恋に生きた君は知る【19話】
それからしばらく。
エルメリアの生活は充実していた。
お茶会の準備はもちろんのこと、ユスツィートとの婚約関係を解消しないのであれば悪評をそのままにしておく意味もない。
ナディア殿下の意向に沿えるよう名誉の回復に努めることに気を重くする必要もなければ、行動に移せる範囲も広がるというもの。
再び“魔女”として弾圧されることがないよう、実力を隠すことに変わりはないまでも前向きな気持ちで取り組めるというだけで十分過ぎるくらいのやり甲斐を感じられた。
——だから、そう。
いくら許可を得ていると言っても両家への挨拶を済ませてからにしたいと、渋るユスツィートを説き伏せて教会への申請を先延ばしにしたことに他意はなかった。
先延ばしにしておいて良かったと思う日が来るだなんて想像もしていなかったのだ。
——“彼女”が現れるまでは。
中間のテストが明ける頃に労いの意味も込めて開催することとしたお茶会の当日。
新入生の歓迎会でも使われた講堂前の広場を会場として押さえ、訪れた客人たちを出迎えていたエルメリアは冷静に取り繕わなければと考える一方で、指先1つ動かせなくなっている自分に気付いていた。
これは、もうダメだ。
人脈の無さを補うために招待した相手には友人の同伴をお願いしていたが——ナディア殿下の連れの1人が“彼女”だなんて誰が思おうか。
正確に言えば容姿が瓜二つというだけでエルメリアやシェシュティオのような生まれ変わりなのかどうかも分からない。
原因を知った今だからこそ言えるが、2人が互いのことを“そう”だと認識できたのは術式の影響によるものであり——“彼”の血を起点としているが故に術式を介して共鳴した結果と思われる——順当に考えれば、例え生まれ変わっていても記憶を有してはいないし前世と同じ姿をしている可能性も極めて低いだろう。
だが、本人であるか否かはこの際どうだって良かった。
まるで“過去”を再現するかのような出会いを何食わぬ顔で受け流せるほどエルメリアは強くない。
困惑する周囲の声は確かに耳に届いているのに、何の反応も返せなくて。
「どうかしたのかい?」
「ユスツィート兄様! ええっとその、エルメリア姉様に私の友人を紹介していたところだったのですけど……イルゼさんを見た途端に固まってしまわれて……」
「せ、先日は助けていただきありがとうございました!」
「ああ、あの時の。けして疑ってる訳ではないことは先に伝えておくけど、何か心当たりは?」
「いえ、全く……本当にただ挨拶をさせていただいていただけですので……」
“彼女”と瓜二つの容姿をしているベルツェ家の令嬢——神聖力の高さで知られているイルゼ・ベルツェと、ユスツィートはすでに知り合っていたらしい。
運命の相手の候補者としてナディア殿下の次に名前を挙げていた人物であり、どうしてもっとよく調べなかったという後悔が胸を過ぎる。
——イルゼ・ベルツェは神聖力の扱いを学ぶために教会で暮らしていた時期が長く、彼女に関する情報は真偽が不明な噂話と名前くらいで、姿絵などは手に入らなかったのである。
イルゼの顔を1度でも目にしていたなら例えユスツィートに望まれていることを知ったとしても、受け入れようとは考えなかっただろう。
幸福な未来の訪れを信じるだなんて愚行に走るようなマネは絶対にしなかった。
「——ここで失態を冒したらヨハネスはどうなるんだろうな?」
耳の奥でクレアクリスの声が木霊する。
契約を介して届けられたそれは他の誰の耳にも入らず、エルメリアが態度に出さなければ知る由さえ無い。
ヨハネスの名が使われたことで強制的に意識が引き戻された彼女は「クレアクリスがどうしてこの場にいるのか」という疑問さえ切り捨てて反射的に口を開いたが、一連の言動に疑問を持つ者はいたとしてもユスツィートくらいのものだったろう。
「申し訳ありません。イルゼさんが知り合いとよく似ていて、本人と見間違うくらい本当に似ていたものですから……驚き過ぎて頭の中が真っ白になっていました……」
ご紹介をいただいている最中だったのに本当に申し訳ありません、と再度謝れば困惑は抜け切らないまでも納得はしてもらえたようで改めて挨拶を交わす。
——ヨハネスが“エルメリア”を庇おうとすればより酷い扱いを受けたように“エルメリア”の失態はいつもヨハネスの責任とされた。
学生の茶会が失敗に終わった程度で傷付く名誉などないとしても、それを判断するだけの冷静さを失っている今エルメリアの思考を占めているのは「口実を与えないためにすべきこと」だけだ。
あくまでも自然に。けれど完璧に。
「イルゼ嬢とよく似た知り合いか。誰のことだろう……」
「あら。ユスツィート兄様もご存知ではありませんの?」
「ユスツィート様がいらっしゃらない時にお会いした方ですので、ご存知ないのは当然かと」
「それは思い出しようがないね」
「しかしそこまで似ているのでしたら見間違いではなく本当に本人だった、なんてことは?」
ナディア殿下はドラマチックな再会を期待するかのようにイルゼ嬢へ視線を向けたが、答えは決まっている。
「申し訳ありません。私には覚えがなくて……」
「かなり昔の話になりますし、見た目が今と変わらないとなると年齢的に考えても別の方のはずですからお気になさらず」
どこで出会ったのか。いつ頃の話なのか。
聞かれればそれらしい嘘を並べて煙に巻く。
ユスツィートにだけは見抜かれている可能性があると言っても、この場で指摘するほど野暮な人ではないとなれば気に留める必要もなかった。
それぞれを席に案内した後は当たり障りのない話題を選び、皆が楽しいひと時を過ごせるように気を配る。
秋も終わりに近い寒空の下、色取り取りに輝く魔法の花に、近付けば程よく暖かなテーブルクロス。流行りのお菓子。お菓子と合うように選び抜いた紅茶。
事前の準備は間違いなく完璧で、成功を確信できた程だったのだから。
全てを予定通りに終わらせさえすればいい。