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恋に生きた君は知る【15話】


 詳しい話はエルメリアの叫び声を聞き付けたオリヴィアが部屋を訪ねてきたことで聞けないまま。
 対応を焦って挙動不審な態度を取ってしまったり、登校してからも授業に集中し切れずミスを連発したり。
 ……簡潔にまとめるとズタボロだった。

 放課後になっても動揺は抜け切らず、ユスツィートのことを考え続けてしまうのだからもう重症である。

(……だけど、仕方ないじゃない)

 素直な気持ちで幸せを願われてると思えるほどエルメリアは能天気ではないし、その根底にあるのが怒りに類する感情であることくらいは分かる。
 人並みの不幸こそを望むエルメリアの在り方に彼は憤り続けていたのだ。
 ……そう理解した瞬間にこれ以上ないくらいのトキメキを覚えてしまった。

 何故そこで、とは自分でも思うが、恐怖と申し訳なさと喜びとで、ぐちゃぐちゃになるまでかき混ぜられたような思考を正確に言葉で表すのは難しい。

(ユスツィート様が私をどうしたいのか……どうなりたいと思っているのか、なんて考えたこともなかった……)

 自ら幸福を願うよう仕向けるだけなら他にもやりようはあったはずなのだ。
 まるで「こちらを見ろ」と訴えかけられているかのようで、クレアクリスから教わった“条件”を思い出すたびに身悶えそうになる。
 ——それは、けして、恋ではないけれど。

 ユスツィートがエルメリアとの婚姻を望んでいる、と確信するには十分だった。
 そうでもなければ達成できるとは思えないような条件を胸の内に秘めている理由がない。


「……エリー?」

 気遣わしげな声が耳に届いてハッと我に返る。
 これで何度目になるのか。
 慌てて目の前のこと——ナディア殿下のために開く茶会で使用する食器の選定——に、集中しようと意識を向け直すが、シェシュティオからパンフレットを預かってきてくれたユスツィートは、当然のように話の続きではなくエルメリアの悩みを解決することを優先させる。

「何か考え込んでいたようだけど悩み事でも?」
「ナディア殿下の趣味に合わせつつ流行にも沿っているティーセットとなると、どれがいいのかと」
「その説明を今していたところだけど」
「……ごめんなさい」

 思わず顔を覆って俯く。
 完全に聞いていなかった。

 と、いうか学園内に設けられた多目的スペースの一角でパンフレットを広げている時点でユスツィートが食器の説明とオススメする理由以外の言葉を口にしている訳もないのだから、今ここで言うべきセリフは「どのティーセットも素晴らしいから迷っていただけ」だったろう。
 これでは茶会以外のことで頭を悩ませていました、と白状したようなものだ。

 エルメリアと隣り合うように座っていたユスツィートは体の向きを直して完全に聞きの体勢に入る。

「話せないことなら無理には聞かないけど……」

 その優しさが今はツラい。

「話せないってことは、いいえ。やっぱり話せないわ」
「……そういう言い方をされると聞きたくなるな」
「やめて! 今日は私、可笑しいの!」
「君を可笑しくさせている原因を僕は知りたいんだよ」

 押せばいけると思われたのだろう。
 片方の手を取られ、顔を覗き込まれる。
 もう片方の手で隠し直したエルメリアは自分の顔が赤くなっていないことを祈るばかりだ。

「この前も言っただろう? できることなら相談して欲しいって。大したことでも、大したことじゃなくても君が話してくれるというなら僕は聞きたいんだ」
「……い、言えなくはないけど、とても言いづらいことなのよ」

 蚊の鳴くような声で勘弁してくれ、と訴えるが普段と比べると抵抗の弱いエルメリアをユスツィートが逃してくれる訳もなく。
 体を離して少し考えるように間を置いた後「僕に関係する話?」ズバリ言い当ててくる。
 肯定も否定もできなかったが答えないことが答えになるパターンのそれで確信を持たれてしまい、エルメリアは情けなくも呻きたくなった。

「言えなくはないってことは悪い話ではなさそうだけど言いづらくもあるんだよね。うーん、どういう系統かなぁ」
「本当に、本当に、勘弁して……」
「でも、今を逃したらさらに言いづらくならない?」

 なるだろう、確実に。
 しかし、だからと言って今感じている気恥ずかしさが薄れる訳ではないのだ。

「私が、私の力で解決すべき問題なの」
「話を聞いたくらいで僕が助力したことにはならないだろう?」
「十分な助力になるって言ったら?」
「なおさら聞きたい」

 まどろっこしいやり取りと一緒に勇気を積み重ねて、ようやく心の内を話す気になったエルメリアは顔を隠していた手をゆっくり外した。
 ——人を真っ直ぐに見つめるのはいつ以来か。

 これまでずっと顔を合わせてきたのに、今初めてまともに向き合っているという事実に申し訳なさを覚える。
 “彼”とよく似た、けれど異なる空色の瞳を素直に美しいと思えることに安堵する。

「あなたを幸せにするにはどうしたらいいかって。そのことばかりを考えてしまうのをどうにかしたいんだけど、どうにもならなくて今日1日ずっと悩んでいたのよ」
「それは、」
「胸を張って隣に立てる人間になるには私自身が努力する他ないでしょう?」

 繋がれたままの手を握り返す。
 弱々しく、けれど確かに握り返されたことが分かる強さで。
 驚いた様子で固まってしまったユスツィートをひとしきり眺めた後、エルメリアは目を伏せた。

「いきなりで驚いた?」
「……そう、だね。ちょっと否定はできないかな」
「これまでの私の態度散々だったものね」
「自覚はあったんだ」
「あるわよ、流石に」

 許されるならば、幸せになりたい。
 ユスツィートを自分の手で幸せにしたい。
 それが今のエルメリアの素直な気持ちだ。

「……ねぇ、ユース。あなたを幸せにするにはどうしたらいいかしら」
「ごめん。少し、本当に少しでいいから待って」
「……迷惑だった?」
「まさか! そうじゃなくて、咄嗟に言葉が出てこないというか。あまりそういったことを考えたことがなかったから思い付かないというか」

 今度はユスツィートの方が空いている手で顔を隠す番だった。
 エルメリアの言葉を理解しようと噛み砕けば噛み砕くほど、愛の告白を受けたように感じられて油断すると思考が停止しかけるのである。
 じわじわと顔に熱が集まってくるのを自覚して、本気で心を落ち着かせるための時間が欲しくなる。

「……あえて言うなら今が幸せ過ぎて他が思い付かない、かな」

 誰に何を言われたのか。
 変な薬でも飲まされたのか。
 何も知らないユスツィートからすれば本当に急な話で、エルメリアの心変わりに関して色々と尋ねたいことは多いのだが。

 体内の魔力が乱れている様子はないし、発言以外は何ら可笑しなところのない、いつも通りのエルメリアだ。
 ユスツィートと向き合うことを決心するような何かがあっただけだろう。
 ……何かってなんだよ!!

 尋ねたいが、今尋ねたらせっかくの空気を台無しにすることだけはハッキリしている。
 それはダメだ。それだけはダメだ。

 シェシュティオか、クレアクリスか。ありがたい助言余計な言葉をエルメリアに吹き込んだ可能性の高い両者を後で問い詰めることを心に誓いつつ、口にした通りの幸せを噛み締める。
 ——恋と呼ぶには仄暗すぎて、愛と名付ける以外になかったとしても。

 ユスツィートがエルメリアに惚れている事実に変わりはないのだから。
 全ての問題を棚上げにして喜びに浸っても許されるだろう。
 とにかく今は余計なことを考えたくなかった。

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