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舞台 「鷗外の怪談」 観劇レビュー 2021/11/20

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【写真引用元】
二兎社Twitterアカウント
https://twitter.com/Nito_sha/status/1428524121944559621/photo/1


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【写真引用元】
二兎社Twitterアカウント
https://twitter.com/Nito_sha/status/1428525410170462210/photo/1


公演タイトル:「鷗外の怪談」
劇場:東京芸術劇場 シアターウエスト
劇団・企画:二兎社
脚本・演出:永井愛
出演:松尾貴史、瀬戸さおり、味方良介、渕野右登、木下愛華、池田成志、木野花
公演期間:11/7(埼玉)、11/12〜12/5(東京)、12/16(長野)、12/19(山形)、12/25(滋賀)、1/8(兵庫)、1/10(山口)、1/13(静岡)、1/15〜1/16(愛知)、1/22・24(北海道)
上演時間:約150分(途中休憩10分)
作品キーワード:時代劇、会話劇、考えさせられる
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


二兎社を主宰する永井愛さん作演出作品を初観劇。
今作は二兎社の40周年記念公演ということで、2014年に初演されてハヤカワ「悲劇喜劇賞」、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した永井愛さんの代表作の7年ぶりの再演。

物語は、小説家であり且つ軍医でもあった明治時代の文豪・森鷗外を主人公とし、軍医ということで政府に近い立場でありながら、小説家という「自由」の思想を併せ持っていたが故、社会主義者・無政府主義者を政府が弾圧した「大逆事件」に対して、政府に被告人の処罰を直々に阻止しようと立ち上がろうとする話。
もちろんこの行動はフィクションであり、永井さんは森鷗外を研究したり作品に触れていくにつれて、きっとこういった行動を取りそうだと類推して仕上げた物語である。

2021年7月に劇団チョコレートケーキの「一九一一年」という舞台作品を観劇していて、こちらも大逆事件をテーマにした作品だったので、今回の作品を観劇しながら思い出していたのだが、つい作品としての面白さを比較してしまうと「一九一一年」の方が上手だと感じてしまって物足りなさが残ってしまった。

というのは、今作は森鷗外のことをある程度事前に知っていないと楽しめないようなシーンや内容も多く、勿論ストーリーはそこまで難解でないので理解は出来るのだけれど、今作の魅了や面白さを十分に堪能できていないような感覚にさせられた点が少し残念だった。
それに比べて「一九一一年」は、大逆事件のことについて詳しくなくても伝えたいこと、メッセージ性がしっかりしていて凄く心動かされたので、個人的満足度としては非常に高かった。

ただ、今作の俳優陣の演技力の素晴らしさと配役は抜群。主人公の森鷗外役を演じた松尾貴史さんの、軍医としての堂々たる風格と文豪としての優しさが上手く中和された素晴らしい演技だったし、妻の森しげを演じた瀬戸さおりさんの演技は非常に私の好みで、人によって賛否分かれるかもしれないがあざとくて若々しくハキハキした演技に非常に心惹かれた。
永井荷風役の味方良介さんも、岡村俊一さん演出の「熱海殺人事件」をよく観劇しているので、こういった近代日本の時代劇の役が本当によく似合っていて魅力的だった。

明治時代の日本史に詳しい方、森鷗外が好きな方にはぜひ観ていただきたい作品だが、歴史や明治文学に詳しくないと退屈してしまうかもしれない。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/453499/1702229


【鑑賞動機】

鑑賞動機は2つで、1つはニ兎社の舞台作品、永井愛さんの作品は有名であるが観劇したことなかったので観てみたいと思っていたこと。もう1つは、キャスト陣で味方良介さんは以前から多くの舞台作品で演技を拝見したことがあって非常に好きな役者の一人なので、また芝居を観たいと思ったから。
観劇を決めてからであるが、瀬戸さおりさんも2021年9月に舞台「物理学者たち」を観劇して非常に魅力的な演技をされていて虜になったので、ぜひもっと演技を観たいと思っていた。
また、永井愛さんは「見よ、飛行機の高く飛べるを」や「ら抜きの殺意」など以前からよく知っていた作品の著者でもあるので親近感があった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

