を持って豪邸内を掃除していた。竹箒でないとこの豪邸はとてもじゃないけど掃除しきれないと。りぼんも豪邸を気に入ったらしく、わたしと仲良くなろうと色々会話を繰り広げる。
喜子の独白が始まる。喜子にとってこの豪邸にはあまり愛着がなく、少なくとも母の仁子よりは良い印象を持っていると言う。そして離婚した父英二のことに関しては、性格は最悪だったと聞いているが少なくとも養育費を定期的に入金してくれるという点に関しては、金銭面的にはかなり家族に貢献してくれたし、そのおかげで今があるということもあるので悪い印象は抱いていなかった。

仁子の夫の英二(長塚圭史)は、大層DVを働くヤバい夫だった。今日も英二はモノを壊したりなんかして赤ん坊である喜子を起こしてしまった。仁子のお腹の中には赤子がいたが、英二の言動に仁子は絶えられなかった。
仁子は逃げ、英二は喜子はどこだと彷徨う。そしてわたしに向かって、喜子はどこか教えてくれと懇願する。喜子は渡さないと断固わたしは拒否する。そしてわたしと英二で暴力沙汰になる。わたしは英二にリモコンで殴られる。
英二は一族から手に負えないと思われ離婚する。基督が産まれて直後のことだった。基督は英二が付けた名前だったが、学校で大層いじめられたそうだった。
その後、英二からしっかり養育費は受け取り、二度と仁子たちは英二に会うことはなかった。
そんな様子を喜子はそっと見守っていた。
今日もわたしは豪邸に住んでいる。建築家と共に。ここで物語は終了する。

豪邸、そして苦楽を共にしてきた老婆(わたし)、物語を追っていくと住まいってタイムカプセルのようなもので、過去の記憶が何層にも渡って保存されている空間のように思えてくる。この物語で言えば、豪邸を建築する時の間取りやデザインを構想したこと、亡き夫との思い出、今津との出来事、それから仁子と英二夫婦のこと、そういった時間軸は違えど豪邸内で起きた出来事を全て知り、吸収してくれている場所だと感じられた。
考察で詳しく書くが、この作品を観劇しながら自分が生まれ育った、今は空き家となっている実家を思い浮かべてしまった。あの空間には自分の幼かった時の記憶や出来事が保存されていて、凄く懐かしさを感じさせてくれる非常に贅沢な時間を満喫出来た。
演劇の良さを改めて感じさせてくれた脚本だったと思っている。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697394


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作の世界観・演出は、個人的には照明演出が群を抜いて素晴らしかったと感じている。もちろん、他の演出も素晴らしかったのだが。
舞台装置、照明、音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。豪邸を舞台とした作品ということで、作品を観劇されていない方だったらどんな立派な舞台装置なのだろうかと思うかもしれないが、至って抽象的でシンプルな作りとなっている。
まず舞台中央には四角い食卓が置かれていて、その周囲に4〜6ほど椅子が置かれている。わたしは基本的にはこの食卓の中央奥側の椅子に腰掛けていた。
その周りの4隅には背の高い木造の柱がそびえ立っており、舞台上手側奥には実際には使用出来ないが階段と思われるオブジェが設置されていた。
このように抽象的な舞台装置ばかりで、介護士の説明にあったような裸体の石像や、等身大の馬の像、アトリエ、キッチンや中庭は登場しないが、だからこそ観客がイマジネーションで豪邸を想像出来る余白がある点が素晴らしいと感じられた。自分の中でイマジネーションした世界観の中で物語が進行していくような感じ、とても演劇的で素晴らしいと個人的には思った。
また、舞台装置というよりは道具に近いが、わたしが階段を登る際に建築家が登場して用意する、横に長い木造の棒が印象的だった。バリアフリーを感じさせる木の棒。今作の一つのテーマである「老い」の象徴である。

次に照明演出、とにかく演出が巧み過ぎて鳥肌が立っていた。
基本的にこの作品では特に場転をせずに時間が遡ったり、戻ったりするので、そこの切り替わりを照明の変化によって観客に分かるように演出されていたのだが、その切替え方が秀逸だった。
一番印象に残っているのが、物語序盤の方でわたしが喜子と2人で話している途中で、わたしが喜子には見えていない建築家に話しかけて、そこから豪邸を建築する際の過去に遡るシーン。わたしを演じる村岡希美さんの演技が若返るという演出も相まって、非常に懐かしい過去を回想するかのような照明変化だった。過去になることによって照明の差し方が明るくなる感じが好きだった。それまで個人的には退屈なシーンが続いていたのだが、この演出によって一気に作品に入り込めた。
他にも時間軸を移動させる時に照明を上手く使った演出が度々あって非常に巧みだった。
また、物語後半で暗転して屋敷が真っ暗闇になるのだが、わたしがペンライトのようなもので灯りをともす演出も好きだった。

