舞台 「雨とベンツと国道と私」 観劇レビュー 2024/06/15
公演タイトル:「雨とベンツと国道と私」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:モダンスイマーズ
作・演出:蓬莱竜太
出演:古山憲太郎、津村知与支、小椋毅、生越千晴、西條義将、山中志歩、名村辰、小林さやか
公演期間:6/8〜6/30(東京)
上演時間:約1時間50分(途中休憩なし)
作品キーワード:コロナ禍、パワハラ、ヒューマンドラマ、泣ける
個人満足度:★★★★★★★★☆☆
舞台芸術学院の同期同士である主宰の西條義将さんと作演出の蓬莱竜太さんが発足した劇団「モダンスイマーズ」の舞台を初観劇。
「モダンスイマーズ」は今年で結成25周年を迎え、2022年1月に上演された『だからビリーは東京で』以来2年半ぶりの新作公演を上演した。
蓬莱竜太さんが作演出した作品は、COCOON PRODUCTION 2022の『広島ジャンゴ2022』(2022年4月)以来2度目の観劇となる。
物語は、映画製作現場でパワハラ被害を受け、コロナ禍の影響で心身共に痛んでしまっていた女性・五味栞(山中志歩)を中心とした話である。
現場ではよく「五味ちゃん」と呼ばれてまるで自分なんていないかのように扱われていた五味だったが、ある日群馬に住んでいる才谷敦子(小林さやか)から電話がかかってくる。
才谷は、今群馬で自主映画を製作していて手伝いに来て欲しいと言う。
五味は才谷の元へ足を運ぶ。
現場には、穏やかな映画監督の六甲トオル(小椋毅)や撮影監督のKENGO(西條義将)などと会い挨拶を交わす。
五味は買い出しを頼まれて自動車のキーを渡されるが、その車はベンツだった。
五味はそのベンツを見ながら、かつての映画撮影現場で思いを寄せていた宮本圭(生越千晴)やパワハラが酷い映画監督の坂根真一のことを思い出すが...というもの。
『だからビリーは東京で』を見逃してしまった私は、今作が「モダンスイマーズ」初観劇だったのだが、感想はとてもよく出来た素晴らしい作品だったと心から思ったということ。
コロナ禍によってメンタル的に影響を受けた人々と、パワハラとそれに付随するネットでの炎上と批判によってメンタル的に影響を受けた人々の正解のない物語なので、非常に現代を象徴するような作品だった上、誰でも自分ごと化出来る作品だったので、多くの人々にとって強く心に響く作品なのではないかと思う。
舞台装置は、ステージ全体が撮影スタジオのような感じで、三包囲がグレーの無地の壁で囲われ、隅には役者が待機する用の箱馬(背もたれのない木製の椅子)のような椅子や撮影器具などが置かれていた。
撮影スタジオで映画撮影をするシーンは確かに多いのだが、それ以外のシーンもこの舞台セットの中で行われ、ベンツに乗っているシーンなどはイマジネーションで補完しながら観劇する必要があるだろう。
しかし、劇中にBGMが流れるシーンも多く、私は非常に映画を観ているような感覚で楽しんでいた。
劇途中の、五味の妄想のようなシーンも音楽がかかりながら楽しそうに踊っていて、舞台照明もカラフルで非日常的で、そういったシーンも時々取り入れながら丁寧に繊細に描かれながら進行していくあたりに没入感を感じた。
昨今問題になっている、映画撮影現場でのパワハラとそれがSNSなどのネットで拡散されて、パワハラした側が現場を去っていくという事象について考えさせられた。
今作はそんなセンシティブな問題に真っ向から立ち向かった作品である。
劇中の映画監督が怒鳴るシーンがあったり、ある種パワハラをした側の人間にもそうさせる心境が描かれていて、人を選ぶ作品でもあり賛否両論分かれるかもしれない。
しかし、今作は色々なことがすぐにネットで拡散されて叩かれてしまう挑戦しづらく生きづらい社会において、全力で頑張って生きていきたい人々にエールを送る作品にも感じた。
人間は気をつけていても時に感情的になってしまう生き物である。
それは必死に生きているからこそ、そうなるのかもしれない。
人は誰しもが不完全で完璧な人間なんていない、だから人を傷つけたり間違いを起こすこともある。
しかし、それが誰かの救いになったりすることもある。
きっと多くのクリエイターは今作を観て救われる気分にもなるんじゃないかと思う。
役者陣も皆レベルが高くて素晴らしかった。
五味栞役を演じた山中志歩さんは、最初山中さんだと思っておらず観ていたが、あの不器用で必死で生きている感じがとても人間臭くて好きだった。
才谷敦子役を演じた小林さやかさんも素晴らしくて、敦子は夫を亡くしているのだが、亡くなった夫と二人で日常を暮らす感じが非常にリアリティあってずっと共感していた。