舞台は森鷗外の書斎、中央には客人を通す洋式の丸テーブルと椅子が用意されている。
森鷗外の妻である"森しげ"(瀬戸さおり)がやってくる。彼女は妊娠中であり、森鷗外との3人目の子供が生まれようとしていた。しかしながら、彼女は大事な体であるにも関わらずある一つの小説を書いていた。その小説の内容は、まるで主人公が"しげ"そのもののようで、旦那が軍医であり小説家であり、姑からいじめられていると書かれている。
先日、東京朝日新聞から「危険なる洋書」という記事で、イプセン、モーパッサン、トルストイなど翻訳された西洋の作品は、家庭や社会を破壊する危険な思想を含んでいると批判されていた。その中には日本の作家を批判する内容も見受けられ、森鷗外や森しげ、永井荷風といった身近な人間も批判対象に入っていた。
鷗外の書斎には何十年もの月日をかけて集められた洋書がずらりと並んでおり、もしこれが政府に見つかったらとんだ罰が処されることに"しげ"は怯えてもいた。
鷗外の邸宅には、"スエ"(木下愛華)という新米の女中がいた。"スエ"は黙々と家の掃除などをしている。そこへ、森鷗外の母の森峰(木野花)がやってくる。峰は、"しげ"がお腹に子供が授かっているにも関わらず小説を書いていることを知っており、その物語に出てくる登場人物が森鷗外一家の人間そのものであることも知っており、小説の中で妻が姑からいじめられていると書いていたことについて、峰はひどく憤慨していた。峰と"しげ"は仲が悪いようである。

鷗外の邸宅に客人がやってくる。一人は平出修(渕野右登)という若い男性で、短歌や論評を発表しながら弁護士としても活躍していた。彼は社会主義者・無政府主義者を二十数名捕えて裁判で裁こうとしている「大逆事件」についての最新情報を、森鷗外に伝えに来ていた。
もう一人の客人は、賀古鶴所(池田成志)という森鷗外の軍医時代からの友人で、近くで耳鼻科を経営していた。
森鷗外(松尾貴史)が帰ってくると、まずは平出と「大逆事件」についての話を始める。「大逆事件」で社会主義者・無政府主義者の罪で政府に逮捕されたのは二十数名、中には信州で明治天皇暗殺計画を企て、天皇暗殺のための爆薬の開発を進めようとした宮下太吉の名前もあり、実際に行動を移した訳ではなく、そう考えていただけで逮捕され死刑執行されそうになっているという状況を嘆かわしく思っていた。まだ被告人たちの判決は下されていないが、まるでもう判決は死罪であると決まっているかのように政府によって進められているという。
鷗外と賀古との話では、軍医時代のことなどについて話していた。軍医になったことを後悔しているかどうか、小説家であり軍医になったからこそ、今の世間の情勢に関して苦い思いをしているが、軍医になっていなければドイツへの留学は出来なかったということ。そしてそれは、小説「舞姫」にも登場する女性のモデルとなっているエリスという最初の結婚相手とも出会えていなかったこと。

鷗外の平出や賀古との対話が終わると、やっと鷗外を独り占め出来ると思うばかりに"しげ"は鷗外との夫婦水入らずの2人きりの時間を過ごそうとするが、鷗外は原稿を書き始めてしまう。鷗外は多忙であるため、人と会う時間以外は自分の仕事の時間に費やそうとする。
そんな恋愛に淡白な鷗外に対して、"しげ"は不満げに鷗外に絡んでくる。しかし"しげ"は鷗外のことが大好きであるため、喧嘩とかにはならずにずっと甘えてくるような感じである。ただ、森鷗外がかつて手掛けた小説である「半日」というタイトルにあやかって、"しげ"が「一日」というタイトルで自分を主人公に据えて、鷗外のことについても書いた小説の存在をここでは彼に教えはしなかった。

"スエ"は、一人で鷗外の書斎で洋書を読み漁っていた。そこへふらっとやってきたのは永井荷風(味方良介)という作家だった。永井は"スエ"に色々問いかけて、彼女が大層洋書に関して興味関心を抱いていることを突き止めた。
そこへ鷗外がやってくる。鷗外と永井は2人で話をする。永井は鷗外のことを慕っているようであった。

