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舞台 「S高原から」 観劇レビュー 2024/04/19


写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「S高原から」
劇場:こまばアゴラ劇場
劇団・企画:青年団
作・演出:平田オリザ
出演:吉田庸、村田牧子、南風盛もえ、木村巴秋、瀬戸ゆりか、田崎小春、中藤奨、串尾一輝、和田華子、井上みなみ、山田遥野、松井壮大、永山由里恵、大竹直、南波圭、島田曜蔵
公演期間:4/5〜4/22(東京)
上演時間:約1時間45分(途中休憩なし)
作品キーワード:サナトリウム、静かな会話劇、生と死
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


1990年代の静かな演劇を代表する平田オリザさんが作演出を務める「青年団」の第99回公演を観劇。
平田オリザさんが芸術総監督を務めるこまばアゴラ劇場が、今年(2024年)5月をもって閉館するため、「こまばアゴラ劇場サヨナラ公演」という立て付けで、「青年団」の代表作である1991年12月初演の『S高原から』が再演された。
私自身、「青年団」の公演は2020年2月に『東京ノート』、2023年4月に『ソウル市民』を観劇したことがあり3度目となる。
尚、2022年4月に『S高原から』が再演されているが未観劇のため、今回の上演で今作に初めて触れることになる。

物語は、S高原にあるサナトリム(療養所)で精神面での治療を続ける患者とその面会人、サナトリウムに勤務するスタッフたちの静かな日常会話劇である。
サナトリムでは、入院患者の西岡隆(吉田庸)と村西康則(木村巴秋)が二人で会話している。どうやら同じサナトリムで立て続けに入院患者の死者が出ており、次も誰か患者が死ぬんじゃないかと不安な様子である。
そこに村西の面会人である大島良子(瀬戸ゆりか)がやってくる。
大島は村西の見舞いにやってきたらしく村西は終始デレデレである。しかし大島は友達と一緒にこのサナトリウム近くに来たらしく、具合の悪い友人のことも気にしながら村西と面会する。
西岡は絵描きであり、モデルとなる患者の前島明子(南風盛もえ)がやってくて会話は弾むが...というもの。

「青年団」というと現代口語演劇理論という特有の演劇手法が有名で、同じ空間に複数の人物が同時発話的に演技をしたり、起承転結がなくて日常のワンシーンを切り取ったかのようなシナリオを想起する。
そのため非常に独特な会話劇に感じられて、過去に観劇した『東京ノート』や『ソウル市民』に関してはその影響が非常に強かったのだが、今作は何故か現代口語演劇理論らしさを感じられず、「青年団」色は個人的には弱く感じられ、普通の日常会話劇として楽しむことが出来た。
確かに起承転結がしっかりあるのかというと疑問だが、盛り上がるシーンは確かにあったし、ここで終演するなという感覚も感じ取れたので日常をそのまま切り取った感じはやや薄かった。
その上、同時発話的な会話劇はあまりなかったように思えた。
だからこそ普通に面白い会話劇として仕上がっていた印象だった。

今作のテーマは「死」であり、サナトリウムで療養する患者は緩やかに死を待っているという設定で、徐々に同じ療養所の患者が死んでいく様を聞いて次は自分かと恐怖したり、ただ眠っているだけの患者がもしかして死んでしまったのではと疑わせる演出もあって、健康的な人間とは違って「死」がより身近にあるのだと感じた。
私は長期間療養したことがなかったので、申し訳ないがあまりピンと来なかったが、もしかしたらそういう経験をした方が今作を観劇したらまた違った捉え方が出来るのかなと感じた。

私はどちらかというと、精神的に弱っている患者たちに対して、面会人やスタッフたちの冷徹な対応の方が見ていて感じるものがあった。
スタッフたちは、彼は仕事なのでずっと真摯に彼らの感情に向き合っている訳ではなく、どこか距離を置いて接しているように思える、そうせざるを得ない点に、患者とスタッフたちに見えない壁があるようでリアルだった。
私の妻もかつて臨床心理士としてデイケアで勤めていてその内情について聞いたことがあったので、その辺りも物凄くリアリティを伴っていた(別に妻が患者に塩対応しているという訳ではなく)。
また、面会人も患者たちとは感じ方が違うから同じ空間にいてもやはり交わらないものがあると感じた。

