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文章の師匠がほしい
文章の師匠がいないことが、ずっと悩みのひとつだった。
自分が書く文章が読みやすいのか、それとも読みにくいのか。朱を入れてくれる道しるべのような存在がいなかったから、自分の向いている方向がまっすぐなのか、それとも、曲がっているのかすらもわからない。
「CAKE.TOKYO」を担当してからというもの、ライターさんからの原稿を読む機会がふえた。だから、自分で書く機会がぐっと減った。
でも、書かなかったとしても文章に触れる機会を怠るのはいけないなと思い、他の人の文章を読んだり、本(主に小説)を読んだりして、他の人が書く文章をたくさん読むようにした。
最近、滋賀で有名な和菓子屋さんに1泊2日で取材に行き、8本分の取材記事をぜぇぜぇ言いながらも書き切った。
今回の記事は、インタビューする人の背景の部分を丁寧に伝えたいと思い、話し口調を基本として、インタビューのニュアンスを伝えようと思いながら書いてみた。自分としては初の試みだった。だけど、先方確認の段階で「何が伝えたいのか分からない」「本当に記事を確認したのでしょうか」と言われてしまった。
もちろん、確認した。何度も読み返した。そう思って読み直したら、粗だらけだった。
Googleドキュメントで先方からそのようなコメントをもらったとき、耳がカーッと熱くなった。なんでこんなこともできないんだ!と自分にイライラした。自分が原稿を確認する段階でこんな原稿が送られてきたら、すごくいやだと思う。コメントも、だんだんテンションが下がっている。
文章は、その人の機嫌が見えやすい。あぁ、がっかりさせてしまったなと思って、その日はずっと自己嫌悪に陥っていた。
これまでの社会人生活、仕事で文章を書く機会が多かった。でも、自分の書いた文章が、いいのか悪いのか、伝わってくるのか伝わってこないのか、今回の件で自分では判断ができなくなってしまった。
現時点では判断軸は自分にしかなく、その自分も、時と場合によってコロコロと動いてしまう。ブレている。今の自分は、1階の基礎部分を建てていないのに2階部分を建ててしまった、残念なおうちのよう。
そんなとき、師匠がほしいなぁと思う。基礎から学びたいなぁと思う。自分がやってきたことは所詮ハリボテだったんだぞと、分かりたくないけど分かりたい相反した気持ちになる。
あーダサい、ダサい、ダサい。こういう文章を書いている自分は、とってもダサい。やだなぁ、こういう話は書きたくないのに。
文章を書くことって、ピアノみたいなもので、毎日何かしら考えて書こうとしないといけないなぁと感じた。しばらくは、noteでリハビリしようかな。
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