恋に生きた君は知る【12話】
動揺を隠せないでいるエルメリアに対してシェシュティオは気遣わしげな態度を見せながらも尋ねた。
「リブラントの秘術とどこまで共通しているかは分からないが、どう考える?」
「……可能性は高いでしょうね」
前提としていた条件が変わるのだ。
表面的な結果は狙い通りのものでも実際には違っていたと考えるのが自然——。
「ねえ1つ疑問が浮かんだのだけどいいかしら」
「何だ」
「あなたはどうしてこの文献を私に見せたの」
忘れられるものなら忘れたい。
だが、わざわざ時間を割くほどの問題かと言われると疑問を抱かざるを得ない。
所詮、過去は過去だ。
以前とは人格が異なるのだとしたら尚のこと。
気に留めなければそれで済んだ話だろう。
エルメリアはシェシュティオに視線を向け直した。
答えを聞くまでは逸らさないつもりで。
「……不幸を願ったことはないと言っただろう」
シェシュティオは罰が悪そうに答えた。
言葉に悩むように何度か口を開閉させて——魔法陣の影響で声に出せなかっただけかもしれないが——観念したように心の内を語る。
「割り切れているようなら構わなかった。だが、そうではなく、覚えていることで苦しむくらいなら忘れるべきだ」
「“あなた”がそれを言うのね」
「俺以外の誰が言える」
150年前の当時ならばまだしも。
「忘れるべきなんだ。特に“君”は」
「……それが“あなた”の望み?」
「これ以上“君”が苦しまずに済むのなら」
「分かったわ」
涙は出なかった。
言葉も、環境も、何もかもが違っても離別を望まれたという意味においては“あの日”の繰り返しに等しく、悲しみよりも安堵の方が優っていた。
——今度こそ間違えずにいられたのだ。
“彼”が“彼女”と出会った——“エルメリア”の気持ちには応えられないと自覚してまった瞬間から、終わらせる以外になかった関係をようやく終わらせられる。
(……婚約の解消を望まれたのも“私”を苦しめないためだったと、今なら素直に思える)
“エルメリア”が“彼”のことを慕っていた時点で貴族らしく政略だけで結ばれた家庭を築くことは不可能だった。
愛人を許す度量もなければ“彼”が自分以外の女を愛していることに気付けないほど鈍感にもなり切れない。
“彼”が“彼女”のことを諦めて芽生えた恋心をなかったことにしたとしても、それはそれで“エルメリア”を苛んだだろう。
「……好きだったの。本当の、本当に」
「……ああ」
「“あなた”が恋なんて知らなければ良かったのに」
「すまない」
「謝らないで。許す気は一切ないから」
報われなかった女の慟哭は今も胸の内で響いている。
けれど、だからこそ、理解する他にない。
——理性で愛を否定できるなら“私”と“彼”の関係が拗れることはなかった。
“彼”は“彼女”のことを愛しはしなかっただろうし“私”は生まれ変わるまでもなく“彼”のことを過去の思い出にできた。
頭で考え、制御し得る感情を恋とは呼ばない。
「“あなた”と“彼女”に行ったことを謝る気もないわ」
「必要ない。信頼を裏切ったことへの罰でもあったし、何より今もう終わった話だ」
「……それを嘘偽りのない本心として口にできるところがあなたの憎らしいところよね」
潔い人だった。
それは今世でも変わらないらしい。
気持ちを切り替えるために深く深く息を吐き出す。
ほんの数秒だけ目を閉じる。
“彼”への恋心が発端となったことに変わりはない。
“彼”を慕う気持ちが消え去った訳でもない。
ただ、リブラントの秘術を残すために編んだ魔法に原因がありそれを解くことでどうしようもなくなってしまった“過去”の忘却が許されるようになるというのであれば、これを望まない理由はなかった。
「クレアクリス」
「はいはい、お呼びでしょうかっと」
「《秘術展開》私に従う理由を話しなさい」
文献に記された内容が正しく、そして記憶に影響を及ぼしているのだとするとエルメリアは今も資格を有したままでなければならない。
どうしてそのような状態に陥ったのかは使用した術式を見直さなければ分からないが『加護が解けなくなったことで“エルメリア”という存在が固定化され、概念的に同一であるが故に生まれ変わっても記憶の引き継ぎが行われた』と考えられるからだ。
簡潔に言えば、記憶と加護と魂はセットという話。
この仮説の成否は、実際に秘術を使って発動するかどうかを確かめるだけで判断することができる。
「面白いからだよ。他にあるか? 《裁定の資格》を持ちながらそれをスッカリ忘れちまってる人間なんて後にも先にもお前くらいのもんだろう」
「……どうやら間違いないようね」
古くは神話の時代。
——精霊同士の諍いを治めるために選ばれた人間がリブラント家の祖先とされている。
精霊に対する絶対命令権というのは仲裁役に必要な能力として与えられたものなのだ。
秘術の資格はそのまま《裁定の資格》となり仲裁を求める精霊たちの《目印》ともなる。
他はともかくリブラントの秘術の資格者に限れば、彼らは見分けることが可能なのである。
秘術が間違いなく発動している様子と合わせるなら、これ以上疑いようのない証言もそうはないだろう。
「……あっクソ! 後で酒の肴にでもしてやろうと思ってたのに!」
「いい度胸してるじゃない」
「人間の裁定者に頼ろうなんて言い出すヤツはとっくの昔に死んじまってるから構いやしねーんだよ」
「まあいいわ。時間を無駄にしている場合じゃないし」
魔法をただ解くだけならその効果に関わらず陣を破壊すればいい。
しかし先にも述べた通り秘術は血筋の正当性を示すものでもあるのだ。
元凶の“エルメリア”が言えた話ではないが、リブラント家の地位を脅かすような方法は極力取りたくない。
(術式を書き換えられれば1番いいんだけど……)
書き換えること自体は可能でも求める結果が得られるとは限らない。
文献の術式と照らし合わせるために使用した魔法の陣を魔力を用いて空中に描き出す。
「これを使って秘術を継承させたのか?」
「ええそうよ」
「だったら——」
シェシュティオが続けた言葉にエルメリアは「何でそうなるのよ!」と叫び返した。