そして音響、基本的に音響は豪邸にふさわしい穏やかで落ち着いたクラシック音楽が幾つかのシーンで流れていた印象だった。基本ピアノ音楽が多かった気がする。
特に印象に残るのは、エンディングのヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が流れるシーン。凄くしっくりきたクラシック音楽だと思っていて、この優雅な曲調がこの豪邸とわたしという主人公が長い時間をかけて共に過ごしてきたことを印象づけるようなメロディに聞こえた。
また効果音も良かった。豪邸の木造の軋む音。新築当初は「ミシッ」という効果音が舞台上に度々流れていたが、これを建築家は「こうやって軋みながら建物に馴染んでいく」と解説したのが素晴らしかった。これはまるで豪邸という建物が生きているかのように感じられて、そしてその軋む音がしなくなっていくことで建物が完全に馴染みきって古くなっていく感じがして、わたしという主人公と共にこの豪邸自体も時間を共にしていることに趣を感じた。
それとボリュームとしては小さいが、ずっと時計の秒針が鳴り続けているのも好きだった。わたしという主人公と豪邸が時間を共に過ごしている感じを上手く演出している感じがした。


その他の演出について見ていく。
印象に残っているのは、まずオープニングシーンの音楽と共に大量の紙吹雪が天井から降り注ぐ演出。そんな中、わたしは一人中央の食卓に座っている。Twitterの感想では、この演出で一気に引き込まれたなどの高評価な感想を散見したが、個人的にはここでは引き込まれなかったかも。たしかに印象に残る演出ではあったが、作品に引き込まれたのはもっと途中からだった。でもオープニングとしては素晴らしかったと思う。
わたしの娘の仁子とその子供の喜子のみ独白のシーンがあるのだが、そこもまた劇全体として良い意味での影響を与えていたと思う。割と家族の状況説明になっている台詞であり、そこを説明しなくても伝わるよって思った節もあったが、仁子と喜子でこの豪邸の捉え方が全く異なるので、そこを上手く比較できるという点でも作品のメッセージ性を上手く捉えることに一役買っていた気がした。
ちょっと分からなかったのが、基督のこの作品での立ち位置。基督のキャラクター設定としては、この名前のせいで学校でいじめられていた。しかし、割と老婆であるわたしにはなついていて、この豪邸に対しても悪い印象は持っていないという状況だったかと思っている。気になるのが、序盤の方のシーンで喜子には見えていなかったが、わたしには見えている基督が食卓でずっと座って突っ伏していたこと。基督は建築家やあなたと違って過去の人ではないので、普通に登場しても良い気がするのだが、わたしの幻想という形で登場していた。この理由がよく分からなかった。自分自身が取りこぼしたシーンがあるからかもしれない。そこだけ解釈出来ずモヤモヤが残ってしまっている。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697396


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作は阿佐ヶ谷スパイダースの劇団員のみで挑んだ作品で、村岡希美さん、藤間爽子さん以外は初めて演技を拝見するキャストさんだったが、非常に皆レベルが高かった。特に印象に残ったキャストについて紹介する。

まずは、主人公の老婆のわたしを演じた村岡希美さん。彼女の演技は2021年6月に上演されたNODA・MAPの「フェイクスピア」以来の2度目となる。「フェイクスピア」で出演されていた村岡さんは、正直他の方の演技力の高さに目が奪われて、そこまで強い印象は抱いていなかったのだが、今作では抜群の怪演ぶりを発揮していた。
わたしという役は、現在の時間軸である老婆の役になったり、豪邸の建築当時の若かりし女性の役になったり、はたまたその中間の60代くらいの女性の役にもなったりするのだが、そこの役作りが非常に上手くなされていてまずそこで感動した。その年齢幅に応じた演技が観客にも分かるようになされているからこそ、このシーンの時間軸はいついつだ、と特定出来る訳で、そういった作品の演出にも関わってくる部分を上手く演じられていて素晴らしかった。
さらに、老婆の歩き方、手すりの掴まり方、喋り方が非常に老婆らしさを感じさせられて良かった。リアリティの追求というよりは、裕福でプライドが高く美意識の高い老婆だったらこんな感じだろうなという僕らが持っているイメージをきっちり裏切らず体現してくれている所。そこが素晴らしいと感じた。
そしてこのキャラクター性ってどことなくジブリに登場しそうな、ちょっとファンタジーっぽさのあるキャラクターで好きだったのだが、なぜジブリが自分の中で強く想起されたのかは自分でも分からない。赤いカーディガンと青いインナーという衣装から「ハウルの動く城」のソフィーに近いと感じたからだろうか。いずれにせよ、個人的には好きなキャラクターだった。