役者陣は、さすが青年団の俳優さんだけあって非常に演技が上手く、うさぎストライプ『あたらしい朝』(2023年5月)で観た木村巴秋さんは、やはり調子に乗った青年ぶりが似合っていて俳優として好きだったし、果報プロデュース『あゆみ』(2022年10月)で観劇した井上みなみさんのイメチェンには驚かされた、少し観ない間に随分と大人っぽくなっていた。

今まで観てきた「青年団」の作品の中では一番観やすい会話劇だったかなと思う。
ずっと静かな会話劇が続くので、そういう演劇が好みの人にはぜひお勧めしたい作品だった。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)




【鑑賞動機】

こまばアゴラ劇場が閉館してしまうので「青年団」の芝居は見ておかないとと思って観劇した。『S高原から』という作品自体も「青年団」の代表作であるにも関わらず観劇したことがなく気になっていたので、このタイミングでちょうど良いと思って観ることにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

ステージにはサナトリウムの広間がある。開場中も、そこに入院患者である西岡隆(吉田庸)と村西康則(木村巴秋)がいて二人で会話している。
そのまま開演する。二人は、同じサナトリムで入院している一人が危篤状態だと噂する。もうこれで三人目で、以前クラモトさんも亡くなったばかりだと。こういう死者が出ることは続くからと二人は不安する。
そこへ、村西の面会人の大島良子(瀬戸ゆりか)がやってくる。村西は大島に西岡を紹介する。西岡は絵描きであり趣味でやっている訳でなくてプロなのだと言う。村西は大島にデレデレの様子である。
さらに、西岡の絵描きのモデルであり入院患者の前島明子(南風盛もえ)がやってくる。村西、西岡、大島、前島でまるで合コンみたいだねと西岡は言う。
看護人の川上俊二(島田曜蔵)は、テーブルに置かれたベルがなったのでジュースを持ってくる。
また村西は、小説『風立ちぬ』に出てくる一節である「風立ちぬ、いざ生きめやも。」の話をする。

その後前島、西岡は立ち去り、新しく入ってきた患者の本間(永山由里恵)がやってきたり、入院患者の吉沢貴美子(山田遥野)がやってきて外へ出ていった後に、貴美子の兄で入院患者の吉沢茂樹(松井壮大)がやってきて妹の貴美子を探しに外へ追いかける。
大島は村西に、大島は実は友人とこのS高原に泊まりで来ていて、友人は体調が悪くなったらしくホテルにいるのだと告げる。
四年目の入院患者の福島和夫(中藤奨)と彼の面会人の鈴本春男(串尾一輝)、藤原友子(和田華子)、坂口徹子(井上みなみ)の4人がサナトリウムにガヤガヤと入ってくる。彼らはテニスラケットを持っている。その4人が大声で会話を始め、大島は疎外感を感じ始め、ホテルにいる友人の見舞いに行ってくると大きな声を出してこの広間を去る。
そして4人はテニスをしに広間を出ていく。

その間、西岡がやってきて西岡の面会人である上野雅美(村田牧子)がやってくる。上野は西岡に、退院したら一緒にフロリダに行こうと誘う。絵描きとして活躍してほしいと。しかし西岡は、退院できるかどうかは先生が決めるから難しいと言う。
西岡は今丁度昼寝の時間だからと言って、そのまま寝室へ向かってしまう。
そこへ医者の松木(大竹直)がやってくる。上野は西岡のことについて松木に相談する。すると、松木は患者は医者がOKを出さないと退院できないということはないと語る。移る病気を抱えている訳ではないので、患者の意志で退院出来ると言う。
そこへテニスから鈴本が戻ってくる。また、西岡が着替えてやってきて上野と一緒に立ち去り、鈴本と松木が残る。彼らは、『風立ちぬ』の「生きめやも」について語り出す。鈴本は「めやも」の意味を知りたがっている。