まるで意志を示さない夫に対して敦子が色々と自分の意見を押し通してしまう関係性で、そんな中で夫を亡くしてしまったが故に、妻としてのあり方にずっとモヤモヤを抱える描写がリアル過ぎて胸を打たれた。
パワハラとそれに伴うネットの炎上と社会的地位の喪失が社会問題となっている昨今において、ここまで誠実に向き合って創作された演劇は初めて観たかもしれない。
エンタメ・芸術に携わる方々なら間違いなくグッとくる話だと思うし、そうでない方にとっても今頑張っていることに前向きにさせてくれる質の高いヒューマンドラマだと思う。
まだチケットは残っており3000円という格安のチケット代なので多くの人に観て欲しい。
【鑑賞動機】
蓬莱竜太さんの作品は、舞台では『広島ジャンゴ2022』、映画では『劇場』を観たことがあって、いつか蓬莱さんの劇団である「モダンスイマーズ」も観てみたいと思っていた。2022年1月に上演された『だからビリーは東京で』が非常に好評を博した作品だったので次回作は観たいと思い、満を持して今回観劇することになった。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
役者たちがステージ上に登場し、下手側と上手側の隅にある箱ウマに座る。五味栞(山中志歩)が中央に立って語り始める。五味は、かつて映画製作現場のスタッフとして働き、「五味ちゃん」と呼ばれていた。まるで、自分なんてゴミのようにいないかのように扱われていた。
五味に電話がかかってくる。それは、群馬で自主映画を製作している才谷敦子(小林さやか)だった。才谷は、五味に対して群馬まで来て自主映画のスタッフとして手伝ってくれないかという依頼だった。五味はずっとおどおどしながら躊躇していたが、才谷に群馬は東京から近くてすぐに来れるからおいでよと誘われる。五味は才谷の依頼を承諾する。
才谷は、先日夫を亡くしたばかりなのに、どうしてそんなにポジティブでいられるのかと不思議な気持ちで五味はいた。
五味が才谷の自主映画の撮影現場に行くと、才谷は待ってましたと言わんばかりに五味を歓迎する。才谷は、五味に現場のスタッフたちを紹介する。才谷の亡くなった夫役を演じる石田凛太朗(名村辰)、映画監督の六甲トオル(小椋毅)、撮影監督のKENGO(西條義将)。KENGOはカメラマンと言われることを嫌うくらいプロフェッショナル意識を持っていた。そして、同じくスタッフの山口壮一(津村知与支)。皆穏やかそうな人たちだった。
五味は買い出しをして欲しいと自動車の鍵を渡される。ベンツの鍵で随分と高級な車だった。
五味はベンツの元へ行く。五味は、そのベンツを見て過去を回想する。そこに宮本圭(生越千晴)が現れる。宮本は車は男にとってアソコのようなものだと言う。
かつて五味がいた映画の撮影現場に移る。映画監督の坂根真一(小椋毅)は、年配の俳優(古山憲太郎)のシーンの撮影をしていた。相手役が宮本が演じる女性なのだが、その女性に向かって振り向く演技をするのだが、非常に嘘っぽい演技になってしまって坂根は怒号する。年配の役者は自然にするだけで見応えがあるのに、どうして演じようとするんだと坂根は年配の俳優に叱る。年配の俳優は、ミュージカルなどをずっとやっていたものでと謝る。その流れで坂根は、どうしてこんな人を連れてきたんだとスタッフの山口を叱る。山口はとても良い返事ですみませんと言う。
坂根は何度も演技指導をして怒号しているうちに、年配の俳優は腰を痛めて上手く歩けなくなってしまう。坂根は仕方がないから年配の俳優が自然に振り向くような演技をさせて早々と撮影を終わらせる。そして坂根はその俳優に、もうこの現場に来なくていいと吐き捨てて出ていってしまう。
年配の俳優はずっと腰を痛そうにしているのに、どのスタッフも気に留めていなかった。そんな様子を五味は見ていると、宮本がその俳優に話しかける、家に帰れますかと。年配の俳優は歩いて1時間くらいの所だから大丈夫と歩いて帰ろうとするが、絶対無理ですよねと声を変えるが年配の俳優は去ってしまう。
山口と宮本と五味は、でもこれで明日は割と楽になったから現場サボって遊びますかと遊びに出かける。
山口は納豆ツナクレープを食べて、五味と宮本にドン引きされていた。バッティングセンターのような場所に行って、山口がバッティングしている。バッティングを交代して次は宮本がやる。その間に山口は、宮本は自分に自分に気があるんじゃないかと言ってくる。
才谷敦子は、かつて才谷和宏(古山憲太郎)と結婚して夫婦で東京に暮らしていた。告白もプロポーズも全部和宏にさせたようなもので、和宏はあまり自分の意志のない男だった。