次に、わたしの娘である仁子役を演じた志甫まゆ子さん。演技は初見。見ていてつくづく選ぶ男のセンスないなと感じていた。DV男の英二と結婚してしまうなんて、、、と個人的には感じてしまう。
ただ、この豪邸を嫌いになってしまう理由は、仁子の立場からすればよく分かると思った。母であるわたしの強い強制力によって、父であるあなたは自殺に追い込まれたと思っている訳だし、さんざんDV男英二には頭を悩ませてきた訳で、正直家族というものに対してポジティブな印象は抱いていないだろう、したがってそういった負の出来事が起きた豪邸にも良い印象はない。
その分、喜子と基督を父親英二の分までしっかり可愛がってあげて欲しいが。

仁子の娘である喜子役を演じた藤間爽子さんは、今作でも非常に透明感のある魅力的な演技をされていた。彼女の演技を拝見するのは、2021年3月に上演された劇団東京夜光の「いとしの儚」以来2度目となる。「いとしの儚」でも儚役で非常に透明感のある演技に魅了されたが、今作でも前作ほど出番は多くなかったが魅力的な演技だった。
一番彼女の役として注目したいのは、喜子自身の感情の変化である。彼女は、この豪邸で起きる一連の出来事を観客と一緒に目の当たりにする役割を担っている。つまり、観客は立場としては一番喜子の立場に近いということになる。喜子は最初は、この豪邸に対してあまり愛着がなかったため好印象に捉えていたが、一連の出来事を目の当たりにすることで、おそらくネガティブな印象も抱いたんじゃないかと思う。私たち観客が観劇してそう感じたように。
そうやって自分が知らなかった過去を次々と知ることによって、成長していくさまが非常に素敵だった。
演技も主張が一番ピュアに感じられて、若さを感じさせるという意味では一番感情移入しやすい役で好きだった。

仁子の兄である一郎役を演じた富岡晃一郎さんの演技も非常に好きだった。演技自体は初見なのだが、今回のキャスティングの中では一番浮いている感じで、笑いを誘ってくれる所が好きだった。
そしてすぐ忘れちゃう性格や、忙しいを理由にしてしまうダメな男感も好きだった。そんでもって、あれだけ色々大変な出来事が起こってきたのに、豪邸には愛着があって仁子とは大違いっていうのが、表面だけ聞くと聞こえがいいがまあ頼りにはならないよなあと思ってしまう。女性目線でみたら大半の方が彼に×をつけると思う。
それと、服装のセンスはよくないが個人的には好きだった。

落ち着いた雰囲気があって好きだったのが、建築家役の伊達暁さんと、夫のあなた役の中村まことさん。
建築家の方は、まずオーラが大好きだった。いかにも昔の建築家・芸術家といった感じで白いサスペンダーに黒縁の小さな丸メガネが非常に古風な専門家という感じがあって似合っていた。そしてわたしに対する語りかけ方も良かった。
夫役の中村まことさんは、風格はあっても奥さんの前では逆らえずタジタジとなってしまうあたりが好きだった。そして見かけによらず陽気でロボットの真似をするような子供じみたところも良かった。

リボンだよ役の木村美月さんは、演技としては素晴らしいのだがキャラクター的には自分の好みには合わなかった。役者としては魅力的だったので、ゆうめいの「娘」での演技を楽しみにしている。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697395