そこへ村西の面会人である大島の友人の佐々木久恵(田崎小春)がやってくる。鈴本と松木は佐々木を含めて「めやも」のことについて語る。この「めやも」が反語の意味を表していて「風が立った、生きるだろうか、いや生きない」の解釈になるのではと語ったり、「めやも」は意志を表すから「風が立った、いざ生きよう」の意味なんじゃないかなど議論している。
そこへ村西がやってくる。松木と鈴本が去り、村西と佐々木が二人きりになる。佐々木は、大島が結婚することを村西に伝える。村西は驚く。大島の結婚相手は職場の人のようで、やはり村西が6ヶ月間もサナトリムで療養生活を送ってしまうと、なかなか関係を続けることは難しかったのではないかと言う。
佐々木はそれだけ言ってサナトリムを去っていく。村西はその場で横になる。

藤原、坂口がテニスから帰ってくる。再びガヤガヤし始めたので村西は寝室に戻っていき、鈴本と福島もやってくる。
そこへ吉沢貴美子が走り去っていく。その後を兄の吉沢茂樹が去っていく。周囲の人間はこの二人に何があったのか分からない。福島はその場の長椅子に横になって寝ようとする。周囲からは寝ちゃダメだよと言われる。福島はまだ起きていて会話する。
医者の松木と看護人の藤沢知美(南波圭)がやってくる。福島の面会人たちは福島を置いて立ち去る。藤沢は、先日学生時代の友人とカラオケをしていたらしく酔っ払って、その帰りの電車でずっとウトウトしていた時にクラモトさんが息を引き取ったようである。その時、藤沢の電車の中で持っていた傘は違う傘に置き換わっていたと。
松木と藤沢が立ち去り、西岡と前島がやってくる。横になっている福島を発見し、福島を呼ぶが彼は死んだように眠ってしまって起きないのだった。ここで上演は終了する。

個人的には、サナトリウムの患者たちと患者たちに面会にくる人々と、サナトリムで働く医療従事者とでそれぞれ壁があって興味深く観劇していた。患者たちは、立て続けに患者たちが亡くなっていっている様子を見て死に怯えている。また面会にくる人々とは積極的に交流に行こうとするも、面会人にとっては患者である身だからこそ伝えられないことが沢山あって葛藤している感じもした(特に大島)。だからこそ、面会人たちは患者を利用もできてしまうのだなとも思った。上野は西岡を外へ連れ出したいという強い意志があったし、佐々木は大島や村西に何か恨みでもあったのか、村西に大島の結婚をバラしてしまう。そうやって面会人に患者が翻弄されているようにも感じた。
一番興味深いのが、医療従事者たちの立ち位置。川上はベルが鳴ると飲み物を持ってくるが、自然と鳴ってしまった時に飲み物を持ってきて終始イライラしている様子が興味深い。結局、医療従事者と患者の間にも、同じサナトリムにいても溝があることを暗示しているようにも思える。松木が新入りの患者を煩わしく感じている様子を見せたり、藤沢がカラオケで酔っ払ったがためにクラモトを死なせてしまったことをひた隠しにしたりと、色々と医療従事者たちも患者の面倒を見るのにストレスを感じている点で壁があるようにも感じた。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

サナトリムの日常を場転なしで描いているので、舞台照明や舞台音響に特別な演出はなかったが、非常に青年団らしい落ち着いた舞台空間が印象的だった。
舞台装置、衣装、その他演出について見ていく。