暗転して夜になり、そろそろクリスマスということもあって、森峰と"スエ"でクリスマスツリーを書斎に飾る準備をしていた。そこには永井の姿もあった。
峰は語り始める。明治時代の初期にキリシタンの弾圧事件についての話。今でこそ日本人の多くがキリスト教を受け入れるようになり、こうやってクリスマスツリーを飾るようになったが、明治時代初期は江戸時代よりも厳しくキリシタンを危険な思想だと弾圧したのだと語った。
鷗外と"しげ"の夫婦が書斎に戻ってくる。クリスマスは夫婦水入らずで過ごす鷗外と"しげ"の一方で、今でいうクリぼっちである永井を皆で嘲笑する。永井は遊び人でいつも新橋の芸者と夜を過ごしたりしていた。
しかし永井は、そういった女遊びが絶えなくても、しっかり慶應義塾大学の特任教授として誰よりも朝早く門をくぐって仕事をしているのだと言う。
永井は今日も新橋で一晩飲んでくると言って立ち去ってしまう。そして立ち去る前に、峰が語っていたキリシタン弾圧のことについて触れ、中々嵌められなかったクリスマスツリーの頂点のスターを嵌めて出ていく。
そこへ平出がやってくる。平出はついに、大逆事件で逮捕された被告人の死刑が執行されるとの連絡を入れる。
"スエ"にはドクトルという大逆事件で捕まっている被告人と縁の深い仲だった。"スエ"は一人でドクトルのことを嘆き悲しむ。

ここで途中休憩が入る。

雪の降りしきる夜、永井は酔いつぶれて鷗外の書斎に入ってくる。どうやら白樺派と呼ばれる永井荷風の自然主義とは反する人道主義の小説家と喧嘩をしたらしい。志賀直哉や武者小路実篤を「死ね」などと言って暴言を吐き捨てていた。そしてそのまま退散する。
鷗外は、明日大逆事件で逮捕された被告人の死刑が執行されるということで、それを何とか阻止したいと考えていた。しかし、古くからの友人である賀古から止められる。鷗外は賀古もよく知っている山縣有朋の元へ赴いて、大逆事件の死刑執行を今からでも止めようとしていたが、そんなことをしたら自分の身を滅ぼすことになると。賀古も山縣という人物をよく知っているので、鷗外にそう言われたからって死刑執行を取りやめる人間ではない。ましてや、鷗外自身の身も危うくなってしまうと。
それでも鷗外は死刑執行を阻止しようと邸宅を出ようとするが、今度は妻の"しげ"から止められる。"しげ"は鷗外がエリスのことを呟いていたことに愚痴をこぼすが、鷗外の身を案じて立ち向かうことを咎めようとする。それでも尚鷗外は邸宅を出ようとするが、今度は母の峰が武装して力づくでも鷗外の行動を阻止しようとする。

暗転

結局、鷗外は山縣有朋の元へ行って大逆事件被告人を救うような行動は起こさず、予定通り被告人の多くは死刑が執行された。
"しげ"のお腹にいた赤子が産まれた。"スエ"があやしている。
永井が書斎にやってくる。永井は今まで西洋かぶれでいたのが一変し、和装をして和楽器の稽古をしている様子であった。もう小説は書かないらしい。永井は鷗外に挨拶をして帰る。
次に平出がやってくる。平出は鷗外に、大逆事件で逮捕された被告人たちから鷗外へ向けての感謝状を渡す。鷗外は結局は被告人たちの命は救えなかったのものの、文学を通して彼らの獄中の中における希望となっていて救われたのだと言う。結果的に大逆事件があってから、政府は貧困層を救済するような措置を講じるようになった。彼らが行動を起こしたことによって、結果的に彼らは死を免れなかったが、その後に多くの命を救うことになったのかもしれない。
平出はこの感謝状に感銘を受けて、自分はこれから小説家として頑張っていく旨を伝えて立ち去る。
鷗外と"しげ"の2人きりになる。"しげ"は、子供を生む前に密かに「一日」というタイトルで小説を書いていたことを伝える。主人公のモデルは"しげ"自身で、夫のモデルは鷗外で、その鷗外は大逆事件の被告人を救おうと政府の元へ反対しに向かおうとするが取りやめたと。そして、結局その物語は出版することなく自分の中に留めておいたのだと。

