恋に生きた君は知る【2話】
「エリー! 麗しの婚約者殿から贈り物が届いたって聞いたけど今回はどんな品だったの?」
ノックの音と共に部屋の外から声を掛けられ、エルメリアは億劫な気持ちを隠さないままドアを開けた。
野次馬根性を丸出した隣室のオリヴィアが待ってましたと言わんばかりの勢いで中に入ってくる。
絹のように美しいプラチナブロンドと華奢な体躯が相俟って儚げな印象を相手に与える彼女は、しかしながら残念系の美少女というやつで好戦的かつ俗物的。
下心を持って近付く輩を蹴散らして進む様は闘牛が如し、だ。
開きっぱなしのトランクケースの中身を確認するなり「うわぁ」と声を上げた。
「これまた、気合の入ったドレス一式ね。そういう意味でも誘われてるとか?」
「やめて。冗談でも笑えないから」
「冗談って。まさかまだ諦めていないの?」
「当然でしょう」
「お可哀想なユスツィート殿」
オリヴィアと親交を持つようになったのは彼女のことをユスツィートに紹介しようと近付いたのがキッカケであり、婚約の破棄を望んでいることについてもそれなりに早い段階で打ち明けている。
……そうでもなければ紹介したところで話にならないし。
まあもっとも、関係を持つ気はないとはっきり断られてしまっているので今は単なる友人に過ぎない訳だが。
「彼のことをそういう目で見られないんだから仕方ないじゃない」
「夢を見過ぎよ」
2度の転生を経て、恋い焦がれ続けている相手の子孫かつ前世の護衛官の孫との婚約に至っているなんて話はさすがにできないため、返せる言葉もなくエルメリアはぐぬぬと唸った。
そもそも、貴族同士の婚姻なんて基本的に利害が一致しているかどうかで、愛の有無より世継ぎが優先される。
誰が相手であろうと肉体関係を持つことが当たり前とされる世界だ。
「ねぇエリー、あなた幸せになる気はある?」
オリヴィアの問い掛けに「もちろん」とは返せなかった。
「……どうして?」
「捨てられた魔女を救ってくれる人間なんて現れるはずがないでしょう」
高い神聖力と治癒の能力をもって戦好きの前王と共に命を弄んだ魔女——。
同じ名を授かったというだけで疎まれるほどに、その行いは非道なものであったとされている。
ユスツィートとの婚約が破棄された場合、人並みの幸福を手にすることすらも難しくなるだろう。
「あなたの望み通り婚約が破棄されたとして、その後のことはどうするつもりでいるの」
「リブラント侯爵家への恩返しに努めるわ」
「元婚約者なんて扱いに困る存在、置いたままにしてもらえる訳ないじゃない」
「どこで何をしていればいいかはリブラント卿に指示を仰ぐから平気よ」
「嘘」
「嘘じゃないってば」
魔女と呼ばれたその裏側——。
前王アロイス・フィア・フロイツェンに従属の印を刻まれ、陵辱の限りを尽くされた日々を思えば大抵のことは「幸福」の括りに入る。
ヨハネスが関わってさえいなければ婚約の破棄に苦心することもなかったであろうことを思えば、どこで何をするよう命じられても「平気」であることに嘘も偽りもない。
それに、だ。
「ユスツィート様との婚約が口実に過ぎなかったのは本当のことだし。将来的には白紙に戻す予定で教会にも届けを出さなかったのだから、代わりになるような話を用意していない方が可笑しいでしょう?」
エルメリアを引き取るだけなら元護衛官の慈悲だけで理由は足りていた。
しかし“ただの居候”と“未来の侯爵夫人”では受けられる教育の質が異なる。
魔女の名を授かった娘の将来を憂う前当主と、可愛い息子を贖罪の道具とされることに憤った現当主の落とし所が現状のそれであり、婚約の代わりとなる話はまず間違いなく用意されているし、条件もそう悪いものではないはずだ。