まずは舞台装置から。
ステージ上はサナトリウムの広間になっていて、患者たちが面会人たちと会って会話ができるような広いスペースとなっている。ステージ上には4つの長椅子が四角形を描くように置かれている。福島が終盤でその長椅子に横になって眠ってしまったりする。長椅子に囲まれたエリアにはテーブルが置かれていて、そこに看護人の川上が持ってきた飲み物などが置かれている。
ステージには下手側と上手側に捌け口があり、下手側はサナトリムの入り口に通じている捌け口になっていて、面会人がやってくるといつもこちら側の捌け口から現れる。上手側の捌け口は、患者たちの寝室などサナトリウムの奥側に通じる捌け口となっていて、患者たちが昼寝に向かったり帰っていく時は上手側の捌け口から捌ける。また、看護人たちも上手側の捌け口から入場、退場する。川上もいつも飲み物をお盆に載せてやってくる時、上手側の捌け口から現れる。
ステージ奥側の壁側には木造の棚が置かれていて、本や置き物が綺麗に並べられサナトリウムといった感じで清潔感あって落ち着きのある空間に感じられる。観葉植物も至る所に置かれていたり、白く細いレーンが壁側にずっと掛けられていてこちらもサナトリウムらしい、落ち着いた空間を感じられた。
2020年2月に吉祥寺シアターで観た『東京ノート』の舞台セットにも少し近いように思える。「青年団」の芝居なので当たり前なのかもしれないが。「青年団」の現代劇は、いつも舞台空間全体が図書館のように落ち着いていて、インテリジェンスな感じもあり、綺麗で整えられた感じのある空間が特徴なのかもしれない。

次に衣装について。
患者、面会人、医療従事者の3つのグループが凄くわかりやすいように、それぞれ寝巻き(もしくはジャージ)、私服、白衣になっている点が興味深かった。こうした衣装の違いもあったからこそ、この3つのグループでそれぞれに溝があるように思えたのかもしれない。
自分は長期で入院したことはないが、確かにそもそも自分たちが着ている服からして自分たちは病人なんだ、患者なんだということを視覚的に自覚させられるというのもあるのかもしれない。入院していてもそういうメンタル的な辛さはきっと患者にはあるのだろうなと思いながら観ていた。

最後にその他演出について。
患者、面会人、医療従事者の3グループでそれぞれ溝を感じるなと思ったのは、衣装の他に役者たちの演じ方にもあったように思う。患者たちはどこか精神年齢が幼いようにも見えた。村西は面会にやってくる女性にデレデレとしていたし、新しい入院患者も立ち振る舞いが幼かった。吉沢兄妹もいい大人して兄妹仲良くやったり喧嘩したようだったりと子供のようだった。音の鳴る靴を履いているし。一方で、そんな幼い言動に医療従事者たちは合わせてあげているというような印象を受けた。特に藤沢はまるで保育園の先生みたいな様子で、患者たちを世話しているような素振りが印象的だった。そういった演じ方からも、患者と医療従事者には溝を感じられた。
所々に笑いを誘うシーンがあったのも特徴的で、『東京ノート』や『ソウル市民』と比較して今回の「青年団」の作品は笑える箇所も多かった気がする。村西が飲み物を一気飲みしたり、西岡が面会人から逃れて長椅子の下に隠れるという演技や、役者陣がコミカルだったというのもあるかもしれないが、非常に笑い要素もあったからこそ、普段の青年団の芝居よりも取っ付きやすかったように感じた。
あとは、やはり眠るという行為が死んだように見えるという効果を生かして、患者が普通の人間よりも「死」と近い場所に存在しているということを暗示しているのは、事前情報がなくても伝わってきた。一番伝わってきたのは、最後に福島がサナトリウムの長椅子で眠りについて、誰かが呼んでも返事をせずに終わるシーン。ただ福島は眠っているだけなのだけれど、そうやって患者がいつの間にか眠ってしまっているというのを、いつの間にか「死」がやってくるものであるという、死と隣り合わせであるという怖さを最後に感じられたようで興味深かった。確かに、2022年の上演の段階だとコロナ禍もまだまだ流行っていた時期なので、死と隣り合わせであるという設定は、より今回の上演よりも際立っていたのだろうと頷ける。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

「青年団」の俳優さんは、テレビに出るような芸能人オーラみたいな煌びやかさはないのだけれど、非常に演技を見ているだけで凄く上品で魅了される部分があって、それがまた良いなといつも思う。これは「青年団」の俳優さんならではの魅力だと思っている。
特に印象的だった俳優さんについて言及する。