敦子と和宏は二人でフランス映画を観ていた。敦子は、そのフランス映画が凄く好きで、その登場人物に自分たちを投影できるから好きだった。和宏は最後寝てしまっている。そして敦子は和宏を起こして、フランス映画に感化されて群馬に引っ越してアスパラガスを育てたいと言う。
和宏と敦子は群馬に引っ越してアスパラガスを育てて東京に売り出す。和宏は子供が欲しい様子だったが、妊娠していないという医師の診断を受けるたびに内心喜ぶ敦子がいた。敦子はペットを飼うことになる。名前はどうするかと色々考えて、和宏はおそらく息子、娘ができたら付けたかった名前を口にするが、敦子は好きなフランス映画に登場する人物の名前をつけてしまう。
話は現代に戻って、才谷の自主映画の撮影現場に移る。敦子と石田が演じる和宏は麻雀をしているシーン。しかし何度も撮り直している。監督の六甲は、特に強く口出しすることなく「うーん」と言いながら、現場は足踏み状態だった。
敦子は六甲に対して作品に妥協しているんじゃないかと問う。それに対して六甲はあまり切れ味の良い返事はしなかった。KENGOが痺れを切らして意見する。六甲にもっと意志を出したらと、なんでもOKを出しすぎだと。その流れで敦子は、やっぱり石田は自分の亡くなった夫と違ったと言ってしまう。石田はショックを受ける。石田は才谷和宏と似ているという点でずっとここまで頑張ってきたのに、そこを違うと否定されたら何も取り柄がないと。
映像で「五味栞の恋」と表示され、音楽と照明と共に五味は宮本とずっと二人でダンスしている。そこに映画撮影用のカメラとマイクが向けられ、五味は楽しそうである。
「何してんだ!」という坂根の怒号によって五味は我に返る。現場の邪魔をするスタッフはいらないから立ち去れと怒鳴られる。五味はすみませんと怯えながらその場を去る。そのまま坂根はいつもの通り、山口を叱りつけるなどパワハラを横行させていた。
そんな様子に宮本が初めて坂根に逆らう。このやり方はおかしいと。そして坂根はそこまで言うなら宮本も現場から出ていけ、二度とくるなと言われる。
その時、かつて二度と来るなと言われた年配の俳優が杖をつきながらやってきて復讐しに来たと、杖で坂根を襲い掛かろうとする。スタッフたちは必死で止めようとするが年配の俳優は言うことを聞かず暴れる。そして、年配の俳優の杖が誤って宮本の顔面に当たってしまい怪我をしてしまう。
年配の俳優は宮本に謝る。私が謝っているのは宮本だけで他の人には謝るつもりはないと。そのまま宮本は現場を立ち去ってしまう。
その後、宮本はSNSで先ほどの現場の一部始終の動画を公開し、自分は坂根監督にパワハラを受けて結果顔が傷ついたと公表した。その投稿は拡散され炎上した。
何も知らずに、坂根、KENGO、山口は映画の撮影が終わって打ち上げをしていた。坂根は4人のおかげだと語っていた。とても気分が良さそうだった。
その後、坂根はスマホで先ほどの撮影現場が宮本によって動画が流出され炎上していることを目にする。それによって坂根は事務所をクビになり映画監督を辞めざるを得なくなる。
坂根真一は自分の過去を語る。彼は様々な映画に魅了されて映画監督の道を歩むために専門学校に入った。『未来世紀ブラジル』『マッドマックス』『ギルバート・グレイプ』など。
事務所をクビになった後、山口もKENGOも離れていき連絡も取らなくなり、ずっと孤独になった。家で一人で映画を観る日が続いた。しかし、あんなことがあって自分が映画を作ることが出来ないんだなと思うと非常に辛かった。
そんなある日、坂根の元に一人の女性が現れる。才谷敦子だった。才谷は坂根の映画の大ファンで、是非とも坂根に自分の亡くなった夫のための映画を制作して欲しいと依頼する。坂根は、私がパワハラで問題起こして事務所をクビになったことを知っていますか?と尋ねると、もちろん敦子は知っていて個人で楽しみたい映画なので世に広める訳ではないから坂根にお願いしたいと言うのであった。
敦子の自主映画、上手くいかない理由は坂根は分かっていた。一つは脚本に敦子の感情が乗りすぎていた。二つ目に石田の演技力が全然足りなかった、まだ若手で経験が足りない。そしてもう一つは坂根自身がパワハラの件があってから指導が出来なくなっていたからである。
雨が降っている。その中五味は久しぶりに宮本に会う。宮本は、SNSで撮影現場の動画を投稿して、もちろん坂根も叩かれたが、投稿者である宮本も叩かれ傷つき、そして映画業界を引退していた。宮本は、傷つけられたのは、年配の俳優による顔面の傷だけでなく、坂根の言葉によっても傷つけられたと語る。五味は宮本を思う。
そこへ山口がやってくる。山口は宮本を見つけ、彼女に近づいてくる。自分は宮本のことが好きだったと。五味は、どんなタイミングでそれを言っているのと呆れる。
そのまま五味はコロナにかかってしまう。ずっとコロナの症状に悩まされて寝込み続ける。
