恋に生きた君は知る【22話】
リブラントは侯爵の位を与えられたケリー家の領地であるが警護の対象が国境ではなく精霊界と繋がる“道”の現れた地域という少々特殊な立ち位置となるため、本部といくらかの拠点に分けられ、国内に点在する形となっている。
各拠点の様子を見て回るだけで1年が過ぎ去るので移動時間の長さを指して“馬車馬侯爵”なんて揶揄されることもあるほど。
帰省にあたってユスツィートたちが向かうのはそんなリブラント領が本部——王都からもほど近く商人のための街として栄えたラディフマとなる。
リブラントの移動経路と商人たちの販路は重なる場合も多く、意見交換の場を設けたのがキッカケで王都に入る前の中継地点として利用されるようになったのだとか。
精霊との共存を旨としているため彼らが好む自然環境はそのまま残されており、完全な都市化はなされていないのだが、高層の建築物と大樹が並んで立つ光景は他にない魅力を有していると評判で、住民たちの保護意識は意外に高い。
もっとも、ヨハネスが観光事業に着手し成功を収めるまでは隠れた名所程度の扱いで、自然を切り崩すべきだという意見もそれなりに多かったのだが。
ラディフマの中心部に位置する本邸に辿り着いた2人が馬車から降りていると別の馬車が後から入ってきた。
掲げられている紋章を見るに乗っているのはケリー家の人間だが見覚えはない。
新調したにしては艶が少なく、使用感が滲んでことに首を傾げながらも相手が降りてくるのを待っていれば。
「——えっ、お祖父様!?」
「ユース! エリー! 久しいな」
現れたのはヨハネスだった。
70代の老人とは思えない快活さで片手を挙げ、シワの増えた顔をさらにくしゃくしゃにして満面の笑みを浮かべてみせる。
何年か前に新年の挨拶を交わして以来、本部に寄り付かなくなった彼と顔を合わせるのは本当に久しぶりのことである。
「いったいどうして」
「孫が正式に婚約を結ぼうというのに駆け付けぬ訳にもいかないだろう」
「それは、まあそうかもしれませんが……」
「何。ラルシオに叱られてから本部に立ち入るのを控えていたのは事実だが祝いの席に並ぶのを拒まれるほどの問題じゃあない」
ラルシオは現リブラント卿の名だ。
当主の座から退いてなおヨハネスを頼る者が後を絶たなかったため物理的な距離を置いていただけらしい。
実際、作物の品種改良に成功したとか、古くなった水路の見直しに一役買ったとか。
隠居したにしては派手な活躍振りが耳に届いているので、大人しくしていろと言いたくなる当主の気持ちも分からないではなかった。
「それとも儂に祝われるのは嫌だったか?」
「そのようなことあり得ません!」
「ならば再会を喜ぼう。それから、祝いの品を贈らせて欲しい。儂はお前たちの佳節に立ち合えることが嬉しくて堪らないんだ」
ヨハネスは成長した孫の頭を乱暴に撫でた。
エルメリアにも視線を向けて屋敷に入るよう促す。
しかし、エントランスに移動した3人を出迎えたのは家令のテオルト1人だけで——。
ラルシオはおろか妻のノエラの姿すらも見えないことについて尋ねると「お二方ともお忙しいようで私が代わりを勤めさせていただいております」と返された。
ユスツィートが許可を取り付けたとは言っても元は反対されていた婚約であることを踏まえるなら「祝う気はない」という意思表示と考えてまず間違いないだろう。
息子夫婦のあからさまな対応に浮かべていた笑みを引っ込めたヨハネスは反射的に苦言を呈し掛けたが、一旦口を閉じると首を横に振って言葉を選び直した。
「忙しいならば仕方あるまい。我々は我々で移動の疲れを取ることにしよう」
「そうですね。夕飯まで時間もあることですしご一緒にお茶でもいかがです?」
「ああ、それはいいな」
エルメリアも同席するよう求められたので着替えを済ませてから談話室に向かう。
ユスツィートと婚約するつもりがなければラルシオとノエラの顔を立てて部屋に篭っているところだが、申請を出そうとしている現状では後ろ盾となってくれているヨハネスの誘いを断わる理由もない。
家族の仲を引き裂いているようで心苦しくはあるものの認めてもらえるよう努力する以外に道はないだろう。
談話室に入るとラフな格好に着替えたヨハネスの姿があり、お茶の用意も済んでいるようだった。
暖炉の前に置かれた1人掛けのソファに腰掛けて難しい顔をしていた彼はエルメリアの入室に気付くと顔を綻ばせて向かいの席を勧めてくる。
ユスツィートの姿はまだない。
両親に到着を報せてからくると言っていたので、その分時間が掛かっているようだ。
「すまないな。もう少し儂が見てやれればとは思うのだが……」
「お気持ちだけで十分ですわ」
エルメリアが席に着くなりヨハネスは申し訳なさそうに眉を下げたが、下手に擁護すれば魔女の名で覆い隠した王家の不始末を暴きかねないとなれば表立って動けないのも道理であろう。
受け入れはしないが拒みもしないラルシオの対応は、父であるヨハネスの意向を尊重しつつも王家に叛意を疑わせないという意味で言えばむしろ正しい。
「ヨハネス様のお心を煩わせるようなことは何も起きていないのですから」
「だと良いが」
「それよりもお尋ねしてみたかったことがあるのです。不躾な質問にはなるのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。言ってみなさい」
エルメリアは無意識のうちに手を組んでいた。
息を吸い、言葉が重くなり過ぎないように気を配りながら唇を動かす。
「——ヨハネス様にとって魔女とはどのような存在だったのですか」
死してなお鮮明に思い出せる“あの日々”を、あなたは何を思い過ごしていたのか。
……尋ねる必要はなかったかもしれない。
ただ、尋ねられる者がいるとすればエルメリアをおいて他になく、意味はなくとも意義はあるように思えた。
それに今なら彼の言葉を真っ直ぐに受け止められる気もして。
目を見開いたヨハネスがゆっくりとまばたきを繰り返す様を見詰める。
数秒を置いて、考え込むような素振りを見せた彼は暖炉の方へと視線を逸らした。
「逆に尋ねようか。私にとっての彼女はどのような存在だったと思う?」
エルメリアは答えに悩んだ。
“過去の記憶”を有していることを知られたくないのはもちろんのこと、そうでなくとも彼との関係を正しく言い表せる言葉が思い付かない。
「……護衛対象とその護衛官、ですよね?」
「ああ」
「守るべき存在だったのだろうとは、思いますが」
「そうだ。私にとって彼女は守らねばならない女性だった。そして護衛の任は今もなお解かれていない」
「えっ!?」
そんなバカな。
思わず驚いてしまったエルメリアに視線を戻し、ヨハネスは微笑む。
「誰に命じられた訳でもなく私がそう決めたのだ」
「どうして……」
「彼女の護衛官だった者の責務として」
「悪いのは魔女でしょう」
「否定はしまい。だが、君のように苦しめられる者が現れるなら私は動かねばならん」
それは民のためであって。
“エルメリア”の名誉のためでもあるのだろう。
老いてなお輝く瞳に嘘はない。
「いわれのない者が糾弾されるなぞあってはならないことなのだから」
年寄りの戯言に付き合わせて悪かった、とヨハネスは続けたがエルメリアは首を横に振って否定する。
その“戯言”によって救われた身でどうして謝罪の言葉を受け取れよう。
「お話を聞けて良かったです」
本当に。
——ヨハネスに出会えた奇跡さえもを忘れることになるとしても、これで心残りはないと言える。