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恋に生きた君は知る【37話】


 何百年もの間、恨みと憎しみとを募らせながらも呆気なく泉に還されたティミーの姿を思い出してしまったクレアクリスは余計なことを考え過ぎないよう、エルメリアの居場所に話を戻すことにした。

(ところで今、どこにいるんだよ?)
(ひみつ)

 珍しくも上機嫌な様子でそう返されて思わず顔をしかめてしまう。
 お互いの顔は見えないので分からないはずだが、雰囲気で伝わったのか(失礼ね)と、言葉が続けられた。
 そっちが気色の悪い態度を取るからだろう。

(安心してちょうだい。別に変な場所にいる訳じゃないから)
(だったらどうして隠す必要がある)
(誰にも知られたくない場所だから)

 その内戻るわ、と言い添えるなりエルメリアは思考の接続をも遮断した。
 クレアクリスの制止の声が聞こえた気がしたが、気のせいということにして目の前の扉に手を掛ける。

 埃と湿気にまみれた空気。
 無骨な岩の壁。
 懐かしいと表現できるほどの馴染みはない。

 150年前に“エルメリア”の代で失伝させたその場所は、侯爵家の隠し部屋——それも当主となる者にしか伝えられない最も辿り着くことが困難な部屋である。

 何のために作られたのかも分からないほど何もない部屋の床に、彼女が今日この場に訪れた目的である秘術を継承させるための魔法式は刻まれていた。

「またここに戻ってくることになるだなんてね」

 効力が発揮されていることを示す赤色の光は、美しくも悍ましく、脈打つように揺れている。
 精霊界でシェシュティオに見せたものとは少し異なって、主体となる式の周囲には破損や劣化を自動的に修繕するよう計算し尽くされた式が。
 さらにそれを囲うように有りと有らゆる防衛機能を組み込んだ式が描かれている。

永久とわに巡れ、なんて。こんな術式を考案するくらいなら他の男と結婚すれば良かったのに」

 精霊たちに呪われていたことを知らないエルメリアは自らの愚かさを悔いるばかりだが、“彼”のことを諦め、他の男性と子を成せていたかは分からない。
 血縁関係そのものではなく“リブラントの資格”を持つ者を1つの種として見るならば、150年前の選択は絶滅の危機に瀕している個体が自らの子孫を残し続けるために必要とした本能的判断とも言えた。

 ただ全てを知ったとしても彼女は思うだろう。
 侯爵夫人として生きた150年前も。
 魔女として処刑された50年前も。
 何もかもが運命的であった、と。

 祈りの姿勢を取る。
 天と地とに宿りし神々が今日という日をお与えになったことへの喜びを表すために。

「ルールイェス」

 思考と感情とがクリアになって精神が統一される。
 悪くないコンディションだ。
 エルメリアは閉じていた目を開き、3度もの人生を送る発端なった魔法式に手をかざした。

 後は仕事を終えるだけ。

「さあ、書き換えましょう」

 彼女にはそれを成し得るだけの知識と技術がある。
 転生の原因を取り除く上で、不安要素が残るとすれば“エルメリアとユスツィートが子を成すことで全てをあるべき形に戻せる”という予想が正しいか否かを判別する現実的な手段がないため、仮説の域をでないことだが——。

 仮説が間違っていた場合には式の効果が継続されるような条件を設定すればいいだけの話。
 結果が分かるのは死後。
 再び生まれ変わることになったとしても、下手に解除して「資格の継承が上手くいきませんでした」なんて元も子もない事態に陥いるよりはマシだろう。

 光が波打つ。
 新たに書き加えられた文字列は、初めから刻まれていたかのような馴染みぶりで既存の式の中に溶け込んだ。
 所要時間は数分にも満たないような短さで、呆気なさすぎる気もしたが、不備もなければ他にできることもない。

「ルールイェス。どうかこの決断が我が神のご意志に沿うものでありますように」

 最後にもう1度だけ祈りを捧げて隠し部屋を後にする。
 屋敷からは出ない範囲で少し外を歩いてくる旨は伝えてあるがどこを探してもエルメリアの姿が見えないとなれば心配を掛けるだろう。
 そうなる前に帰らなければ。
 来た時とは別の道を進みながらユスツィートの顔を思い浮かべる。

 ……150年前に犯した罪も。
 50年前に受けた罰も。
 彼と出会うためにあったものだとして。
 罪を犯し、罰を受けなければ、出会えないのだとしたら。
 過去に戻って同じ道を辿るか否かの選択を迫られた時。
 エルメリアは迷うことなく確約された未来こそを切り捨てるだろう。

 恋に溺れた愚かな“自分”が嫌いだった。
 才能に恵まれながら死こそ救いとするまでに堕ちた“自分”が嫌いだった。
 例えユスツィートと出会うためには必要なことと言われても、同じ過ちを2度も繰り返したいとは思わない。
 ……ただ、それでも。

(私はきっと諦めることなく足掻き続けるのでしょうね)

 結ばれることがなくなったとしても一目見るだけでいいと。
 全てを手放した上でなお彼の元に帰ることを望み、足掻くのだ。
 彼に愛されている“今”の自分は嫌いじゃないから。

(ああでも150年前の愚行がなければユスツィート様が生まれない可能性もあるって考えると、ちょっと悩んじゃうのが私のダメなところね)

 “彼”と“彼女”が素直に婚姻を結んだ場合、その息子は“侯爵家の跡取り”という立場を得られない。
 爵位が変われば婚姻の相手も変わるだろうし、相手が変われば生まれてくる子供も変わるだろう。
 魂の奏でる音名前だけを頼りに、容姿も、立場も、何もかもが異なる彼を探すことになる?
 シェシュティオを例として考えるなら今と名前が同じ保障もなければ、性格だって違っている可能性すらあるのだ。

 魂だけが同じその人を今と変わらず愛せるか。

(シェシュティオの時にはそんなこと気にもしなかったのに)

 身勝手? そうかもしれない。
 いずれにしても過去は過去のまま。
 考えるだけ無駄な話。

 太陽の光が届く場所に出る。
 眩しさに目を細め、手を翳したエルメリアは空を見上げてほっと息を吐いた。

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