五味が寝込んでいる所に、敦子と和宏がやってくる。和宏は東京で色々な所に回って営業しに行こうとする。敦子はコロナにかかるリスクがあるから止めた方が良いと忠告する。zoomでもできるじゃないかと。しかし和宏は、zoomよりも直接対面で話さないと伝わらないものがあると言って東京に行ってしまう。
その時だけ、和宏は敦子の言うことを聞かず様子が変だった。そしてそのまま和宏はコロナにかかってしまって亡くなった。その時は面会することも出来なかったので、実質東京に向かうその時が敦子が和宏に会った最後の時間だったと言う。
敦子の自主映画が撮り終わって、みんなでお酒を飲んで打ち上げをしている。六甲もKENGOも大人しくお酒を飲んでいる。山口だけは酔っ払って敦子に近づいたりする。山口は六甲に対して、以前と比べて話しやすくなったと言い、今の六甲の方が好きだと言う。
山口があまりにもだらしが無いので六甲が少しキレる。凄く迫力があり周囲が凍りつくほどだった。それでもすぐに六甲は穏やかになる。
その様子を見て、五味は六甲が実は坂根真一であることを暴露する。坂根は名前を六甲に変えて今でも映画制作をしているんだと。周囲はどよめき、敦子は違うよ、どうしたの?と五味に言う。五味は、実は自分は坂根監督の現場にいたスタッフでありよく知っているのだと言う。
六甲、すなわち坂根は五味に自分にどうして欲しいのかと聞く。五味は、坂根が今でも名前を変えて映画制作をしていることを公表して復讐したいのだと言う。はあ?と周囲に言われてしまう。宮本はあのことがあってからもう映画業界にいることは出来ず足を洗ったのに、張本人である坂根が未だに映画監督をしていると言うのは反省していない証であると。これは公開すべきだと。
そこへ敦子が一つだけ、もうワンシーンだけ坂根に撮って欲しいシーンがあるのだと紙を渡す。まるで自分の意志はなかった敦子の夫に対して、これからは自由に生きて欲しいという願いを込めたワンシーンが撮りたいのだと言う。
早朝、少し雨の降る国道に全員が集合する。石田が国道を駆け抜けるところをカメラが追いかけるのである。撮影開始する直前、石田はどんな感じで走ったら良いのだろうと悩む。そこに五味は喝を入れる。そんなの正解なんてねえよと、お前だって色んな紆余曲折あってここにいるだろ、それなら載せられる気持ちくらいあるだろと。
石田は全力で国道を走る。カメラは回る。ここで上演は終了する。
それぞれの登場人物がみんなリアリティあって、実際に起こりそうなシチュエーションばかりで、だからこそ物語にも説得力があった。
誰が悪いとかで片付けられる訳ではなくて、みんなそれぞれの立場でそうさせている原動力があって、それがぶつかってしまってこのような事態を招いている。現実世界もそうで、きっと悪人なんて誰もいなくてそうさせる人生の歩みがあったから、そうならざるを得なかったのだと思わせてくれる。だからこそ救いを与えてくれる作品に感じた。
ラストのシーンがとても良かった。早朝の雨が少し降る国道というだけで想像力を掻き立てられるし、そこを男性が一人走るって凄く素敵だと思う。それは敦子の亡くなった夫への思いと願いだと思うけれど、私はどこか全人類に向けられているメッセージも感じた。自由に自分の力で精一杯走り切ること。そんな理想像を後押ししてくれるように感じられたし、やっぱりエンタメや芸術って素敵だな、心の支えだなと思わせてくれた。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
シンプルな舞台セットであるにも関わらず、演出面では非常に作り込まれていて映画のような没入感があって素晴らしかった。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
ステージは三方とも撮影スタジオの無地の壁のようにグレーの壁一色で囲まれていた。ちょっと冷たい感じの雰囲気を受ける。そしてでハケがステージ中央奥に一つだけある。基本的には役者は両隅に置かれた箱馬に座って待機していた。
下手側上手側の両隅には、先ほど記載した通り箱馬が出演者の人数分置かれている他、小道具や映画撮影用のカメラやマイクなどの機材も置かれていた。
ベンツに乗るシーンなどの自動車は作り物が登場しないので、箱馬を4つほど前方座席、後方座席に見立てて並べて運転席の役者がハンドルを握るマネをして自動車として演技をしていた。
数少ない舞台セットであるにも関わらず、撮影現場だけでなく、敦子と和宏の家やベンツやそれ以外の場所だと分かるように演技や演出がなされていて混乱することなく没入できた。
次に映像について。