まずは、村西康則役を演じた木村巴秋さん。木村さんはうさぎストライプ『あたらしい朝』(2023年5月)、『熱海殺人事件』(2021年3月)と2度観劇している。
特に『あたらしい朝』での木村さんの演技が印象的で、ナチュラルな感じで感じの良いポジティブな青年を演じられるのが凄いなと思う。観ていて引き込まれるし素晴らしいなと思う。いつもニコニコしていて、話す言葉も凄くライトで賢いという感じはなく朗らかで人気者感がある点が好きである。
今作でも、そんな木村さんの演技が村西役でも非常にハマっていた。大島に非常にデレデレする仕草、あの仕草があるからこそ大島の友人の佐々木から、大島が結婚するんだと告げられる時の落胆ぶりに感情移入してしまう。
あとは、村西と西岡の掛け合いも良かった。村西の西岡がプロの絵描きであることを賞賛する感じも凄く純粋で好きだった。普通の人間の大人ならあそこまで他人のことを賞賛したりフレンドリーにならないような気がするが、そういう村西の子供っぽい感じも総じて好きだった。

次に、大島良子役を演じた瀬戸ゆりかさん。瀬戸さんの演技を拝見するのは初めて。
今作を観ていて、大島が一番まともな人生を歩んでそうな人物像に見えた。身だしなみもしっかりしていて、確かに非常にモテそうな女性である。村西がデレデレするのもよくわかる。
福島とその面会人たちがサナトリウムにやってきて、大島はサナトリウムが一気にアウェイな空気になってしまった時に、逃げるように出て行ったのが興味深い。凄くキャスティングとテキストがマッチしているなと感じた。
大島が時々発する「え?」という言葉が凄く印象に残った。そこには本当に驚いているというポジティブな意味ではなく、ちょっと引いてしまっているというネガティブな「え?」に感じられたのは、私の錯覚だろうか。ちょっと変わったことを言われた、された時に口にだす感じの「え?」に感じて、そこでも村西との距離を感じた。

大島良子の友人の佐々木久恵役を演じた田崎小春さんも素晴らしかった。田崎さんの演技も初めて拝見する。
佐々木という女性はなかなかにヤバい女性だなと感じた。村西が大島のことを好きでいるのを知っているだろうし、それを直接村西に伝えに行ってしまう行動力がやばかった。何か佐々木は、村西と大島に恨みでもあったのだろうか。佐々木は村西と初対面ではなく以前パーティで出会って知っていたはずだが、きっと大島と村西が仲良かったことに対して嫉妬心でも抱いていたのだろうか。凄く感じるものがあった。
佐々木は個人的な恨みでやっているのかもしれないけれど、村西のショック度合いは相当なものだっただろう。きっと大島のことを生き甲斐にサナトリウムで生活していたのかもしれないと思うと。そこでも村西の「死」というものが少しよぎってしまった。

あとは、そこまで出番は多くなかったが、坂口徹子役を演じた井上みなみさんも素晴らしかった。井上みなみさんの演技は、青年団『東京ノート』(2020年2月)、やしゃご『きゃんと、すたんどみー、なう。』(2022年7月)、果報プロデュース『あゆみ』(2022年10月)で観劇している。
井上さんの演技は『あゆみ』で演技を見てから随分と時間が空いていたが、非常に大人っぽくなっていてびっくりした。前は役柄もあったと思うが子供っぽい感じだったが、大人の女性を演じていた。
坂口だけではないが、患者という人物像と対照的に面会人の中でもアクティブにスポーツをする人物像を形作っていて、その設定も患者との対比を際立たせていた気がした。

あとは、看護人の川上俊二役を演じた島田曜蔵さんの何度もベルを鳴らされて飲み物を持ってきてしまってブチギレる感じが好きだった。
また、看護人の藤沢知美役を演じた南波圭さんが演じた、患者さんのテンションに合わせて和気藹々とやっているように振る舞う感じも好きだった。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作の戯曲について考察していくことにする。