エルメリアを引き取ると同時に家督を譲りはしたものの、いまだ存命のヨハネスが目を光らせてくれていることが1つ。
魔女が相手とはいえ、侯爵家の都合で放り出すのに一切の責任を負わないとなれば、外聞が悪くなることが1つ。
リブラント侯爵家の人間は、基本的に根っからの善人であることが1つ。
「それなら何故あなたは婚約者をやめられないでいるのよ」
「新しく探し直して下手な令嬢を引き当てるよりも1から育てた毒にも薬にもならないような家柄の娘を迎え入れる方が間違いがないじゃない」
納得がいかない様子のオリヴィアにエルメリアは肩をすくめてみせた。
ヨハネスは魔女の護衛官だったが、先々代——ヨハネスの実兄が前王誅殺の功労者とあって政治から遠ざけられるような憂き目に合うこともなく、何より立場を弁え、誠実に国に仕える姿勢から忠臣の1人に数えられるまでに至っている。
その清廉潔白さこそが前王に疎まれ、“エルメリア”の護衛官を務めるよう言い渡された理由とも言えたため、順当と言えば順当な評価だろう。
ただ、疎まれながらも王の側に控えることを許される程度には有能だった男が障害らしい障害もない状態で領地を経営した場合どうなるかと言えば、まあ当然のように栄える訳で。
権力が集中し過ぎてもそれはそれで問題となるため、家格が下のエルメリアをユスツィートの伴侶として迎え入れるという選択肢は侯爵家にとってもそう悪いものではないのだ。
(ヨハネスの名に傷は付けたくないから、そうなるとやっぱりユスツィート様にお相手となる方を見付けてきていただく他ないのよね……)
エルメリアの瑕疵は、そのままヨハネスの瑕疵となってしまう。
それがエルメリアを保護した彼の負うべき責任であり、追求からは逃れられないものと知ればこそ問題は起こせない。
魔女が相手ならば仕方ない、なんて言葉で済ますことのできるユスツィートが他所で女を作ってくるのとは訳が違うのだ。
……ヨハネスに迷惑を掛けるくらいなら大人しく婚約を受け入れた方がマシだし。
「リブラント卿って案外ズルい人なのね」
「領主だもの」
「その一言で納得できちゃうのが嫌だわ」
仕方ない。
駆け引きの1つもできないようでは領地の経営なんて夢のまた夢。
特に侯爵領は隣国と接する国防の要であり、誠実なだけの人間に任せられる土地ではない。
「ま、どうしようもない話はここまでにしてドレスの試着に移りましょう。髪型も決め直さないと」
オリヴィアはエルメリアの許可を得てからドレスを手に取った。
深い緑色のそれは腹部のリボンをアクセントとするシンプルなデザインのもので、愛らしさよりも美しさが際立つ。
大人びたエルメリアなら問題なく着こなせるだろう。
センスは良い。が、それだけにもう少し早くに届けられていたらと思わないでもないというか。
イェルク学園は使用人の同伴を禁じており、身の回りのことは自分たちで行わなければならないため、パーティが開かれる際には何を着てどんな髪型にするか事前に話し合っておく必要があるのだ。
当日の気分で決めよう、なんて行き当たりばったりなことしていたら間に合わなくなるので致し方ない。
「届けるのが遅くなったから無理に着る必要はないとは言われてるけど……」
「着なきゃダメよ! それに、ユスツィート殿からのお礼は期待ができるもの」
「……リクエストがあるなら伝えておくわ」
どうやら、先輩方と最近流行り出した菓子店のクッキーを食べてみたいという話をしていたところだったらしい。
下心を隠す気のないオリヴィアに苦笑しつつ、ユスツィートに伝えておくことを約束する。
日をズラすこともできただろうに、そうしなかったのは彼なのだから謝礼を渋るようなことはしないだろう。