ステージの奥側のパネルはグレーの無地の壁となっているが、でハケ部分が縦長に壁のないエリアがずっと垂直にあって、そこに縦長に映像を投影しているのが印象的だった。
冒頭でタイトルの「雨とベンツと国道と私」とか「五味栞の恋」とか、あとは序盤の五味の自己紹介のシーンで「五味栞」と投影したり、坂根のモノローグで自分の過去を語るシーンで「垣根真一」と投影したり、また敦子のモノローグでは「才谷敦子」と投影していた。基本的に主要な登場人物のモノローグで且つ自分のことを語る時に、そのように自己紹介するかのように名前が縦に映像で映し出されていた。それはまるで今作が群像劇であるかのように特定の人物の視点だけで描いていないことを印象付ける演出に見えたり、それぞれの立場でみんな思いがあって決して悪人ではなく一生懸命生きた結果の話であるということを強く物語っているように感じた。
また途中、五味が宮本に再開するシーンで雨の降るシーンがあるが、その時の雨も映像でステージの無地の壁全体に投影させていて、プロジェクションマッピングのようだった。
次に舞台照明について。
凄く2023年9月に観た加藤拓也さん作演出の『いつぞやは』を想起させられたのだが、なぜかというとステージ全体がシンプルな無地の壁で出来ていて、そこにカラフルな舞台照明を当てていたから。今作でもそういった演出が目立った。
物語の途中に何度か非日常のようなシーンがある。「五味栞の恋」だったり、年配の俳優が杖で坂根を殴りかかろうとするシーンなど、ちょっと劇的なシーンが要所要所にあるのだが、その時に紫色や黄色など派手な照明で全体を照らしていて、その見せ方が好きだった。
年配の俳優が杖で殴りかかろうとするシーンは、ちょっとストロボのように連続的にフラッシュする照明効果もあって凄く印象に残って好きだった。
さらに、ステージの背後が無地のパネルなので、役者の影が凄く格好良く映し出されるのも好きだった。特に年配の俳優が襲いかかるシーンは影も見応えがあり、そのままやってしまうと凄くシリアスなシーンになるので、あのように演出することでちょっとドラマチックになるあたりに演出の腕が光っていた。
次に舞台音響について。
割と劇中にBGMが入ることが多く、それは特に劇前半に多いように感じた。だからこそ凄く私は映画を観ているような感じを受けた。映画は割と音楽が入りやすいのと、人間描写も映画でも再現できるものが多かったからかもしれない。
ベンツのアクセルを踏んで走る音とか好きだった。あの重低音の自動車の発進おんが良かった。また雨の効果音なども良かった。
客入れの音楽も心地よい感じだった。
最後にその他演出について。
私は観劇の前に事前にパンフレットを読み込んでなかったので、六甲トオルと坂根真一が同一人物だと気がつくのに時間がかかった。同じ俳優の小椋毅さんが演じていて、坂根を演じる時に派手な金髪のウィッグをしていたので、全然顔を判別できずに気づかなかったが、文脈上これは同一人物だなと気がついて分かるようになった。一発で二人が同一人物だと気づきにくい演出の工夫があったように感じた。
パワハラなどのシリアスなシーンが多いように見えて、結構笑える箇所も沢山あった。だからこそずっと辛い思いをせずに観客も見続けることが出来て楽しめたのかもしれない。まず五味栞役を演じる山中さんの演技が、非常に不器用な感じがあって、そのキャラによって笑わされるシーンが何箇所かあった。あとは、年配の俳優役を演じる古山憲太郎さんの演技の下手な男性の役も笑いを誘っていて、だからこそパワハラシーンも少し笑いながら観れてしまったのかもしれない。その笑いによって緩和されている箇所があった。だからこそ観客にとって適切な匙加減になっていたのだと思う。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
劇団「モダンスイマーズ」の劇団員を中心に小劇場演劇で活躍されている役者の見事な演技ぶりに心動かされた。とても素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていく。
まずは、主人公の五味栞役を演じた山中志歩さん。山中さんは、unrato『月の岬』(2024年3月)、ゆうめい『娘』(2021年12月)『姿』(2021年5月)で演技を拝見している。
今まで拝見してきた山中さんの演技とは一味違うような気がして、今まで以上に不器用で引っ込み思案な女性という感じの役だった。そんなキャラクター性の五味だからこそモノローグが物凄く説得力を持っていた。その言葉に嘘偽りが全くなくて、凄く真っ直ぐで愚直でピュアな感じが良かった。