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

考察パートでは、家族としての群像劇という観点と、作品のテーマである「老いと建築」という観点の二本立てで見ていこうと思う。

まずは、家族としての群像劇という観点で人間関係を整理しながら考察する。
主人公のわたしという女性は相当権力の持った強い女性であった。建築家に暖炉を置きたいという要望などを受け入れさせるというのもそうなのだが、一番印象に残っているのは今津と夫のシーン。夫に今津に対して、もう二度と会わないと目の前で言わせるってそれヤバいなと感じながら観ていた、そういった面白さがあるから楽しめた面もあるのだが。
当然わたしにとってはパートナーの不倫は許されぬことではあるが、あそこまでさせるのは拷問に近い。原因は定かではないが、その直後に夫は亡くなってしまっている。娘の仁子があれは自殺だったと主張していたので、間違いなく今津と別れたことが彼の寿命を短くしたことは事実であろう。夫にとっては、今津は欠かせない存在で妻に相談出来ないことや妻とでは解消されない感情を今津によって解消していたのだろうか。今津と会えなくなってしまったことによって、そういった感情は解消できなくなり苦しくなって自殺したのだろうか。はたまた、今津を傷つけてしまったショックが大きすぎて自殺してしまったのだろうか。いずれにせよ、妻に支配された死に方を夫は遂げていた。
特に仁子にとって許せなかったことは、夫が亡くなった後、わたしと年齢が近かった仁子の夫である英二とやった可能性があるということである。もしそれが事実なら、夫であるあなたに対して散々なお仕置きをしておいて、自分も同じ罪を犯していることになる。たしかにこんな事実を目の当たりにしたら仁子は、それは家族を嫌になってしまうと思う、英二のことを含めて。
そして同じ状況を見てきているはずの一郎は、物事をすぐ忘れちゃうし女癖は悪いし、忙しいを言い訳にする男なので頼りにならなかった。ここまで考えると、凄く仁子に対して同情してしまう。周りの人間クソばかりだと。

仁子が経験してきた出来事を傍観して、喜子はどう思ったのだろうか。凄く複雑な気持ちになったんじゃないかと思う。経済的な援助は元父親の英二から受けていて、言ってしまえば彼がいなかったら今の自分はいない訳で、そして英二が以前いた会社で仕事もしていて、でもそんな英二のことを大好きな母は嫌っている。
印象的なシーンがあって、喜子が仁子に向かって自分の前で英二のことを悪く言わないようにお願いするシーンがある。凄く辛いと。でも仁子はもう二度と英二のことを悪く言わないことは約束するものの、彼のことはクソ野郎だと心の中で思い続けているという事実は吐露する。喜子の立場に立ったら非常に残酷なシーンに感じた。

この一連の出来事を踏まえて、家族という視点で思ったことは、家族といえど立場が違って経験してきたことはバラバラなので、思想や価値観って全然違うんだなというネガティブな印象である。同じ家族であったとしても、事情を抱えていれば抱えているほど、各々考え方はバラバラで共感が難しいものなのかもしれないと感じた。

次に「老いと建築」についての考察に入る。
自分はこの作品を観劇して、将来家族を持ったら新築の家を建てたいと強く思った。あまり転々と住居を変えたくないなと、そして自分たち夫婦の思い出で住まいの色を染めていきたいなと。
そう強く感じた背景には、この作品を観劇しながら私が生まれ育った古い実家を想起させられたからだと思う。

ここからは私自身の話になってしまうが、私の故郷には私の祖父と祖母が住んだ築60年以上の古い家がある。なかなか立派な家で敷地も広く(さすがに今作に出てくる豪邸からすればちっぽけなもの)、劇中であったような2階に行くと毎回部屋が移動しているかのように迷宮のようみたいな下りがあったが、それと似ていて自分があまり入ったことのない部屋があるくらい部屋数が多く、自分でもよく把握しきれていない家である。
その古い家からは、昔の品々が沢山発掘される。その昔というのは時間軸が様々である。古い家が建った当初の大昔の物から自分たちの親が子供だった時の物、自分たちの親が高校生、大学生だった時のもの、それ以降のものと。まるで地層のように様々な時間軸のものが積み重なって「今」という時間に家という空間はある。

今作を観劇して、そういった長い時間の経過を感じさせる住まいという空間って良いなと思えてきて、それは特に歳を取ってからよりそう感じるんじゃないかなと思えた。
亡くなった自分の祖母は、なくなる手前に認知症にかかってボケが入ってしまったのだが、そのタイミングで新居に引っ越したのだけれど、祖母だけは旧家がよくて言うことを聞かなかった記憶がある。まさに今作で登場するわたしと一致する。ずっと今まで住んできた空間を年を取ってから離れることは出来ないのだろう。愛着があるが故に。

でもそれってこの作品を観劇して、凄く素敵な人生体験だなと感じた。長く生きたからこそ味わえる経験、そして人生で一度きりの経験である。
私が歳をとった時に、その時の住まいがそういった特別な空間になっていることを願うばかりである。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/452560/1697397


↓村岡希美さん過去出演作品


↓藤間爽子さん過去出演作品


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