WISH 〜願う事に意味がある〜
今回は、ディズニーの新しめアニメーション映画WISHについて感想を述べます。
なんか久々のプリンセスものって感じたのは気のせい?
いでたち的に正統派な感じのアーシャだけど、、、
やっぱり戦うね。
最近のディズニープリンセスには、
「戦う」要素は必須になってくるのかな? とちょっとモヤモヤしたり。
(↑このモヤモヤについては、また別の機会にぐちります。)
ただ、やはりディズニー映画。
全体的にいい作品だったので、感想をつづりたいと思います。
ネタバレはほどほどにね。
(とはいいつつ、多少ネタバレ含みます)
主人公アーシャは、人々の「願い」が大切に守られ、いつかは叶えられる「かも」しれない王国に住む少女。
自分と大切な人たちの願いが叶えられることを願っています。
特にアーシャの祖父は残り少ない人生で、(既に忘れてしまった)願いが叶うことを心待ちにしています。
なかなか叶えられない祖父の願い。
祖父を思うアーシャは、国王マグニフィコに直談判に向かいます。
しかし、人々の願いを守り、いつかは叶えてくれるはずの国王には、裏の顔があり、、
この物語、「願い」の真の意味にズバッと切り込んでいます。
ディズニーは、「願い」を中心にした作品を数多く作ってきました。
それらの作品では、主人公の「願い」を起点にして、「信じ続けることの大切さ」や「自分らしくいることの大切さ」をうたってきました。
物語の始まりには、必ず主人公の「こうなりたい/ こうなってほしい」という確たる願いがあったのです。
困難にぶつかっても、信じることが無駄に感じられても、「願い」を諦めきれず、最後にはどんな形であれ「願い」に近づきます。
しかし、そもそも「願い」を持たなかったらどうか?
これが本作の主題です。
「明日の夜はカレー食べたいな」くらいの願いであればまあいいとして、
「俺は国連事務総長になって何が何でも世界を平和にしたいんだ!」という大きな願いを持っている場合、、、
実現不可能ではありません。ただ、多くの壁にぶち当たります。
英語とかフランス語ペラペラにならなくてはいけないし、必要な学位とか職歴とかもすごそうですよね。
それらをクリアしたとしても、夢の事務総長の座につけるのは一握り。
いくら頑張っても一生叶わない願いかもしれません。
そんな願い、持つだけ無駄では?
世界が戦争に明け暮れているのをただテレビで傍観することしかできない。
願いのせいでやりきれない思いを抱えるくらいなら、願いなんて手放した方がいい。
まあ、忘れてるうちに叶ったらラッキーだね。
何にも期待しないでただ日々を送る方が気楽じゃん。
これが、作中で人々の夢を預かるマグニフィコ王の理論。
でも、願いにはパワーがあります。
「叶えたい」という心の奥に眠る強い思いが、生きる力、どこかで人生を動かす力になる。
作中、願いを預けた人々にどこか生気がないように感じられるのは、彼らが願いを、人生の大切なエンジンを手放してしまったから。
反対に、まだ願いを預けていないアーシャたち若者の目は、未来への夢やワクワクに輝いています。
叶えられるかどうかは問題じゃない。
誰が叶えるかも問題じゃない。
願いが、自分の中にあることが大事。
叶えられない願いなんて、持ってる方がつらいだけ。そう思うことは多々あります。
でも、
願いがあるからこそ、人は辛い時でも力を振り絞ることができるのも事実。
願いがあるからこそ、人生が無意味に感じられるときも、そこに微かな光を見出すことができる。
たとえ一生叶わなかったとしても、願いを持つこと自体に意味がある。
このWISH、作品通して泣かせようという意思が一切みられないのに、
アーシャが国王に立ち向かう最後のシーンにウルっとくるのは、彼女たちの
願いを取り返す姿=人生を取り戻す姿
に重なったから。
一昔前みたいに「願えば叶う」なんて甘っちょろいことは言わないけれど、
願うこと自体に意味があることを改めて伝える本作品。
ディズニーの原点を新たな切り口で再確認する、創業100年目を飾るにふさわしい物語だったのではないでしょうか。
なんだかんだ言われつつ、
ディズニーは外さないな。
ではでは。