五味はずっと宮本に恋をしていた。五味はなかなか人前で思ったことが言えない性格だったと思うが、宮本は正反対で人前で感じたことをバシッと言える存在だったからこそ五味にとって宮本は憧れの存在だったのだと思う。そんな愛すべき宮本が坂根によって映画業界から姿を消すことになってしまった。その怒りがどうすることも出来なくなってしまって坂根への復讐に繋がった。
坂根のことをカミングアウトする感じも物凄く不器用だけれど、だからこそ凄く好きになってしまう。人間は完璧に出来ていない、けれど愛すべき人がいてその人のためなら行動が出来る。そんなまっすぐな感じを受け取ることが出来て凄く良かった。
次に六甲トオル役と坂根真一役を演じた小椋毅さん。小椋さんは、劇団「モダンスイマーズ」の劇団員である。小椋さんの演技は実は初めて拝見する。
パワハラをする坂根とずっと穏やかに接する六甲のあのギャップが物凄く見応えあった。こんなにも同じ人物が別人に見えるからこそ恐ろしくなる。
劇終盤で、自主映画の打ち上げで六甲が山口に一瞬だけ怒鳴るシーンがある。あれが凄く怖かった。自分では凄く反省したつもりでいても、心のどこかで昔の自分が生き続けている。映画監督である坂根真一が生き続けている。そしてそういった本性は、ちょっと気が緩んでしまった時、余裕がなくなった時に出る。だから怖いなと感じた。
これは映画監督や作演出家という立場の人が見ると、その苦悩は痛いほど分かるかもしれないが、社会人として上司の立場になったとしても共感出来る部分があると思う。理性的には後輩を叱ってはいけない決して強い口調で指導してはいけないと思う気持ちと、自分の思い通りにいかない、素晴らしい作品が作れないという焦ったさのジレンマがそこにはある。そのジレンマが、六甲が映画を上手く撮ることが出来ない時に貧乏揺すりする所に出ている。これは焦ったいだろうと思う。
素晴らしい作品を創るためにハラスメントが必要なんてことはない。ハラスメントして力で指導させようとするなんて、良い作品作りをするために権力を行使して逃げてしまっているに他ならない。穏やかに接しつつ良いクリエーションをするにはどうしたら良いか、そんな悩みを六甲からは感じた。
とても素晴らしかった。
才谷敦子役を演じた小林さやかさんも素晴らしかった。小林さんの演技も初めて拝見する。
自分は男性だが、この才谷夫婦の関係には凄くリアリティが詰まっていて、物凄く心動かされたエピソードだった。実際に自分の知り合い夫婦でもこういった夫婦を知っているからかもしれない。夫がただ妻に付き従っていて、あまり旦那の意志を感じられない夫婦関係。
敦子は色々と自分の人生を充実させるためにやりたいことに溢れているのだと思う。物凄く活発でアクティブで、だからこそ子供を産んで子供のために自分の人生を奪われるような境遇は望んでおらず、最愛の旦那とずっといられたら良いとだけ考えていたのだろうと思う。
ちょっと残酷な感想だが、果たして敦子は和宏のことを好きだったのだろうかとも思う。そんな旦那がいる自分に酔っているだけではないかとさえ思う。自分が好きな人なんじゃないかと思って見ていた。
旦那を亡くしたら、もし旦那を愛していたならなかなか立ち直れないんじゃないかと思う。旦那を亡くした直後に自主映画を作ろうなんて行動できるのかとさえ思った。そうやって自主映画を作って楽しんで、自分の人生を充実させたいだけのように私は感じてしまった。
最後に、宮本圭役を演じた「モダンスイマーズ」の生越千晴さん。生越さんの演技は、ほろびて『センの夢見る』(2024年2月)で観たばかり。
ちょっと男まさりで格好良い女性役がとても似合っていた。ベンツを男のアソコのようなものだという強烈な台詞から始まって、坂根に逆らって現場を出ていく感じ、そしてSNSで現場の動画を上げてしまうほどの行動力と勇気のある強い女性が印象的だった。
でも宮本は本当は凄く優しい性格だというのが分かるから、より魅力的に感じるのである。宮本の兄がずっと引きこもりで、そんな兄に父親が冷たく当たって家にはいたくないと言っていた。そうやって弱者の立場で物事を考える優しさがあるから尚魅力的に感じられた。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは今作の主要人物である五味栞、坂根真一、才谷敦子の立場に立って物語を考察していこうと思う。
まずは五味栞について。
五味は、かつては映画の撮影現場で目立たないスタッフとしてずっと働き続けていた。あの感じを見ると積極的に働きかける性格でもなかったと思うし、仕事が出来た訳でもないだろう。だからこそ、撮影現場で目立つ働きをして自分の意志をしっかり持っている宮本圭に憧れていたんだと思う。
