ぜんぶ溶けていかなくていい
海外にいると、自分の思考や行動がだんだんと現地化していくのが分かる。話し方にはじまり、店員へのアプローチや道路の渡り方など、無意識のうちに変化していることが多々ある。
これに気付く瞬間は、海外でしばし長い間過ごす中でもとくに面白いと思う瞬間のひとつ。今でいうと、語学学校の外で話す英語はマレーシア特有のイントネーションや語尾になっているし、道路をわたるときは手で車を制止しながら歩いている。
二年前、中国の上海に一ヶ月居たときは、現地化しないとうまく生きていけないと、着いた次の日に悟り、帰国間際にはファーストフード店でなかなか出てこない注文の品にいらだちながら「还没吗?(まだなの?)」と他の客と同じように店員に詰めよっていて、「落ち着いたタイミングをうかがって、静かに手をあげて店員を呼ぶポライトな日本人」の姿はもうどこにも残っていなかった。
とはいえ、どうしても変えられない、というより、日本人・私の価値観のなかで、それだけは変えたくないものも確かに存在していた。
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先日、クアラルンプールのシンボル・ツインタワーのふもとにある、超高級デパートの床に、スタバで買ってリュックのドリンクホルダーにさしていたアールグレイティーを、前から来た人とすれ違ったはずみで盛大にぶちまけてしまった。
しかもその場所というのが、地下鉄の駅からデパートにあがってくる入口付近で、かつ平日のラッシュアワーという、とにかく大勢の人が行きかう場所だった。
慌ててリュックからティッシュを取り出し、いそいそと床の液体をふき取っていた。すると、それを見かねた近くのレストランから店員がでてきて、「清掃員に任せな!呼んできてやるよ!」と清掃員を呼んできてくれた。(こういうところ、マレーシア人は本当に優しい)
しかし、私はそこですぐ清掃員のおっちゃんに任せて立ち去ることはどうしてもできなかった。店員も清掃員も、「気にしなくていいから、帰りな~~」と、なかなか立ち去らない私を、首をかしげて見ているのだけれど、自分がピカピカの床にぶちまけてしまったものを、他人に任せてすぐ立ち去ることは、私の良心がそれを拒んだのだ。最後までおっちゃんにThank youを繰り返していた。
その次の日、家の近くのスタバで作業をしていたら、漫画にでてくる擬音語をそのままそっくり体現したような「ビチャビチャビチャーー」という音が背後から聞こえてきた。振り返ると、二歳くらいの男の子が自分の顔の正面で、抹茶フラペチーノを、もうそれは笑ってしまうほど180度真っ逆さまにひっくり返し、机の下にこぼしてしまっていたのである。(ちなみにこの瞬間の母親の顔は、今まで見たことある人間の表情の中で、ダントツで衝撃さを物語っていた)
だがしかし、母親の顔よりももっと衝撃的だったのは、あろうことか、その母親は子どもの服についた緑の液体をひととおりふき取ったあと、店員を呼ぶわけでもなく、そそくさと店を出ていいってしまったのである。机からは緑の液体が、静かに音をたてて滴り落ちていた。
その一部始終を見ていた私は、前日のアールグレイティー事件を思い出した。私がもしこの母親なら、昨日の私と同じようにティッシュを駆使してひと通りふきとり、店員を呼ぶ。店員もまた、「もう大丈夫だよ」と昨日と同じように言ってくれるのだろうけど、それを知っていても、その場ですぐ「じゃよろしくー!」とは言わないだろうなぁ、ということを考えていた。
そして、この行動とか感性は、ずっと大事に残しておきたいと思った。
他の国はわからないが、マレーシアのファストフード店やフードコードは、客がセルフで片づける形をとっているところはほぼなく、後片付けは店員もしくは清掃員に任せることが多い。
これはこの国がとっている方法なので、普段はそれに従っているし、親切心がすぎて「日本ではセルフだから」と食べ終わったあとにプレートをもってウロウロするのも、いい振る舞いだとは言い難い。
ただ、自分が何かをこぼしてしまったり、汚してしまったりしたら「まずはティッシュを取り出す」という行動を私はとりたいし、「すいません汚してしまって!」と一声かけられる自分でありたいのだ。
現地の文化をいいように大義名分にとって、「それはしなくていいこと」と切り捨ててしまうのは、決して気持ちがいいものではない。
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異なる文化の中にいても、守りたい日本人・己としての価値観というのは必ずある。それを言語化して手に握りしめておくこともまた、他の文化をリスペクトすることと同等に大切なことではないだろうか。全部がぜんぶ「あわせなきゃ」と思うのはストレスだし、「あなたたちはこうなんでしょう」と曲がった解釈で現地人ぽく振舞うのは、もっと違和感がある。
周囲にあわせて溶けていい部分と、そうではない部分。これをうまく調節できる人は、きっとどこに行ってもストレスフリーに、かつ美しく生きられるんじゃないか、と思います。