最後に鷗外は一人になり、「エリス、予想通りになったな」と呟いて物語は終了する。

明治時代の社会情勢と、明治時代の文学(主義・思想を含めて)、森鷗外の小説を熟知していればもっと楽しめたのだろうなと感じながら観劇していた。特に「舞姫」は読んでみたいと思った。「舞姫」に登場する主人公の女性は、鷗外のドイツ留学時代の恋人なので、その小説を読めば森鷗外についてのイメージもしやすくて、もっとこの脚本の捉え方が変わってくる気がする。
大逆事件については、舞台「一九一一年」を観劇した時にある程度調べたので理解はしていたが、そこに明治時代の文学がどう絡んでいるのか、森鷗外たちが小説で伝えた思想がどのような内容で、被告人にどのような影響を与えたのかをもっと知りたいと思った。
また「危険なる洋書」として、西洋の小説や作家の名前も登場するが、それらに共通して主張されていることは何なのか、ニーチェ、ゴーリキー、ゾラなど同じ海外の作家であれど思想は違うと思うので、その思想がどのようなものであったのか、どんな点が明治政府にとって危険だと判断されたのかをしっかりと理解できれば、なお物語の面白さを満喫出来た気がする。
そう考えていくと、この作品は明治時代文学、社会情勢に教養の深い方でないと十分楽しめない作品だと感じる。そういう要素を含んでいるということに関しては問題ないのだが、何も知らない初心者でも「あー勉強知ておけば良かった」と後悔させるような物語の作りになっている点はちょっと残念な気がしている。
作品を上演する時点で、ある程度観客を絞り込みすぎているように感じられる。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/453499/1702228


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

クリスマスツリーや雪が登場するように、非常にクリスマス前の上演時期に合わせた演出になっている点に魅力を感じた世界観・舞台美術だった。
舞台装置、照明、音響、その他演出の順に見ていく。

ますは舞台装置から。
舞台全体が鷗外の書斎と客人を通す円卓が置かれていて、広々とした和洋折衷した居室となっていた。
まず下手側には、鷗外の書斎となっている巨大な机と本棚が置かれている。本棚はL字型になっていて、びっしりと背広の広い古びた本が並んでいる。これは全て洋書らしい。机は舞台奥から手前に縦に長く置かれていた。
中央には、巨大な円卓とその周囲に6つの椅子が置かれており、これらは西洋式のものであった印象。物語中盤で、"スエ"が作ったシチューを振る舞うシーンがあるが、その際にも中央に燭台が置かれたりとあったが、凄く雰囲気として似合う。
舞台奥には障子があり、その向こうに廊下が横に広がっている造りだった。その廊下の上手側、下手側両方がでハケになっていた記憶。その廊下の向こうは中庭になっているような感じで、物語中盤には雪が舞っているのが窺えた。
上手側には、丸い障子窓が複数用意されていて、物語中盤で"しげ"が窓から家へ入り込むなどでハケとしても利用される。それと、クリスマスツリーが置かれるのも上手側だったし、終盤の赤子が産まれた後のシーンも乳母車が置かれていたのが上手側だった。また屏風も置かれているシーンがあって、そこに役者が隠れるなどのシーンもあった。
このように、非常に和洋折衷した造りとなっている舞台装置だったが、その辺りも森鷗外という人物像を色濃く表した形となっていて興味深かった。

次に舞台照明。
クリスマスツリーが置かれた夜のシーン以外は、基本同じような照明演出で、クリスマスツリーが置かれる夜のシーンだけ、外には雪が降っている少し小洒落た照明演出だった。
クリスマスツリーが置かれた夜のシーンの照明は、全体的に黄色がかった明るみのある照明が凄く温かみがあって好きだった。クリスマスツリーもあるので、2020年12月に上演されたシス・カンパニーの「23階の笑い」を思い出した。そのくらい心温まる舞台空間だった。
また、背景の雪を思わせる照明が良かった。舞台天井から舞台装置の天井くらいの高さまでは、水玉模様の照明が綺麗に降ってくるような照明演出。舞台装置の天井から下は実際に紙吹雪をちらして雪を降らせているような演出だった。

次に舞台音響。
数回暗転するシーンがあるが、そのタイミングに合わせて洋楽だったりピアノ音楽だったりと、西洋を想起させる音楽が使用されていた印象。
個人的に気になったのが、子供の「パパ」と言う声が舞台背後から録音で流れるのだが、あれがどうも録音てすぐ分かってしまって嘘くさい点が微妙だった。
同様に、終盤に登場する"しげ"の赤子の泣き声も嘘くさくてちょっと録音だと分かってしまう点が残念だったかも。私が座った客席の位置も関係するのかもしれないが、もっとこだわって工夫してほしかった。舞台「23階の笑い」はその点効果音が完璧だったことを記憶している。