そしてその憧れは、いつしか「恋」になっていったのだと思う。五味にとって、年配の俳優が腰を痛めてしまった後に急遽忙しくなくなって、山口と宮本と3人で遊びに行った思い出は、辛い辛い撮影現場の地獄の中で、数少ない楽しい思い出だったに違いない。もちろん、パワハラの坂根監督から解放された日というのもあったかもしれないが、なんと言っても大好きな宮本と遊びに出かけたのだから。
3人で遊びに行った時に、山口が宮本のことを好きでいて、自分に好意があるんじゃないかと期待していることを五味に相談された時、きっと五味は辛かっただろうなと思う。だからこそ、宮本がネットで撮影現場の悲劇を動画でアップした後に映画業界から姿を消して、雨の中五味と再会した時に、いきなり山口が空気も読めずに宮本に告白してくることに激怒するだろう。あり得んだろ、と私は思いつつそこは返って笑いを誘う描写として挿入することで、重たいストーリーを少しライトにして見やすくなる工夫がされていて良かったと思う。
五味は宮本の状況を色々知っていた。兄が引きこもりでそんな姿を父親が許さず怒号が聞こえている。そんな自宅から逃れたくて撮影現場にいた。しかし、あの勇気を出した一件があってから、そんな撮影現場の居場所も失った。宮本は何も悪くないのに、ただ真っ当なことを言っているだけなのに、どうしてそんな目に遭わないといけないのか。大好きな宮本であるが故に、五味はこれ以上にない不条理を感じたに違いない。
しかし、それが五味という人間を一歩成長させたように思う。六甲の映画撮影現場で、六甲が坂根監督本人であり、今でも名前を変えて映画監督をやっていることを自分の意志で告発したから。これは、誰かに指示された訳でもなく自ら物凄く勇気のいることを実行したから。そうさせたのは、五味という人間がかつての撮影現場でパワハラを受けて辛かったというだけでなく、宮本への愛がそうさせたように思えた。
愛って絶大だなと感じた。愛があるからこそ人は変わることが出来るし、行動を起こすことができる。しかし、時にはその愛がさらに事態を悪化させてしまうこともある。結局五味が坂根監督のことを暴露しても、誰も得はしない。五味が宮本のように叩かれるかもしれないし、坂根監督ももう何も出来ないし、才谷の自主映画も頓挫する。
でもそれが人間だよなと思って、正解がないからこそ深く突き刺さるのだと思う。
次に坂根真一について。
この立場が個人的には一番難しいなと思う。坂根は、『未来世紀ブラジル』や『マッドマックス』『ギルバート・グレイプ』といった名作映画に感銘を受けて映画監督を目指した。1980年代から1990年代の映画ばかりで、きっと坂根監督の若かりし頃に出会った作品群だろうと思う。
坂根監督はかつての撮影現場で以下のようなことを言っていた。映画監督というのは名前が一生残ると。スタッフたちは確かにその作品の顔になることはないが、映画監督は顔になってしまう。酷い映画作品に仕上がってしまったら、そういう映画監督なんだと永遠に思われ続ける。だからこそ、坂根は半ば自分の権威を守るが故に質の高い映画作品を創るべくピリついた環境を作り出していたのだと思う。
以前四国の映画祭で上映した作品に出演した俳優も、坂根監督の指導にずっと苦しめられていた様子だった。しかし、実際映画が公開されて人々に感動を与えることができて、その俳優は坂根監督に感謝していた。だからこそ坂根監督は味をしめてしまった感じもあったと思う。このやり方で良かったのだと。
私は劇中には登場しないが、この四国の映画祭の作品に出演していて坂根監督にパワハラされた俳優にも責任があるのではと思ってしまった。最後に感動して、坂根監督についていって良かったと言ってしまったら、結果的に今後も坂根監督がパワハラをし続ける環境を容認したことになるから。自分が辛い思いをしたのなら、それはおかしいとどこかで誰かに言うべきだったんじゃないかとさえ思う。それがあれば、もしかしたら年配の俳優だって宮本だって五味だって傷つかなかったかもしれない。
宮本が起こした例の騒動があって引退させられ、家で一人ずっと映画を見続ける毎日って想像しただけで気が滅入ってしまいそうである。パワハラを起こした人の末路を考えると鳥肌が立つほど恐ろしくなる。デジタルタトゥー云々の台詞があったが、本当にそうで、一度パワハラして名前を汚してしまったら二度と社会復帰は出来なくなってしまう。そんなリスクを抱えている。
才谷から依頼されて自主映画を名前を変えて創ることになったが、今までのやり方で出来ないが故の監督の悩みがリアリティあって、これは創作者じゃないと描けない描写だなとつくづく感じた。指導しようにも指導できない。今まで怒鳴り散らして指導してきたから。やり方が分からない。その葛藤が生々しかった。