今作には印象的に登場する作品として堀辰雄の『風立ちぬ』がある。『風立ちぬ』は、私は2013年に公開された宮崎駿監督のジブリ作品『風立ちぬ』で知ったのだが、今作は1991年に初演された作品なのでジブリ作品よりも20年以上前に作られた作品ということもあり、当時はそこまでメジャーな作品ではなかったのだろうと思う。
私は、堀辰雄の書いた小説の『風立ちぬ』は読んだことがなかったが、宮崎駿監督のジブリ作品の『風立ちぬ』は見たことがあったのでサナトリウムが登場してなんとなくピンと来るものがあった。しかし、ジブリ作品の『風立ちぬ』は堀辰雄小説版『風立ちぬ』を下敷きにはしているものの、大きく内容は異なるのでピンときたのはそのくらいである。

堀辰雄の小説の『風立ちぬ』は、堀辰雄自身と彼の妻である矢野綾子をモデルに、結核で富士見高原(F高原)のサナトリウムで療養する婚約者の節子を主人公の男性が見舞う物語である。一方で、ジブリ作品の『風立ちぬ』は、堀辰雄版『風立ちぬ』を下敷きに、大正・昭和時代を生きた航空技術士の堀越二郎を主人公のモデルとして宮崎駿さんとその父のことも作中に投影させながら描いている。途中、軽井沢で堀越二郎の婚約者である里見菜穂子が結核のためにサナトリウムで療養し、見舞いに行ったりするため、今作を想起した部分があった。
私自身も、今作を観劇するまで堀辰雄版『風立ちぬ』の内容をよく知らなかったので、元の『風立ちぬ』の物語は主人公の男性が度々サナトリウムで療養中の婚約者を見舞うという話だったのかと勉強になった上、小説は自然描写の素晴らしさなどが評論家によって評価されていることも知り、今作の素晴らしさとも共通するなと思った。

今作では、堀辰雄の小説の『風立ちぬ』の一節の解釈が度々登場する。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

堀辰雄『風立ちぬ』より


実はこの一節は、堀がフランスの詩人であるポール・ヴァレリーの詩である『海辺の墓地』から元々引用されたもので、フランス語の原文は、


Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』より


である。この原文を堀辰雄は、まるで古文であるかのように「風立ちぬ、いざ生きめやも。」と訳したのである。直訳すると、「風が立った、生きようと試みなければならない」なのだが、『風立ちぬ』ではこの一節が度々登場し、前後の文脈によって様々に解釈できるように創作されている。
例えば、『S高原から』の劇中で登場するように、「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意味としても捉えられるし、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意味にも捉えられる側面を持つ。
つまり、「風立ちぬ、いざ生きめやも。」の意味には、風が立ったので生きようじゃないかと強く思う意味と同時に、風が立ったので、生きようかいや生きないというネガティブな反語的意味を持つという背反する意味があるのである。

この2つの相反する解釈は、そのまま今作の『S高原から』の死生観とも重なってくる。サナトリウムの療養中の患者たちが、こんな状態でも生きようと心強く思うと同時に、生きたくないと思う瞬間もきっとあるはずである。例えば、村西は大島が面会人として来た時に非常にテンション高い状態であったのは、村西が大島と会うことを楽しみにして今まで生きて来たんじゃないかなと解釈した。この時の解釈は、生きようという意味になると思う。しかし、佐々木によって大島は別の人と結婚が決まっていることを村西は知らされる。この時、村西はどう思っただろうか、私だったら生き甲斐がなくなったかのような心地になりそうな気がして、生きたくないに変わるのではないかと思った。
この風が立ったというのを今作の劇中で一番端的に演出しているのは、吉沢兄妹がサナトリウムの広間を駆け抜けていく描写であろうか。吉沢兄妹は、劇の冒頭と終盤に駆け抜けていくシーンがある。きっと、ここで一つのメタファーとしてサナトリウムに風が立ったのだと解釈できる。だからこそ、もしかしたら劇の冒頭と終盤で「いざ、生きめやも。」の意味は違うのかもしれない。

そんな具合で、サナトリムで療養する患者は、死とずっと隣り合わせで生きているため、生きようと強く思う時と、生きたくないと思う時とで大きく感情が左右される不安定さがあるのかもしれない。そんなように、『風立ちぬ』が引用された『S高原から』は解釈出来るのかなと思う。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


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