最後にその他演出について見ていく。
凄く小道具には細かいところまで配慮が行き渡っている演出だったと思う。本棚の書籍のあの古びた感じ、やかんやシチューを入れる鍋、森鷗外が持っている軍人としての刀、どれもレトロで迫力があった。
衣装も凄く豪華だった。全員和装、という訳でもなく森鷗外は堂々とした軍人としての姿であったし、永井荷風は明治時代の洋装という感じが素敵だった。
そしてやはりクリスマスツリーが非常に素敵だった。クリスマスツリーを飾りながら芝居するという感じが、凄く今のシーズンに合っていて、もうすぐクリスマスだなと思わせてくれる。結構観客視点の演出だと感じて好きだった。またクリスマスはキリスト教のイベントなので、それが日本人にも浸透したということをしっかり明示してくれる存在として、非常に必然性のある演出も好きだった。永井荷風が中々スターを嵌められない演出も良かった。あれって何を意味しているのだろう。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

とにかく俳優陣のレベルの高さといったらなかった。豪華キャストというのもあるのだが、皆ハマり役で演技は本当に素晴らしかった。
特に素晴らしかったキャストについて紹介していく。

まずは主人公の森鷗外役を演じた松尾貴史さん。過去のニ兎社の作品にも数多く出演されていて、テレビでもおなじみの俳優、コラムニスト。
松尾さんの印象は、いつも眼鏡をかけていて穏やかで優しそうな印象だったのだが、今作の森鷗外役は軍服を着て非常に堂々とした、男らしく威厳のある出で立ちだった。松尾さんなの?と思うくらい意外性のある容姿であったし、正直森鷗外という人自身も作家という印象しかなくて、軍医でもあったという事実をこの作品を観るまで知らなくて、非常に予想外な印象ばかりをくらった。
劇団チョコレートケーキの俳優陣を観ているかのような洗練された演技に感動した。なんだろうあの重厚な演技というのは。非常に惹きつけられるし演技を魅入ってしまうくらいの堂々とした落ち着きのある態度と声。とても好きだった。
あの髭の生やし方も良い。凄く軍人らしく堂々とした姿に似合っていた。しかし、終盤のシーンでは軍服姿ではなく和装になる。まるで軍人であることを辞めたかのような演出。そして威厳を失ったかのような演出。大逆事件の被告人を救えなかったことに対する弱さも表しているような、そして彼の優しさを表しているような感じが好きだった。

次に森しげ役を演じた瀬戸さおりさん。彼女の演技は、2021年9月に舞台「物理学者たち」で初めて拝見して以来2度目となる。「物理学者たち」での瀬戸さんの出演時間は短かったものの非常に心奪われる魅力的な演技をされていたので、今回鷗外の妻役として長い時間彼女の演技が観られたことに大満足した。
瀬戸さんの演技の一番の魅力ポイントは、非常に透き通るような声で恋する乙女を演じてくれること。そのピュアな演技に魅了される。人によってはあざといと感じて好まない人もいるかもしれないが、私にとってはそのあざとさが良い。
今回の舞台では、鷗外のことを好きで止まない妻の役だが、鷗外がかつて恋していたエリスという女性を今でも忘れられずにいて、そこに嫉妬したりする点が非常に微笑ましく思うし魅力的に感じる。
やっぱ瀬戸さおりさんはこういう恋する乙女役が本当に似合う女優。今度は、現代劇で恋する乙女をやってほしい。

森鷗外の母である森峰役を演じた木野花さんの演技も素晴らしかった。品の高いオバサマという印象であるが、今作の役もまさにそのような役柄。
たしかに森鷗外の母ということもあって、かなり権力を持った女性役だったと思うが、なるほどピタリとハマり役だったと思う。
木野さんの話し方が非常に好きで、あの落ち着いていて妙に説得力と威厳のある感じが歳を重ねた女優だからこそ出来る演技という感じがして良い。
物語後半の鷗外が山縣有朋の元へ向かうのを阻止しようと武装していたシーンは面白かった。そんな笑いも取れる非常にバリエーション豊富な演技が出来るオバサマ木野花さんは素敵だった。

永井荷風役を演じた味方良介さんの演技の素晴らしさは今作でも存分に発揮されていた。味方良介さんは岡村俊一さん演出の「熱海殺人事件」で、木村伝兵衛役として演技を何度も拝見してきたが、あの男らしい迫力と熱さが非常に好きで、その熱量っていうのは結構「熱海殺人事件」だったり今作だったりと、時代劇(とくに明治時代、大正時代などのレトロ)に非常にハマっていると感じる。
今回の永井荷風役も、非常に思想として尖っていて主張が強い役であったが、そこが凄くよくはまっている。酔っ払って白樺派を罵倒するシーンは本当に最高。あのやんちゃなタイプの演技は、今回の割と落ち着いている演技をする方が多い芝居の中で、良い意味で物語を駆動していくスパイスとして効いていた。
あとは髪型が好きだった。あのバッチリ固めた感じ。そして、酔っ払った後の髪が乱れた感じ。