坂根は過去のことについて反省しているのか。名前を変えて、映画監督としてのやり方も変えているので一見反省しているように見える。しかし、五味からしてみたら坂根は反省しているように思えなかった。打ち上げの酒の場で一瞬だけ昔の坂根のあの怒鳴る感じが見え隠れするように、同じ人間なら過去の自分もどこかで生き続けているようにも思う。ベンツにも乗っているし、名前を変えてこそこそ活動しているなんて反省していないと言われても否定は出来ない。
これに関しては、いささかジャニーズ事務所のことを思い出した。「SMILE-UP」という名前に変わったが、名前が変わっただけで旧態依然としたものは残り続ける。これでは反省したことにはならないと。
反省するとはどういうことなのか、答えのない問いがずっと頭の中で飛び交っていた。
最後に才谷敦子について。
とてもリアリティある夫婦関係だった。全部敦子主導で、告白もプロポーズも全部敦子の意志だった。そうであるが故に夫の和宏の意志が敦子にも分からないでいた。
これは私の憶測だけれど、和宏も別に敦子のことを嫌いだったとかそういう訳ではないと思う。ただそういう性格の人なのだと思う。あまり自分の意志がなくて成り行きに任せる感じ、それが和宏の性格であって敦子に怯えて何も言えないのではないと思う。
しかし敦子にはそんな和宏がよく分からなかったのだと思う。それは敦子の性格が正反対だから。敦子は積極的でやりたいこと実践したいことが沢山ある女性だった。性格が正反対だから上手くいく夫婦なのだろうなと思う。バランスが取れるのだと思う。夫も妻も、どちらもやりたいことでいっぱいだと絶対に意見が合わなくて対立しそうで、離婚にもつながりかねないから。夫の意思が弱くて妻の意思が強い方が夫婦として円満に向かう気がするのは現実世界を見ていてそう思う。
そうであるが故に、和宏と敦子の性格が正反対であるが故に、敦子は和宏のことが分からずモヤモヤが残り続けていた。気がついたら、告白もプロポーズも群馬に住んでアスパラガスを育てることも、ペットの名前もみんな敦子の意向だった。
和宏は子供が欲しそうだったけれど、結局できることはなかった。積極的に妊活をする感じでもない。それは、敦子が内心子供をつくりたくなかったからだと窺えた。敦子は自由に生きたかったのだと思う。というよりは自分のことが好きで、自分の歩みたい人生に夫という存在をプロットしているように感じた。和宏は不満はなかったと思うけれど、敦子の中では自然と夫を利用する夫婦関係になっていたように思う。
私はそんな夫婦関係もありだと思う。夫に意志がないとダメなのかというと夫が満足しているのならそれで良いのかなと思う。けれど敦子は自由に生きたい人間だったから、きっと夫の立場を考えると罪悪感を感じていたに違いない。
コロナで和宏が亡くなっていくシーンは、なんか現実味があって恐ろしかった。どこか、そんなエピソードが実際にありそうだなと思うくらいリアルだった。コロナ禍は面会もできなかったから、まるで和宏が自分から敦子の元を去っていったかのように感じてしまうよなと思う。
自主映画を作りたいというのも、あれは和宏のためというよりは自分の自己満足のためだと思う。だからあんなに生き生きしているのだと思う。
和宏のためを思って映画を作るなら、何もパワハラで引退に追い込まれた坂根に打診することはないと思う。才谷が坂根監督の大ファンだったから、今なら仕事ないはずだし名前を変えてやってもらえればチャンスくらいにしか思っていなそうである。
でも最後に、石田が雨の降る早朝の国道を走る映画は見てみたいなと感じる。きっと才谷にとってその光景は和宏を投影するものだと思うけれど、きっと100人いれば100通り分の思いがそこには乗ると思うから。
五味だったらきっと、宮本を投影するのかもしれない。映画業界を離れてしまって今後どうなってしまうかも分からない宮本に、これからも強く生きて欲しいと強い願いが乗せられるのかもしれない。
坂根だったら、きっと坂根が生み出した映画作品たちを投影するのかもしれない。坂根監督が生み出した作品たちによって、これからも一生誰かの記憶に残り元気づけられる。そんな思いが載せられるのかもしれない。
そして私だったら、全ての真っ直ぐ前に向かって走り続ける人々のエールとして届いて欲しいと感じた。パワハラやネットによる誹謗中傷など罪のない人の頑張りを挫く存在は世間には沢山ある。それでも、人々に希望を与えてくれる背中を後押ししてくれる存在に感じた。
そうやって立場の違う人にとって、違うものに移るからエンタメや芸術は素晴らしいのだろうなと最後に思わせてくれる。とても良い救いのある終わり方だった。本当に多くの人に届いて欲しい傑作だった。
↓蓬莱竜太さん作演出作品
↓山中志歩さん過去出演作品
↓生越千晴さん過去出演作品