平出修役を演じた渕野右登さんの演技も初めての拝見だったが良かった。
一番印象に残るのが最後のシーン。鷗外が書いた小説が、大逆事件によって逮捕された被告人たちに対して、決して命を救えた訳じゃなかったけど、希望の光となって心に届いて活力を見いだせていたということ。感謝状を手にすることによって、若き平出はやはり小説家っていいなと思えた瞬間が本当に素晴らしいシーンだった。あの若々しさがあるからこそ、ピュアな気持ちになれて小説家の道に突き進むことが出来るのだから。鷗外にとっても相当大きな希望に彼を感じたんじゃなかろうか。
凄く感動したシーンを演技なされていて素晴らしかった。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

この作品を通じて、もっともっと森鷗外や明治時代の文学作品について知識を深めたいと思ったところであるが、時間もあまりなかったため、無知識な私がこの作品を通じて思ったことをつらつらと書いていこうと思う。

劇団チョコレートケーキの「一九一一年」という舞台作品を観劇して、「大逆事件」について考察した時も似たようなことを書いたと思っているが、この事件は100年前の事件ではあるけれども、似たような構図って現代の日本にも存在していて、割と政府の意思決定によって「エンターテインメントは不要不急だ」とか言われて強制的に活動を抑制されてしまうみたいな事態は起こっている訳で、だからこそ現代を生きる人々にとっても心を動かされる内容だと思っている。
今作で非常に面白いと感じた箇所は、森鷗外の周辺の人物たちは政府が行った大逆事件、すなわち社会主義者・無政府主義者の人間を処罰するということに対して、反対することは言ったとしても、森鷗外を除いていざ政府に直々に反対意見を主張しようと行動しようとしなかった点である。
鷗外が山縣有朋の元へ向かおうとしても、友人の賀古も、妻の"しげ"も母の峰も皆鷗外を止めにかかった。そして鷗外自身も行動を謹んだ。結局政府が行う方針に不服だったとしても、誰も馬鹿正直に反対して政府に食って掛かるようなことはしなかったということだ。
これは、劇団チョコレートケーキの「一九一一年」でも同様のことが描かれている。主人公の田原だけが真っ向から政府の行っていることを間違っていると突き詰めるのに対し、他の官僚はただ政府の言うことに従うだけだった。そしてそれは、そうしていれば自分の身が安泰だし食っていけるからであると。
今作で印象的な台詞の一つとして、「不真面目な人間が成功して、真面目な人間が失敗する」みたいなのがあったと記憶している。まさにこの明治時代においては、真っ正直に生きようとする人間がバカをみてしまうそんな時代だったのであろう。

そしてそれは、森鷗外がかつて訪れたヨーロッパ各国、フランス、ドイツとは明らかに違う世界だったのだろう。
この前までちょんまげをしていた国では、隅田川はパリのセーヌ川のようにはならないのである(そんな台詞が劇中にあった)。西洋の思想は、ずっと東洋の思想を保ち続けてきた日本人にとってすぐには馴染むような思想ではなかったのだと。
今作の時代設定では、西洋思想は受け入れられてなかったが、キリスト教は徐々に浸透していた。その象徴としてクリスマスツリーが飾られていた。かつてはキリシタンも大逆事件の社会主義者・無政府主義者同様に迫害された。でも今では馴染みつつある。これはある種の希望で、こうやって思想を受け入れられるようになるには幾分か時間がかかるということである。
この社会主義思想というか「自由」を尊重するという思想も、今ではなくてもこれからずっと先の時代では受け入れられるようになるのだろう。ある種そういう意味での希望としてクリスマスツリーとキリスト教という存在は、この舞台上の中で救いを提供するものだったようにも思える。

今の日本社会においても、なかなか受け入れてもらえない思想というものがある。男女夫婦別姓かもしれないし、LGBTQの問題かもしれない。そういった思想はきっと長い時間をかけて徐々に人々に受け入れられていくものなのだろう。それは今も昔もきっと変わらないのだろう。
その時代の変化の先端で、当時は主流だった思想を押しのけて反対していく姿ってやはり魅力的に感じるし、けれどそこには辛いものがつきまとうのだろうなといつの時代でもそう感じた。


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